今日は小学生末っ子の臨床心理士の先生とのカウンセリングがあった。
穏やかな笑顔と優しい口調でリードしてくれる、素敵な女性だ。
この女性と話しているといつの間にか自身の心の奥底の世界に引き込まれてしまい、
前回もそうだけど、ついうっかり本音を話してしまうのでとても困る。
楯のない、無防備な心を他人に晒すのは危険だからだ。
けど、代わりに心は少し軽くなる。
ここだけは話すものかとガチガチに武装して、かなり警戒して臨んだはずなのに、
ぽろぽろと言わなくてもいい本音が。あら、でも心はスッキリ。
さらけ出すのは恥ずかしいから行きたくない、けど行きたい。なんだか不思議なスペースだ。
子どもの登校拒否を治すにはまず母親から、というのは
ネットの記事やその手の本でよく読むけど、実際そうなのだろう。
うちの家庭は問題が多すぎる。というか、多すぎた、というか・・・
ここ数年、なぜか周囲から鬱陶しいお節介を受け続け(一時は押し売りと呼んでいた)、
それがうるさくて、煩わしくて仕方なかったのだけど、最近はその人たちに感謝している。
自分の中の、合わなかったパズルのピースがカチリ、と音を立てて符号したからだ。
あのお節介な人たちがいなければ、私は何も知らないまま無為に時を浪費し、
周囲に恨みつらみを撒き散らしながら勝手に朽ち果てていただろう。
そう、何も知らないから鬱々と無駄な寄り道をして周囲に悪態をつき、
子どもたちを、もっと深い不幸の深淵に落としていたかもしれない。
やっと光は射したのだ。けれど、
今まで限りなく頼りない味方だと思っていた近しいひとは敵に変わり、
長らく想い出の深淵で燻ぶり続けていた限りなく冷徹なひとが、
実は人間的で思いやりのある人だったのだと知った。
キーワードはまるでブーメランのように何十年前の世界ににワープして、
すべての曖昧だった継ぎはぎだらけのシーンを丁寧に拾い上げ、
これまで気づかなかった、ありとあらゆるセリフを瞬時に完成させながら、
現在に戻って私に自信と希望をくれたのだ。
私は間違っていなかった。
(問題行動のあれこれは別として)
子どもに対しての間違いはこれから正していけばいい。
私のアンバランスさも、やっと落ち着くかもしれない。
真ん中の子の復活は時間がかかるかもしれないけど、
気長に治るまで頑張ろう。と、前向きになれる気がしてきた。
今回は誰が見ても、何を言ってるのかよくわからないだろうけど、
まあ、今夜はこんなふうに勝手にあるがままの心境を叫びたい気分なので、
抽象画の文字版と思って、思いのままに文字を滑らせてしまおう。
ありのままに。