飯場の子 第41話 「代表者としての自覚」 | ポジティブ思考よっち社長

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飯場の子 第41話
「代表者としての自覚」



 YEGでは、会員として、そして会長として、本当にいい経験をさせてもらった。

だが前にも書いた通り、このYEGは45歳で卒業だ。

平成29年3月、45歳で卒業を迎えた。
卒業式では同期18名の代表として感謝の辞を述べさせてもらったが、途中で涙が込み上げて言葉が出なくなった。それでも、後輩に伝えるべきことは、なんとか最後まで話しきった。

忘れられない出来事がもう一つある。
YEG活動の中で知り合った、平成24年度の日本商工会議所青年部会長、富山YEGの尾山謙二郎さんが、わざわざ卒業式に駆けつけてくれたのだ。

正直、驚いたし、感動した。
普通、そんなことはまずない。今でもあの光景は、はっきりと覚えている。

尾山さんとは今でも僕の兄貴分として付き合っている。あの人との縁も、YEGで得た大きな財産だ。




 一方で、42歳で継いだ甲斐組の社長として、正直に言えば、まだ社員の生活まで背負う覚悟は持てていなかった。

世間の社長はよく言う。
「社員とその家族の人生を背負っている」と。

だが当時の僕には、そこまでの覚悟はなかった。

ところが、45歳が近づいた頃から、気持ちが変わってきた。

「社員を育てて守る」「その家族まで面倒を見る」そう思えるようになってきた。

そのきっかけは、はっきり二つある。

一つは、やっぱりYEGの卒業だ。

あれだけ打ち込んできた地域活動に終止符が打たれたことで、どこか空いた穴を、今度は会社に向けようとしたんだと思う。

「次は甲斐組を変えたい」

そんな気持ちが自然と湧いてきた。

だが、その前に立ちはだかったのが――親父だった。

僕が社長になってからも、親父はあの手この手で口を出してきた。
わからないでもないが、創業者の意地みたいなものだろう、とにかくシツコくからんでくる。

中でもひどかったのが、平成27年の出来事だ。

会長になり、開業資金に2000万円も突っ込んで、寿司居酒屋「まんぜん」を始めた。
正直、趣味みたいなもんだ。そんなもんがうまくいくわけがない。



当然赤字にもなる。
別に僕が責めるわけでもないのだが、その不満を、僕に押しつけてくる。




「こんなことやらせるお前が悪い」
「俺をこんなところに閉じ込めやがって」

挙句の果てには、
「息子に会社を乗っ取られた」
と、半分ふざけながら好き放題言いふらす始末だ。

だが現実は逆だ。
当時、会社の業績は厳しく、むしろ僕が社長になって全てを背負い、社員と共に立て直している最中だった。

親父は、店の数字が良くないと、必ず同じことを繰り返した。

社員に電話して店に呼び出し、
「現場はどうなっている」と仕事に口を出してくる。

社員からすれば困惑するしかない。
会長の店に呼ばれるのが、ストレスになるのだ。

たまにだが現場にも顔を出しては、
「こんなことやってたらダメだ」と作業を止めさせてしまう。

はっきり言って、業務妨害だった。

こんな状態がずっと続いていた。

だが、YEGを卒業し、「社員を守る」と腹をくくり始めた頃、ある一言で僕の中の何かが切れた。

「俺は親父のために生きてるんじゃねえ」

そう思った。

ちょうどその頃、親父の知り合いに愚痴をこぼしたことがあった。

その人に言われた一言が、今でも忘れられない。

「距離を置いていいんだよ、そんなの」

初めて聞いた言葉だった。

それまで僕は、跡取りだから、息子だから、
親父からの電話には必ず出なきゃいけない、
文句も全部聞かなきゃいけない、
そう思い込んでいた。

会えばケンカ。
毎回、心も体もすり減らしていた。

だが、その一言で気づいた。

電話に出るか出ないか、会うか会わないか、
そんなもん、自分で決めていいんだと。

僕の人生だ。

創業者だから、親だから、二代目だから――
そんな理由で、無理して合わせる必要なんかない。

僕は一人の人間だ。

それから、僕は親父からの電話に出なくなった。


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社員にもこう頼んだ。
「親父から聞かれたら、忙しいんじゃないですかって言ってくれ」

すると、親父はそのうち電話もしてこなくなった。
避けられていると気づいたんだろう。

こうして、親父との関係は変わった。

いや、正確には、俺が勝手に背負っていた義務を捨てただけだ。

「距離を置いていい」

この言葉を、今まで誰も言ってくれなかった。

きっとみんな同じだったんだと思う。
親父という存在に縛られて、逆らえないものだと決めつけていた。

だが、僕は初めて親父を無視した。
それができた時、はっきりと自覚した。

僕は、甲斐組の社長なんだと。

社員の人生を背負う立場なんだと。

この二つ――
YEGの卒業と、親父との距離。

それが、僕に「代表者としての覚悟」を持たせてくれた。

あの時、僕の背中を押してくれたあの人には、今でも感謝している。