飯場の子 第42話
「壁にぶつかり続ける日々」
商工会議所青年部を卒業した2016年頃、建設業界も長く続いた不況の中で、もがき続けていた。
周知の通り、1991年にバブルが崩壊。建設業界もその打撃をまともに受けた。
翌年、建設投資額は84兆円をピークに、その後は右肩下がり。2010年には半分以下の41兆円まで落ち込んだ。そこから少しずつ持ち直してはきたが、現場にはいくつもの壁が立ちはだかっていた。
中でも大きかったのが、2011年の東日本大震災による「震災復興」だ。
震災復興は国家の最優先事項だった、それは理解できるが、膨大な復興にかかるヒトは被災地・東北に集中した。首都圏の公共工事は減りもしないが、増えない。それどころか、ダンプも人も東北へ行かなければならない、首都圏では完全に“空洞化”が起きた。
(震災の被害者、被災者御遺族の方には心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます)
甲斐組でも、大型ダンプの確保ができなくなった。
さらに現場では、「プラント待ち」という問題もあった。
【西湘アスコン】
ここでいうプラントとは、アスファルトや砕石、残土などを積み込む拠点のことだ。現場で使う材料は、このプラントから大型ダンプで運んでくる。
だが、需要が一気に集中すると、このプラントがパンクする。順番待ちで何時間も並ばされるのだ。しかも最後の積み込みは「あと少し足りない」「数量調整」といった細かい調整が入るため、現場はその連絡待ちになる。
つまり、ダンプがいない、プラントが混む、現場が止まる
この「三重苦」だ。
このロスを減らすため、当時うちは大型ダンプを1台購入した。今では4台まで増えているが、当時は正直かなり悩んだ。仕事は不安定、先も読めない中での投資だったからだ。
震災特需で消えたのは、ダンプだけじゃない。人もいなくなった。
作業員はみんな東北へ行った。単価が全然違う。そりゃあ行く。人もいない、車もない。それなのに受注単価は変わらないどころか、むしろ価格競争は激化する。完全に割に合わない状況だった。
だが、この「人が足りない」という問題は、震災だけの話じゃない。日本全体の人口減少と同時に、建設業の人手不足は加速していた。
団塊ジュニアの40〜50代が一番厚い層。その下は一気に薄くなる。そして、その一番厚い層がこれからどんどん引退していく。人手不足は、これからが本番だ。
その中で現場を縛っていたのが、「一人一現場制」だ。
公共工事では、現場ごとに専任の監督を置かなければならない。つまり、監督1人につき現場は1つしか持てない。仕事があっても、人がいなければ受けられない。当時の甲斐組の現場監督は10人弱。その中で現場を任せられるのは6〜7人程度だった。これじゃあ攻めきれない。
(※なお、この規制が緩和され、複数現場の兼務が認められたのは令和6年以降の国土交通省の話だ。資格制度も緩和されたが、それでも人は全然足りていない。)
もう一つ、大きな壁があった。「くじ引き入札」だ。
公共工事は基本、最低価格で決まる。だが不況下では、どの会社も最低ラインに張り付く。
結果、横一線。最後はくじ引き。完全に「運」だ。
当然、仕事には当たり外れがある。本来なら選びたい。だが社員を遊ばせられないと考えれば、仕事を選んでいる余裕なんてない。1本1本が勝負の世界。とにかく取らなきゃ終わる。
当時は、入札のたびに神頼みだった。札の数字と工事名を書いて神棚に上げ、二礼二拍一礼。本気でやっていた。
イメージ
このくじ引き入札は、今でも残っている。僕は地方議員にも何度も言った。
「こんなことやってたら、10年後、人いなくなりますよ」
だから「総合評価方式にして欲しい」と、提言書も出した。
企業に必要なのは、「ヒト・モノ・カネ」。だが、この頃から僕は完全に「ヒト」に振り切った。
現場を取るには人がいる。人がいなければ、何も始まらない。だから、まずは選ばれる会社になること。そこで手を付けたのが、「イメージアップ戦略」だ。いわゆるCSR活動。
この頃から、いろんなことをやり始めた。自社主催で「大島フェスタ(建設フェスタ)」を開催。地域イベントへの参加。七夕の飾り付け。ビーチクリーン。湘南ベルマーレのサポーターにもなった。タウンニュースでの発信、YouTubeも始めた。
社内ではお揃いのTシャツやグッズも作った。社員に匿名アンケートを取れば、「そんなのいらないから給料上げろ」とのコメント。
正論だった…。
だが、1人年間2,000円の給料アップで何が変わる。それより「この会社いいな」と思わせる空気の方が大事だと、僕は思った。だからやめなかった。
やがて採用戦争が本格化した。県内の高校から新卒が来なくなり、僕は沖縄まで足を運ぶようになった。中途採用も、ホームページやSNSから来るようになった。
現在、社長になって13年。求人広告はコロナ前から一度も出していない。それでも、30人だった会社は90人まで増えた。派手じゃない。だが、確実に変わってきている。
中小企業の強みは何か。
地元で働けること。転勤がないこと。東京に通えば、往復2時間なんて当たり前だ。だがその時間は、家族にも、自分にも使える。これはでかい。
働き方改革も大事だ。だが、「どこで働くか」という価値は、それ以上に大きいと僕は思っている。
壁だらけだった。だが、その壁にぶつかり続けたからこそ、「何をやるべきか」が見えてきた。
人を集めるんじゃない。人に選ばれる会社になる事がこれからの建設業に最重要なミッションだと、
その覚悟が、この頃からはっきりと固まっていったのだ。





