お袋が施設で
「テーブルを蹴るようにして車椅子ごと後ろにひっくり返って「頭が痛い」と言っているので、救急車を呼びましたので、お仕事がお忙しいでしょうが病院が決まったら再度ご連絡しますので、病院へ行っていただいてよろしいでしょうか?先生からご家族への説明があるでしょうから」
そんなワケで、運ばれた松浦中央病院へ行く
結論からしたら、大層なハナシでは無いのです
ただ「頭を打ってる」ことなので、あとで何があるかわからない
なんでも家族に訴えられますしね
お袋の所まで案内されると
扉も向こうですでに、動物園に近づいたら動物たちの声が響いてますよね、アレと一緒
奇声が中から聞こえます
何度も書きましたが、今生きている姿は「人のそれ」ではすでにありません
家族ですが「こうまでして生きなきゃならんのか?」といつも思います
ウチのお袋だって「ボケてまで生きらんでよか」って言っていましたが、そんなのカンケーね~です
人の最期は、自分で管理して終わらせない限り、どういった最期を迎えるかわかりません
だから、前にもブログに書きましたが、オレは病気もせずに80歳まで生きたとしたら、その頃あたりに首〇くろうと思ってます
ボケてからじゃ遅いんですわ・・・
生きる権利があるように、死ぬ権利もある気がします
人じゃなくなってまで、生きて何になるのでしょう?
でも、そんなお袋でも唯一、まだ我が子を認識できてるのが「完全に動物ではない」と思わせてくれます
でも、それだけのことで、今日も支離滅裂
そして、ずっと「ワン!」「ワン!」言ってます・・・まるで犬です
そして、体をずっと変な動かし方をやめません・・・きっとそういうエラー信号が脳ミソから出てるんでしょうね
そんな姿を見てると
ホント、何度も言いますが、1年前の12月に実家から救急車で運ばれ「拾った命」って何なんだ?と思います
言い方にトゲがありますが、あの時に終わっていたほうが人として人生を終わらせられたんじゃないか!?と思います
引き際というか
キリのいいところというか
潮時というか・・・さ
粘った(周囲が粘らせた)ばっかりに、この姿をしなきゃならない・・・そう思ってしまいます
でも、こうなってしまっては
簡単には死なせてもらえません
体中チューブだらけではないにしても、一人では飲まない薬もちゃんと管理下で飲ませられるので
そうそう、「急変&危篤」とはなりません
でも本来、実家の暮らしなら1年前に死んでる肉体です
なんのため拾ったんだ?
いつもそう思います