昨日のI Stand Alone vol.1の「久しぶり聞き」がおもしろかったので、引き続きvol.2をひっぱりだしてきた。
そうか、この頃はまだしこたまお酒を飲んでいたんだなあ。ジャケを見るとそういう顔つきだ。
おまけにちょっとぽっちゃりしてるしなあ...。なんて、おいおい、いまごろになってジャケを変えたいなんていうんじゃないだろうね、銀次君。
I STAND ALONE Vol.2/伊藤銀次
¥2,000
Amazon.co.jp
2009年のアコギ弾き語りツアーでは、ファンのみなさんからホームページにリクエストをいただき、それを基本にセットリストを考えた。いやー、僕が選ぶのとまったくちがっているので新鮮だった。「作る人」と「食べる人」ではこうもちがうものなのか。
たとえば、vol.1に入っていた「風のプール」。割とすぐにできたので思い入れが少ない。83年のオリジナル・レコ発以来歌ってないが、リクエストがあったので自己コピーしてみた。
あれ?意外にいい曲じゃない?自分の中でもずいぶんナイアガラ色の濃い曲だなあ。みなさんからのリクエストで自分の曲のいいところを再発見することができた。
どんな曲でもいったん手元を離れたらもうお客さんのもの。お客さんに愛されていればそれでいいのだとドライに考えていたが、あらためて自分の曲達がどれもかわいく思えるようになった。そんな気持ちになれたみなさんからのリクエストに感謝しています。
この「I Stand Alone vol.2」は嘘偽りなく、歌とギターを同時録音した。確かに下手いなと思うところもないとは言えないが、ProToolsとかでなんでも直せるご時世に、あえて反旗を翻してみた。どんなにデジタル化が進んでも人間はアナログのかたまり。自分の中のアナログなアウトプットだけでどこまで勝負できるのか。非力だがトライしてみたかった。いつも志しだけは高く持っていたい。
今日はその「I Stand Alone vol.2」のセルフ・レヴューといってみようかと思う。
01) ニューライフ
佐野元春に薦められて読んだジャック・ケルアックの「路上」にインスパイされて作った。
短いあいだだが、京都でヒッピーまがいの生活をしていたことがある。その頃琵琶湖の近くでトラックの荷台から見たのと同じような素晴らしい星空に関する描写があって、そこにとても感動した。
今でもときどき京都時代にお世話になった徹君やマシューのことを思い出す。みんな元気にしているのだろうか?
路上 (河出文庫 505A)/ジャック・ケルアック
¥903
Amazon.co.jp
意外だったのは、vol.1の「ビューティフル・ナイト」と共に、この「ニューライフ」の人気が高かったことだ。どちらかといえば男のロマンというか、銀次レパートリーの中では硬派の部類のこの曲を支持してくださるなんて、ファンの方達は僕の内なるロックな魂をわかってくださっているのだ。こんなうれしいことはない。
もともとギターのために作られていないイントロを、ピアニストが左手と右手で演奏するように、ギターの低音部と高音部のアンサンブルで弾こうとすると、左手の指使いに不自然な動きが出てくる。それが昨日書いた、左手の人差し指が曲がらなくなった一番の理由である。
初日の名古屋ではちょっと痛くてどうなるかと思ったが、なんとか弾き通せた。ラッキーというしか言いようがない。
その原因になった「I Stand Aloneの3大腱鞘炎イントロ曲」というおそろしい3曲がある。
それは「真冬のコパトーン」、「Dear Yesterday」、そしてこの「ニューライフ」だ。
いずれもそのイントロに魔物が棲んでいると、もっぱら伊藤銀次一人で噂にしていた。
オリジナルの「Person To Person」のバンド・ヴァージョンでは、デヴィッド・ボウイやカーズみたいなことが演りたかった。85年頃の僕は低音に活路を見い出そうとしていたようだ。
この曲とかメン・アット・ワークとかの影響がニューライフにはある。キーワードはサックスだ。
02) 涙の理由を
自分では思ってはいなかったが、寺澤君や黒沢君が僕のことをロイ・オービソンみたいだと形容するのもわからないでもない気がする。弾き語りで歌うようになるまで、歌に自信がなかった。常にサウンドといっしょでないと銀次ワールドは成立しないとも思い込んでいた。
ところが弾き語りとなると、そんなことは言っていられない。自分の歌、声と対峙してやっていくしかないのだ。2009年は各地のライブハウスをまわりながら、モニターを通して聞こえてくる自分の歌との一問一答の日々だったような気がする。
この曲はいつも2回目のアンコールに用意してあったので、やらなかった会場もある。
気をつけないと、曲の涙ワールドに過剰反応し過ぎて、オーバーな歌い方になってしまう。
特に、前の日のこの歌がすごく観客に伝わっていたという感触のある日こそ気をつけなければならない。
お客さんを泣かそう泣かそうとして歌っている自分に気づくと、恥ずかしくなってしまう。
抽象的だが、いつも邪念のない澄んだ気持ちで歌っていたいと思う。
MCでも言ってたが、40歳を迎えるとき、日本のフィル・コリンズになるぞと意気込んで作った。見事になれなかった。原題は「涙のツンタタ」。その詩にその後の「幸せにさよなら」の趣がある。
ロイオービソンもJ. D.サウザーもまったく念頭にはなかったが、言われてみると、深いところにこの2曲の残像が残っていたのかも知れない。とにかくツンタタ・ツンタのリズムがやりたかった。。
92年に発表したとき、ファンの方達の反応はいまいちだったが、だんだん受け入れていただけるようになってきた気がする。僕はフィル・コリンズになれなかったけれど、みんなは大人になったんだね。
03) あの娘のビッグ・ウェンズデー
このイントロのギターはむずかしい。1弦の開放Eと2弦のD#、3弦のBで、♪キャララ、キャララ、キャラというアルペジオを弾きながら、1小節ごとにE、C#、F#、Bと低音を入れていく。
EからC#へ行くところはらくちんだが、C#からF#へのベースが実にムズい。
音が途切れたり,6弦のF#を強く押さえ過ぎたりするので要注意だ。
でもこのイントロのアイデアが見つかった時はうれしかった。
シンセ&ギターによる、このイントロがないと「ビッグ・ウェンズデー」じゃないからだ。
その曲をその曲たらしめている部分があり、それは歌のメロディーと同じぐらい重要なのだ。
そのアイデアが浮かぶまで寝かせておく。「Monday Monday」なんかは1年くらい寝かせてあった。
04) 誰のものでもないBABY
ポール・サイモンの「Mother And Child Reunion」みたいなポップ・レゲを作ろうと始めたが、冬っぽい少し切ない曲に仕上がった。康珍化さんの詩の影響も大きい。歌っていても心の景色が見えてきて切なくなる。
こないだのモメカル・ライヴでお話したご夫婦。奥さんがこの曲の大ファンらしく、サビの♪誰のものでもなーいベイビイを何度も僕に歌ってくださり、ほんとにいい曲ですね、今日は歌ってくださるの?と聞かれたが、あいにくギターを持ってきていなかった。もしギターがあったらサワリだけでも、歌ってあげたくなるほどノリのいい方だった。
「涙の理由を」もこの曲も歌い始めると、ライヴハウスの静けさがさらに濃密になる気がする。
05) 幸せにさよなら
この中では一番長く歌っている曲。ブルースやロックの世界からポップスの世界へ移行する節目になった曲だ。大瀧詠一さんが最初にこの曲を評価してくれた。
忘れられない思い出がひとつ。福生時代、ある日大瀧さんに「幸せにさよならのイントロ、あれはモンキータイムだろ?」と言われたのだが、何のことやらわからなかった。
不勉強な僕はオールディーズに関する研究が浅く、恥ずかしながら大瀧さんの言うメジャー・ランスのモンキータイムを聞いたことがなかった。
すぐに聞かせてもらい驚いた。モンキータイムのイントロは、まったく無意識に作った「幸せにさよなら」のイントロとそっくりだったのだ。それはカーティス・メイフィールドの作曲&プロデュース作品。僕の中に「潜在カーティス」があることを発見した瞬間。きっとそれと知らずいつかどこかで耳にしていたフレーズの残像なのだと思う。
インプレッションズとかカーティス作品をそれから意識して聞くようになった。僕の「4月の扉」という曲は、確信犯でカーティスを意識して作った曲である。
大森だったと思うが、2009年のツアーの演奏終了後のサイン会で、あるファンのかたにこんなことを言われたことがある。
「きれいな曲をいっぱい作っておいてよかったですね。」
ジーンときた。この言葉こそ、弾き語りツアーへの最高の賛辞だったからね。
そうか、この頃はまだしこたまお酒を飲んでいたんだなあ。ジャケを見るとそういう顔つきだ。
おまけにちょっとぽっちゃりしてるしなあ...。なんて、おいおい、いまごろになってジャケを変えたいなんていうんじゃないだろうね、銀次君。
I STAND ALONE Vol.2/伊藤銀次
¥2,000
Amazon.co.jp
2009年のアコギ弾き語りツアーでは、ファンのみなさんからホームページにリクエストをいただき、それを基本にセットリストを考えた。いやー、僕が選ぶのとまったくちがっているので新鮮だった。「作る人」と「食べる人」ではこうもちがうものなのか。
たとえば、vol.1に入っていた「風のプール」。割とすぐにできたので思い入れが少ない。83年のオリジナル・レコ発以来歌ってないが、リクエストがあったので自己コピーしてみた。
あれ?意外にいい曲じゃない?自分の中でもずいぶんナイアガラ色の濃い曲だなあ。みなさんからのリクエストで自分の曲のいいところを再発見することができた。
どんな曲でもいったん手元を離れたらもうお客さんのもの。お客さんに愛されていればそれでいいのだとドライに考えていたが、あらためて自分の曲達がどれもかわいく思えるようになった。そんな気持ちになれたみなさんからのリクエストに感謝しています。
この「I Stand Alone vol.2」は嘘偽りなく、歌とギターを同時録音した。確かに下手いなと思うところもないとは言えないが、ProToolsとかでなんでも直せるご時世に、あえて反旗を翻してみた。どんなにデジタル化が進んでも人間はアナログのかたまり。自分の中のアナログなアウトプットだけでどこまで勝負できるのか。非力だがトライしてみたかった。いつも志しだけは高く持っていたい。
今日はその「I Stand Alone vol.2」のセルフ・レヴューといってみようかと思う。
01) ニューライフ
佐野元春に薦められて読んだジャック・ケルアックの「路上」にインスパイされて作った。
短いあいだだが、京都でヒッピーまがいの生活をしていたことがある。その頃琵琶湖の近くでトラックの荷台から見たのと同じような素晴らしい星空に関する描写があって、そこにとても感動した。
今でもときどき京都時代にお世話になった徹君やマシューのことを思い出す。みんな元気にしているのだろうか?
路上 (河出文庫 505A)/ジャック・ケルアック
¥903
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意外だったのは、vol.1の「ビューティフル・ナイト」と共に、この「ニューライフ」の人気が高かったことだ。どちらかといえば男のロマンというか、銀次レパートリーの中では硬派の部類のこの曲を支持してくださるなんて、ファンの方達は僕の内なるロックな魂をわかってくださっているのだ。こんなうれしいことはない。
もともとギターのために作られていないイントロを、ピアニストが左手と右手で演奏するように、ギターの低音部と高音部のアンサンブルで弾こうとすると、左手の指使いに不自然な動きが出てくる。それが昨日書いた、左手の人差し指が曲がらなくなった一番の理由である。
初日の名古屋ではちょっと痛くてどうなるかと思ったが、なんとか弾き通せた。ラッキーというしか言いようがない。
その原因になった「I Stand Aloneの3大腱鞘炎イントロ曲」というおそろしい3曲がある。
それは「真冬のコパトーン」、「Dear Yesterday」、そしてこの「ニューライフ」だ。
いずれもそのイントロに魔物が棲んでいると、もっぱら伊藤銀次一人で噂にしていた。
オリジナルの「Person To Person」のバンド・ヴァージョンでは、デヴィッド・ボウイやカーズみたいなことが演りたかった。85年頃の僕は低音に活路を見い出そうとしていたようだ。
この曲とかメン・アット・ワークとかの影響がニューライフにはある。キーワードはサックスだ。
02) 涙の理由を
自分では思ってはいなかったが、寺澤君や黒沢君が僕のことをロイ・オービソンみたいだと形容するのもわからないでもない気がする。弾き語りで歌うようになるまで、歌に自信がなかった。常にサウンドといっしょでないと銀次ワールドは成立しないとも思い込んでいた。
ところが弾き語りとなると、そんなことは言っていられない。自分の歌、声と対峙してやっていくしかないのだ。2009年は各地のライブハウスをまわりながら、モニターを通して聞こえてくる自分の歌との一問一答の日々だったような気がする。
この曲はいつも2回目のアンコールに用意してあったので、やらなかった会場もある。
気をつけないと、曲の涙ワールドに過剰反応し過ぎて、オーバーな歌い方になってしまう。
特に、前の日のこの歌がすごく観客に伝わっていたという感触のある日こそ気をつけなければならない。
お客さんを泣かそう泣かそうとして歌っている自分に気づくと、恥ずかしくなってしまう。
抽象的だが、いつも邪念のない澄んだ気持ちで歌っていたいと思う。
MCでも言ってたが、40歳を迎えるとき、日本のフィル・コリンズになるぞと意気込んで作った。見事になれなかった。原題は「涙のツンタタ」。その詩にその後の「幸せにさよなら」の趣がある。
ロイオービソンもJ. D.サウザーもまったく念頭にはなかったが、言われてみると、深いところにこの2曲の残像が残っていたのかも知れない。とにかくツンタタ・ツンタのリズムがやりたかった。。
92年に発表したとき、ファンの方達の反応はいまいちだったが、だんだん受け入れていただけるようになってきた気がする。僕はフィル・コリンズになれなかったけれど、みんなは大人になったんだね。
03) あの娘のビッグ・ウェンズデー
このイントロのギターはむずかしい。1弦の開放Eと2弦のD#、3弦のBで、♪キャララ、キャララ、キャラというアルペジオを弾きながら、1小節ごとにE、C#、F#、Bと低音を入れていく。
EからC#へ行くところはらくちんだが、C#からF#へのベースが実にムズい。
音が途切れたり,6弦のF#を強く押さえ過ぎたりするので要注意だ。
でもこのイントロのアイデアが見つかった時はうれしかった。
シンセ&ギターによる、このイントロがないと「ビッグ・ウェンズデー」じゃないからだ。
その曲をその曲たらしめている部分があり、それは歌のメロディーと同じぐらい重要なのだ。
そのアイデアが浮かぶまで寝かせておく。「Monday Monday」なんかは1年くらい寝かせてあった。
04) 誰のものでもないBABY
ポール・サイモンの「Mother And Child Reunion」みたいなポップ・レゲを作ろうと始めたが、冬っぽい少し切ない曲に仕上がった。康珍化さんの詩の影響も大きい。歌っていても心の景色が見えてきて切なくなる。
こないだのモメカル・ライヴでお話したご夫婦。奥さんがこの曲の大ファンらしく、サビの♪誰のものでもなーいベイビイを何度も僕に歌ってくださり、ほんとにいい曲ですね、今日は歌ってくださるの?と聞かれたが、あいにくギターを持ってきていなかった。もしギターがあったらサワリだけでも、歌ってあげたくなるほどノリのいい方だった。
「涙の理由を」もこの曲も歌い始めると、ライヴハウスの静けさがさらに濃密になる気がする。
05) 幸せにさよなら
この中では一番長く歌っている曲。ブルースやロックの世界からポップスの世界へ移行する節目になった曲だ。大瀧詠一さんが最初にこの曲を評価してくれた。
忘れられない思い出がひとつ。福生時代、ある日大瀧さんに「幸せにさよならのイントロ、あれはモンキータイムだろ?」と言われたのだが、何のことやらわからなかった。
不勉強な僕はオールディーズに関する研究が浅く、恥ずかしながら大瀧さんの言うメジャー・ランスのモンキータイムを聞いたことがなかった。
すぐに聞かせてもらい驚いた。モンキータイムのイントロは、まったく無意識に作った「幸せにさよなら」のイントロとそっくりだったのだ。それはカーティス・メイフィールドの作曲&プロデュース作品。僕の中に「潜在カーティス」があることを発見した瞬間。きっとそれと知らずいつかどこかで耳にしていたフレーズの残像なのだと思う。
インプレッションズとかカーティス作品をそれから意識して聞くようになった。僕の「4月の扉」という曲は、確信犯でカーティスを意識して作った曲である。
大森だったと思うが、2009年のツアーの演奏終了後のサイン会で、あるファンのかたにこんなことを言われたことがある。
「きれいな曲をいっぱい作っておいてよかったですね。」
ジーンときた。この言葉こそ、弾き語りツアーへの最高の賛辞だったからね。