一日一日を精一杯、全力で生きたか | 最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

最愛の夫を亡くして 白い花を手向ける日々

2020年4月のことでした。歳の離れた大切な夫と、アラフィフの私。
いつまでも一緒。きっと死ぬまで、彼のことを想う。

生まれる時を選べなかったように、死ぬ時もきっと選べない。

それは自然の摂理。

だから、その日一日一日を精一杯、全力で生きること。

その積み重ねがあれば、

最後に物理的にどうであったかを超えることができるはず。

 

彼がどう思っていたか答え合わせはしていないが、私は時々、自分に言い聞かせて来た。

 

そうやって、結構長年、二人で生きてきた。

 

でも、3月に、私が目を背けたくなったことは、誰も責めないが、

私だけが知っている。

(きっと今度も大丈夫)、目をつぶろうとした。

何もかもが後手後手にまわっていて、

私は失敗した。

まわりは、私はよくやったというが、

私が失敗したことに変わりはない。

 

21世紀になって医師が神にでもなったのなら別だが、同じ人間である以上、明治時代とやっていることは大して変わっていないと思っている。不老不死の薬なんてないのだから。

 

だからこそ、私が気がついてあげなければならなかった。

 

 

彼には、私の心の動きがすぐにわかる。電話でしか話せなかったが、

いつもトーンの端々で、正確に読み取る。

 

「僕に家に帰って来て欲しくないんだ!」

 

なんであんな気持ちにさせてしまったのか。

不安でいっぱいだったのだろう。

一人でさみしかったのだろう。

 

彼は、私が彼に隠そうとした、なにか躊躇のようなものを、感じ取った。

 

そうじゃないということを、それでも私は全力で介護するつもりだったということを、実際に家に受け入れるという形で証明してあげたかった。

 

彼の本物の危機感。私は答えてあげられなかった。

 

もうすぐ退院ということだけは伝えられたけれど。

 

肝心のところで、全力を尽くせなかった。

 

力が及ばなかった。

 

 

今ならわかる。

全力で生きるということは、できるだけ、することではない。

もうだめ、本当にもうだめだ、という時に、その時にこそ、立ち上がること。

絶対、立ち上がれるから。へんな力、出るから。立てっちゅうねん。

全力で生きてきたつもり、なんですけど、力が及ばなくて、ってか?

なんやねんそれ。

そんなんで高齢の夫が守れるか。

 

 

誰が何と言おうと、私はこのことを、うやむやにしたくはない。

 

 

 

 

 

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