飯場の子 第6章 23話 「どうしようもない中学生日記 部活とヤンチャ編」 | ポジティブ思考よっち社長

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飯場の子 第6章 23話 どうしようない中学生日記 部活とヤンチャ




 

地元浜岳中学に入学後、すぐにツッパリ組の洗礼を無事に受け、意気揚々の生活が始まった。

 

もう1つ、小学生から中学生になって大きく生活が変わる要因として挙げられるのが「部活動」だ。





入学と同時に、各部活では早々に2年生3年生の先輩たちによる「1年生の争奪戦」が繰り広げられる。「お前はサッカー部入れよ」、「野球やってたんだろ、他に入部するなよ」と。


 

実は、僕は小学生45年のころに剣道スクールに通っていた時期があった。

我が浜岳中学校伝統ある剣道部があそのため僕も当然、同じ剣道スクールに通っていた先輩によって半ば無理やり入部させられることになった。

 

 

昭和生まれの読者ならわかると思うが、当時の運動部は先生からも先輩からもスパルタ教育が常だった。

 

うちの剣道部は基本的に道場(体育館)で練習できるのが週に回と決まってい他の部活と体育館をシェアしなければならなかったからだ。

そのため、インドアなスポーツでありながら練が多かったわけなのだがこの外練内容本当にしんどかった。


 

その筆頭がランニングだ。学校の周りを5周走らされるのだが、周回遅れになって途中歩いていると、先輩たちが腕を両サイド引っ張り合って走らされる。

さらにしんどかったのが筋トレ3年生は外練などには参加しない


そのため外練はいつも1年生と2年生のみになるのだが、3年生の目が離れる分、2年生は普段以上に1年へのしごきが強くなる。まあ、それも伝統のようなものなのだが。



足上げ腹筋、空気イス・・・30秒と言ってきながら、28、29くらいまでカウントしたころ、今度は10に戻されたり、腹に力に入れろと言われて、先輩がその腹の上を歩くなどの「虐待トレーニング」が繰り返されていた


 

今では考えられないが、当時は途中で水飲み休憩なんかとらせてくれなかった。そんな地獄の外練が2時間。終わった頃には1年生は地面にへばりつき、毎度起き上がれない状態になっていた。




 

一方、体育館が使える中練の日では朝稽古があったが、練習量は外練ほどきつくはなく、防具を着て素振りの練習その後の午後ではかかり稽古」として竹刀を持ち、打ち合いなどをする。どちらかというと1年生には中練の日がうれしかった。



 

夏になり、3年生が引退。部活が1年生と2年生だけになると、僕は新しい2年生の部長になったヤマダさんとソリが合わなくなりさらに「ヤンチャ活動」のほうに傾倒するようになった。


 

こうしてパタリと部活に行かなくなった僕を先輩黙って見過ごすわけがない

案の定、先輩から同級生の部員を通じて呼び出しがかかった

僕と一緒に練習をさぼりまくっていたワル友「オカジ」も同様に呼び出される。二人は「これただ事じゃすまないな」と察した。



呼び出された二人は、体育館横にある普段は立ち入り禁止の松林に連れて行かれ、待ち構えていた剣道部の先輩横並びで松の木にしがみつかされ、背中越しにこう宣言される

「これからお前らをヤルからな、覚悟しろよ



その言葉と同時に、先輩たちが5メートルくらい助走竹刀を背中に打ち込み始めた

10発目くらいだろうか隣から嗚咽が聞こえてくる。隣にいるオカジは悔しさと激しい痛みからさすがに目に涙をためていた

 

その横で僕は「ここは根性しかない!」と歯を食いしばり「オカジ!負けんじゃねえ」と叫んでいた

30発は食らったろうか、ようやく解放された。最後に部長のヤマダさんが「今村、、お前なかなか根性あるな」と捨て台詞を残して先輩達はその場を去った。



松林にへたりこんだ僕たちの背中は首から腿までは、血がにじんだみみずばれが数十あり、そのシゴキの激しさを物語っていた痛みと悔しさの中、互いの傷を見合いながら、僕たちは「いつかやり返してやと心に誓ったのだ。



 

中学の出来事ではあるものの、僕にとってあそこでナキをれなかったことは、自分の変な意味での自信になった。「引いちゃいけないという姿勢を貫けたという意味では誇らしかった。



そんなシゴキにもめげずに部活をさぼり続け、結局1年の3学期に僕は剣道部を自ら退部したのだった


 

夏休みくらいから僕のヤンチャ活動は本格的になっていた、ワル先輩からの誘いもあり、夜になると親の目を盗んでは外出するようなっていた。



先輩の家で煙草をふかしながら、喧嘩の武勇伝やさらに上の先輩達の悪かった話を聞かされる。





また当時は不良暴走族もまだ盛んな時代であり、「雑誌のヤングオート」やヤングマガジンの「ビーバップハイスクール」などの話で盛り上がっていた。






当然ながら勉強なんかはそっちのけで、放課後は不良のたまり場のような学生服屋やゲームセンターなどを仲間と一緒に遊び惚け、夜は先輩たちとつるむような日常だった。


 

まあ、たまり場にいれば当然、他校のツッパリ連中とのもめごとになる。その場で喧嘩乱闘まではないが、因縁の付けあいになる。ここは結構気合の勝負で、下を向かなければ何とかなるし、そのまま意気投合する奴らもいた。


 

2年生にもなると不良のスタイルも先輩から許可を受け堂々と着飾るようになる。中ラン・ドカンに短ラン・ボンタンなど学ラン自慢を楽しむのだ


著者14歳

 

外でもめた因縁付けから他校の連中を制圧に繰り出し、平塚市内の中学のワル連中自分たちのグループ入れて勢力を拡大していくまったく馬鹿のようなことなのだが、自分なりにツッパリ道を真面目にやっていた。



著者15歳

 

そんな中で中学3年になるころには、浜岳のイマムラの名前は市内にそれなり通っていて、隣接市の伊勢原から平塚との揉め事の仲裁に入って欲しいなどの連絡までくる始末だった。


 

警察にも厄介になり、親にも迷惑をかけていたが、自分たちなりに非行少年と不良少年は違うと「掟」みたいなものは守っていた。それが自慢にもならないのだが、波乱に溢れたどうしようもない中学生日記を日々つづっていたのだ