当初の計画は今回の目的地に行って、あるものを食べてから、昔行った北竜町に向かってから、さらに近隣にある「ゴールデンカムイ」で有名な刑務所を見てこようと思ったのだが、問題点が一つ出てきた。
それはある物食べるという事は、どんなに早くても11時にそこに行かないといけないのだ。
しかし、今は午前8時。
どう考えても、時間が早すぎるのだ。
そこでオヤジは逆転の発想として、行く場所を一番最初に刑務所→北竜町→目的地。という順番に変更をした。
オヤジのうろ覚えの記憶の中に、刑務所は北竜町の隣町の雨竜町にあると記憶していた。
早速、雨竜町に向かった。約30分ほどで雨竜町に到着。
しかし目当ての刑務所は見当たらなかった。
ここで雨竜町に道の駅があったので、道の駅スタンプを押す。
30分ぐらい街を回ってみたが、それらしい場所が見当たらない。
そして、近くにいた人に、「この雨竜町って、刑務所ってなかったでしたか??」と、聞いてみた。
いきなり刑務所はないですか??と聞く方も聞くほうである。
聞かれた人はオヤジの顔をみてうさんくささを感じとっていた。
「そのような建物は無いですよ。」
「そうですか??失礼しました。」
よーーく記憶をたどっていくと、ゴールデンカムイの出てきた刑務所は、確か月形町だったような???
スマホで検索してみたら、やはり月形町と出た。
雨竜町の隣街である。
早速、向かおうと思ったら、隣までは隣町でも40km先と出た。行って帰ってきたら、確実に2時間かかる。
たかが刑務所をみるだけで午前中を失うのは辛いので、さっさとパスする。
続いて雨竜町の隣町の北竜町に向かう。
ここは20年近く前に家族で来た事がある。
当時は真夏でひまわりの迷路で遊んだり、2匹の竜のゲートを見たりした記憶がある。
20年後にまさかたった一人でこの場所に来るなんて、思いも付かなかった。
北竜町の道の駅のゲートの上から。
10分ぐらいで到着。
シーズンも終わったからかもしれないが、あんまり人もいなくてがらんとしていた。
今でもこのゲートの上に登って、ニコニコ笑っていた娘2号の姿を思い出す。
時の流れは実に残酷である。
昔を思い出したくてこの場所に来たのであったが、それがかえってオヤジの寂しさを増長させてしまった。
しばらく感傷にふけるオヤジ。
「さあ、次に向かおう。」
ここでも道の駅のスタンプを押して、いよいよ今回の目的地を目指す。
今回の旅の目的地。
そこは幌加内町である。
ここに決めたのはたまたま偶然であった。
録画していた北海道の旅の番組を数日前に見た時であった。
この幌加内は蕎麦が有名な町であった。そこで作られた蕎麦を出演者が美味しそうに食べていたからだ。
たった蕎麦一杯の為に、走り始めた旅であった。
で、なんで日本一の称号が3つあるのか??
①蕎麦の畑の面積が日本一。
②日本最大の人造湖「朱鞠内湖」(しゅまりこ)がある街。
(雨竜第一ダムによって堰き止められたダム湖であり、人造湖としては日本一の広さを誇り、周囲は約40km、水深は約40mとなっています。)
③日本最寒記録「-41.2度」
オヤジも今回初めて知ったのだが、今まで日本で一番寒い街は陸別だと思っていたのだが、日本で公式な一番寒い記録は、旭川のー41度であるのだ。
しかし、なんとここの幌加内町母子里では1978年にこれより0.2度低い-41.2度を記録という事であった。
残念ながら気象庁の公式記録の対象からはずれていたため、旭川の記録が公式記録になっているという事である。
何だか幻の日本一というのが、魅力的な響きである。
と言いつつ、1時間ほどで幌加内街に到着。
早速、目的のお蕎麦屋さんに入る。11時開店で3時閉店である。
今回入った店は、一旦名前を記載してから外で待って、順次呼ばれるという方式をとっていて、さらにお蕎麦が用意した分が無くなれば、その場で閉店というすさましいお店であった。
ちなみに受付している人が、次から次に人が来て忙しかったので、ブログにお店の紹介をしても良いのか??という許可がとれなかったので、ここでは幌加内のお蕎麦屋さんという事として置く。
まあ、この町で有名なお蕎麦屋は6店舗ほどしかないので、すぐに分かると思うが・・・
案の定、オヤジが待っている間にも次から次に人が入ってきて順番を待っていた。
オヤジの番が来たので、入店してお蕎麦を頼む。
オヤジは暖かいお蕎麦とかしわミニ丼を注文。
来たお蕎麦を見て、失敗したと思うオヤジ。
それは・・・お蕎麦の丼が通常のお店よりもかなり大きいのだ。
お蕎麦の写真は撮っても何とも言われなかったので、この画像だけは乗せますね。
お蕎麦の丼は、通常のお店の1.5倍位の大きさであった。
メニューにはミニかしわ丼と書かれていたが、どう考えても普通のお店では通常の量の大きさである。
お陰で量が少ないと思って頼んだミニかしわ丼を余すぐらいの量であった。
どうりで馴染みのお客さんは、お蕎麦しか頼んでいなかったなぁーー。
ようやく食べ終わり、次の目的地の朱鞠内湖に向かう。店から出てすぐに標識があったから、迷わずに走れた。
運のいい事に、日本最寒記録のモニュメントもあったので、旅はここまでとした。
(本当はさらに走ると、別な本格的なモニュメントがあるらしいのだが、オヤジ的には日本一の称号を3つ制覇したという事で、ここで満足したしだいである。)
旅の目的が終り、ここから旭川に向かおうとした。
距離的に一旦戻って旭川に向かうよりも、更に奥に走って一旦剣淵に入ってから旭川に向かうほうが近いと感じたのでここから剣淵に向かう。
ここまで元気が良かったオヤジであったが、お腹がふくれていたのと、昨日の睡眠時間が経った30分ほどであったのが災いして、段々睡魔が襲ってきた。
剣淵から旭川の隣町の当麻までやっとの思いで帰ってきたオヤジである。
当麻のコンビニで力尽きたオヤジは、S2000のきついシートで静かに目を閉じた。
今までS2000の乗って眠たくて休憩をとっても、リクライニングが出来なくて絶対に眠れなかったのだが、今回はさすがにきつかったのだろう。
気が付くと15分ほど気を失っていた。
お陰でまた体力が復活してきた。
当初、旭川では数か所のリサイクルショップと古本屋を巡り、夕食を食べてからまた昨日行った健康ランドで1泊。そして次の日はまた気ままに走りながら帰宅。と考えていた。
しかし目的地を行き終えたオヤジには、もう今回の旅を続ける魅力は何も感じなかった。
時刻は午後5時。
これから帰っても、途中で食事をして帰っても9時には帰る事が出来る。
「帰ろうか??」
いつの間にか独り言をいうオヤジ。
「よし、帰ったら、明日は別な事が出来る!!帰ろう!!」
そう決めたオヤジは、あたりが暗くなり始めた道を帰りだした。
帰りも遅い車をバンバン抜かしながら帰るオヤジ。
こんな時はパワーのある車は楽だ。
ストレス・フリーで走れる。
あたりは真っ暗になっていた。
そんな時に落とし穴が待っていた。
時速80km/hほどで走っていた時であった。
バイパスの前方でハザードランプが二つ!!
「事故か!!」
あわててライトの遠目を近目に切り替えた途端!!あたりが急に真っ暗になった。
何もわからずに急ブレーキを踏む。
(電飾系が逝ったか??)
ブレーキを踏みながらとりあえず路肩に寄せようとする。
一応、念のためライトを付け直した。
すると、ライトはまた輝き始めた。
なんてことはない近目にするつもりが、自分でライトを消してしまっていたのだ。
ハザードランプを付けていた車は事故ではなく、故障のようであった。
「そろそろ集中力が切れ始めてきたな。」
「旅は無事に帰宅しての旅だ。これからは安全運転。安全運転。」と言いながら、数時間後、無事に帰宅するオヤジであった。
これで今年のオヤジとS2000の本当の走りは終わり。
10月いっぱいまでS2000は運転はするが、それは単にS2000で移動というだけであって、オヤジ的には走るという行為ではないのだ。
そしてまた半年間の長い冬眠に入るのだ。
PS:あとがき。
翌日の4日目は朝からの大雨でした。家にいても寒く、まさに暖房を入れたい状況でした。
たっぷりとS2000と走り切ったオヤジは、何もする気も無く家のソファーでひたすら仮眠をとっていた。
昼からスポット的に雨が止んだので、オヤジは早速ガソリンスタンドに行き、S2000の洗車とワックス掛けを行った。
雨の日に洗車という行為を見て、周りの人は不思議がっていた。
しかしオヤジはいままで頑張って走り切ったS2000をそのまま汚れたままにしたくなかったのだ。
すぐにまた雨が降れば確かに汚れるであろう。
しかし、事故も無く無事に走り切ってくれたS2000への、ほんの少しばかりであるが、オヤジの感謝の気持ちなのだ。
2020年、10月6日
日に日に冬が近づいてくる季節を感じながら。
Last Run
-完ー
良かったら、今のオヤジの生き方に、多大な影響を与えてくれた、この二人のブログも、遊びに行ってみて下さい。