揺り戻しな気分 | 最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

盛夏休暇や4連休に、それなりに

飽きていたので、昨日の出勤を

楽しみにしていた。

 

だが、なんか疲れた。

 

一人の時間が多過ぎても

少な過ぎても、

なんかしんどい。

 

訪問客が来るのも

今のうちだと思うけれど、

元気ですよ、大丈夫です、

と何回も言葉にしていると

心が置いて行かれそうになる。

でもさ、他に何と言えばいいんねん。。

 

それから、元気出て来てた理由は、

自分が自分で、

本当に向き合わないといけないことに

向き合える体力つけてただけ、

な気がする。

 

次のステージに来た感じがする。

 

「夫の死」

「私が殺した」

 

束になった軽量スプーンが3種類もキッチンの

壁にかけてあるのだが、

それは本気出してなんか作るときのため。

 

これは片づけちゃいけないでしょ、

また作るため、

そう思って、

やっと、わかる。

また、は来ないのだと。

「夫の死」

はこうやって、一つひとつの習慣を

見直すことで、慣れていくのかな。

今は、彼がもう帰ってこないことを

理解したと思う。たぶん。

(でも、いつかもしかしたら、

帰って来るかも、って思うと、

ウキウキするわけさ。

ロマンがあるわけ。)

 

 

自責の念の方は、本当は自責の念どころか、

私が殺した、ということに気がつき始めた。

 

誰が何と言おうと、

私にはなんとかできたはず。

誰にも言っていない、

私の、わかってて逃げた数々の判断。

 

そんな考えが、湧いてくる。

 

でも今日、ある方のブログを読んでいて、

はっとした。

 

「強さとは、自分の弱さや情けなさを認めること。」

 

あ、私、まだ全然、

強いうちにすら入っていない。

 

そんなもの認めたら、

ひざから崩れ落ちそうで、

立っていられないに違いない。

 

そう思って、自分を守って来たんだろうな。

 

まあ、7月に全力投球した件の

興奮が落ち着いてきて、

少し前に戻った感じだな。

 

きっと私は、

どうしようもなかったと認めるより、

自分を責める方が楽なんだと思う。

 

今日はそれがわかっただけ、

よかった。

 

 

 

 

 

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