登校拒否と不登校 その4 | ミモザな日々

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真ん中の子は中学生。
私立中学入学後、すぐに学校に行けなくなり今に至る。
最初はこちらが動揺し、というか、まさしく動転し、
あれこれ必死で、泣いたり走ったり移動したりと、
それなりに手を尽くしたつもりだったのだが、
実際は空回りしていただけだった気がする。
その間に末っ子小学生も学校に行かなくなってしまい、
疲労感はどっと増した。なんだか疲れた。
あれからもう1年経つんだなぁ。
色々手は尽くした、でももうこれ以上打つ手がない。
今は、ちょっと休憩してやりすごそう。という感じだ。
やっと周囲の景色が見えてきた。
木陰に腰を下ろして休みたい。そんな気分。

真ん中の子は、生まれた時から手のかからない子だった。
親の手も、他人の手もあまり煩わせることなく、
いつも周囲を気遣って、人一倍空気の読める良い子だった。
だから、なんでも本人任せにしていて大丈夫だと思っていたし、
すっかり安心しきっていたから、
この子の抱えていた最大の危機を見落としてしまっていた。
とっくに気付けていたはずの異変や違和感を、
私は他の些末的危機に埋もれさせたまま、うっかり見落とした。
事がこうなってしまうと、ついうっかりではすまないが、
うっかりの連続ががっかりな致命傷になったのだ。

そういえば、
幼稚園の頃、コレクションしていたカードゲームのカードを、
一緒によく公園で遊んでいたお友達みんなに配っていたことを知って、
これまたうっかり叱ってしまった。
ただ一方的にあげるだけではだめよ。
交換しないと、自分が損をしてしまうよと、
正しい付き合い方を教えてあげたつもりだったのだが、
このときから既に私は間違えていたのかもしれない。

この子はきっと知っていたのだ。
自らが損をすることを敢えて周囲に示すことで、
この子のアイデンティティとイニシアティブが保たれることを。

私が躾のつもりで余計なことを教えたおかげで、
この子は一か月ほど幼稚園に行けなくなってしまうのだが、
親の私に気をつかって腹痛や頭痛を理由に園を休む我が子を、
この時のこの子の心細く辛い気持ちを、
私は知る由もなかった。
なんてことだろう・・・・・・・・・・・・・・

注意深く思い返してみれば、
こんなエピソードはこの後わんさと記憶の淵から噴き出してくるのだが、
ここまで書いて動悸と吐き気に襲われてきたので、
今日はこの辺でやめておこう。