幻のスカZを追え!-プロローグー | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

40年前、オヤジが20代の頃の旭川の市街にて。

 

 1台のマフラーからけたたましい爆音がするフェアレディZの俗にいう族車が、交差点で歩いていたオヤジの横に停まった。

「ふーん。S30Zかぁーー。」と、当時は何気なく見ていたのだが、何となく普通のZと雰囲気が違っていた。

 

 オヤジも若いころから車は好きだったので、一応、Zや他の車の見分けぐらいはできた。

 

 その車は前はフェアレディZ(S30)だったのだが、何と後ろの横はローレル(俗にいうブタケツ)であった。

 

S30Zね。

で、後ろのサイドがブタケツ、ローレルね。

 で、走り去るテールはスカイライン(ケンメリ)のテールであった。

で、後ろのテールがケンメリのテールね。

 

 要するに前がZ,後ろがローレルという、俗にいうニコイチ車(接合車)を初めて見た瞬間であった。

 

 当時はこのローレルZは車検は公認だけど、あまりにも凄い改造の為、警察からあまり大広げに公道を乗らないで欲しいとか、2輪のWGP GP500に出たYZR500が保安部品を付けて公道を走っている。という眉唾な噂が出ていて、ウソか誠かという話が多かった。

 

 しかしこの公認ニコイチ改造車を見たのは、後にも先のも初めてであった。

 それから40年の月日が経った。

 

 5年前、GTR乗りの友人Iの影響で、オヤジも一人前の旧車乗りと変わっていた。

 そして彼と旧車のイベントがあるたびに見に行っていた。

 この3年間コロナの影響で、旧車のイベントは影を潜めていた。

 

 そして今年、何気なく北海道の旧車のイベントを調べていたら、8月の21日に旭川で行われることを知った。

 

 そこで休みを取っていくこととしたオヤジであったが、今回の参加者はなんと娘1号であった。

 

 彼女はオヤジの愚かな血を引いたせいか、女性でありながらも車好きとなっていて、運転免許もこのS2000を乗る為に、マニュアル車を取得しなおしたほどの強者である。

 

 更にオヤジの得意なゲーセンの湾岸ミッドナイトでも、格下のクラスCながらもオヤジのクラスBを打ち負かすほどの成長を遂げ、オヤジが立ち上げたこのクラブ・ミッドナイトの確実な次期、総長の座を狙っていた。

 

 オヤジの家から旭川迄約200km。通常車で3時間30分、少し飛ばせば3時間ほどである。

 

 その為、今までは朝早く6時ぐらいから、S2000で旭川に向かって走り、旧車のイベントを見て、日帰りで帰ってくるパターンであったが、今年は年のせいか、日帰りがきつくなった。

 

 そこで、前日の20日を早退して、夕方から旭川に向かって走り、ビジネスホテルで1泊して、ついでにもう何十年も行かなかった、美瑛のトリックアート美術館も行ってみようという事となった。

 

 宿泊が21日の土曜日であったので、旭川のビジネスホテルはもうほぼ、2人で1泊2万円が相場であった。

 そんな中、宿泊先を急遽色々と調べたオヤジは、素泊まりで一人3千円、駐車場代が1泊1,000円という格安物件が見つかった。 

 迷わずそこをゲットするオヤジであった。

 

 21日当日、5時40分に自宅から旭川に向けて出発。

 

 途中、緋牛内、生田原、白滝とトイレタイムで3回ほど休憩を取りものの、夜のバイパスはあまり車も少なく、飛ばすに飛ばして、3時間ほどの8時40分で目的地に到着したオヤジであった。

 

 遠軽から旭川間のバイパス間で、マフラー2本だしのセダンが先行で飛ばしだしたのだが、所詮スポーツセダン。

 追い越し車線で瞬殺して追い越して行くオヤジであった。

 

 3回目のトイレタイムで、下白滝の道の駅に停まった時に、後でこのセダンが追い付いてきたが、ここで初めてこの車が3代目ソアラだと知った。

この車ね。

 ドライバーを見ればオヤジより少し若い50代の男性であった。

 

 ープロローグー 終了。

 

 良かったら、今のオヤジの生き方に、多大な影響を与えてくれた、この二人のブログにも、遊びに行ってみて下さい。