飯場の子 第6章 24話「どうしようもない中学生日記 恋愛編」
まあ、ヤンチャ活動に没頭し、勉強もそっちのけの飯場の子にも春は来るのである。
中学1年生の時、好きな子ができた。同級生の「ヤマモトさん」という子だ。
幼稚園の時も小学校の時も好きな子はいた。が、それまでの「好き」とはわけが違う。相田みつをじゃないが「だって思春期だもの」、である。
授業の風景(イメージ)
ヤマモトさんは凄く美人というわけではないが、愛嬌がありしっかりした子で、新体操部に所属。勉学の成績も学年上位の優等生だった。
かたやこちらはヤンチャ組。到底釣り合わない。が、恋というのはこういう壁があると余計に燃え上がる。
好きな気持ちは日に日に強くなっていったのだが、思いを伝える勇気がなかなか出ず、結局自分の気持ちを言えぬまま1年生は終わった。
2年生の夏休みあとぐらいだっただろうか、ある女子の不良グループの1人に呼び出され、こう聞かれた。「ヨッチってさ、今好きな人いるの?」
「いないよ、なんで?」と返すと、どうやら同級生のマミという子が僕に好意を持っているので一度、話を聞いて欲しいとの事だった。
女子グループ(イメージ)
マミとはほとんど話したこともなく、よくは知らない女子だったが、別に嫌いじゃないタイプだったので、悪い気はしなかった。どころか、初めての女子からの恋のアプローチに内心は「嬉しさと、ビビり」が織り交ざり複雑な心境だった。
さらに僕は硬派を気取っていたため、その気持ちを表面に出さずクールに「話くらいは聞いてもいいけどな」と答えた。
するとその後、放課後に呼び出されて本人から告白され、僕は軽いノリで付き合うことにOKしてしまった。まあ、中学生の恋愛というのは、だいたいこういう感じではあるが。
しかし、しばらくたってある事が起きてしまった。
付き合うことになって早々、近くのコンビニの公衆電話に当時流行っていた「相合傘」を僕の名前とともに書き込んでいた。そのあたりは学生にとってはたまり場のようなところになっていて、同級生たちの目にすぐに留まった。
こんなのあった(イメージ)
当時はヤンチャすることに必死。男同士とつるむことがほとんどで、マミとは二人で下校することもしない。繰り返しになるが、女子とイチャイチャするようなガラじゃなかったのだ。
(なぜか校内で集合写真が好きなのね)
ただ、そんな彼女とも未だに覚えている時間がある。
「相合傘事件」があったあと、人づてにマミがひどく落ち込み泣いていたと聞いた僕は、悪かったと思い、ある日の放課後、「夜、時間空いてるか?」と誘ったことがあった。
マミは女子の不良グループには属していたが、彼女の家庭はわりと裕福で、近くを流れる川のほとりにある「新しいマンション」に住んでいた。夜の8時ぐらいに近くで待ち合わせした僕は、川にかかる橋のふもとで煙草をふかしながら彼女を待っていた。
下花水橋
しばらくしてやってきたマミと川のほとりを海へ歩き、134号線の橋を渡って、公営駐車場の自動販売機の前で座りながら缶コーヒーを飲む。しばらくして川沿いの小道を川上へ歩くと彼女のマンションの下に着く、そして彼女を見送る。そんなデートだった。
公営駐車場
会話の内容は他愛もない学校の話と不良の話ばかり、ただぶらぶら歩き、夜の散歩だけで大したことはしていないのだが、それを鮮明に覚えているのは、恐らくその時の彼女がすごく喜んでいたからだろう。あの時の彼女はずっと笑顔だった。
しかし、やはり僕はヤンチャ業が優先。もうすぐ3年になるころ、他校との勢力争いなど、ヤンチャ界も華僑に入ってくると、「こんな時に女の子にかまけてられないと」変に格好をつけて、彼女に「おれ、今もう浮ついた気持ちでいられない。」と告げ、お別れすることに。
結局合わせて数回ほどしかデートせず、実質つき合った期間は半年弱くらいだっただろうか。
でも、初めてお付き合いしたマミの事は今でも忘れられない存在だ。
ヤンチャ業で女の子にかまけてられないと恰好をつけたはずだったが、3年生になり僕は、再びあのヤマモトさんと同じクラスになる。
そうなると勝手なものだ、封印していたはずの恋心が復活。そしてお構いなしに燃え上がる恋愛感情は抑えることができない。
そしてその感情はピークを迎えるのだった。
それは中学最後の体育祭だった。3年生の種目である「仮装行列」。クラスの皆で作ったお神輿を、体育祭が終わった翌日に海まで担いで闊歩した後、夜の砂浜で燃やす、というクラスのイベントがあった。
仮装行列(卒業アルバムより)
砂浜で燃える神輿を皆で眺めていた。そういうムードの中、これまで伝えられなかった思いが爆発し、僕は彼女を少し離れた場所に呼び出した。
そして夜の海辺で「おれヤマモトさんのことが好きだ」と伝えた。「これからも多分好きだと思うから。それだけ言いたかった」と。
「付き合ってくれ」とは言えなかった。フラれることが怖くて自分の思いだけを伝えたのだ。
付き合ってくれって言わなければ「ごめんね」は言われない。そんな計算高く根性なしの僕に、彼女はひとこと「ありがとう」と言ってくれた。
夕暮れの平塚海岸
それから何日か経った後、彼女が手紙をくれた。
「本当に嬉しかったです。これからもいい友達でいてください」と。
「付き合ってくれ」とは言わなかったものの、彼女の反応から「実らぬ恋」と悟ったのだが、それでもこの手紙をもらって実に清々しい気持ちになった。
どうしようもない中学生日記もヤンチャと恋とほかに書ききれない事が本当にたくさんあった。それは青春の一遍として今も大切な思い出だ。
1年時には15人くらいだった同級のツッパリ組も一人抜け二人抜けと、減っていき。3年の時には「アサワ、オカジ、ミネオ、オギノ、シゲ、タイチ、カナメ、ヨシダ、ヨッチ」の9人になっていた。この9人は今も大切な仲間だと思っている。
文化祭のあと
そしてその仲間の一人、オギノコウジ通称「ヘギン」は甲斐組の副社長として今も僕の隣にいて、いつも支えてくれているのだ。









