還暦。 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

  今日はオヤジの60歳の誕生日。要するに還暦という事だ。

 ついに赤いチャンチャンコを着ないといけない年となったのだ。

 

 さてさて、赤いチャンチャンコの由来を調べたら、非常にめでたいことが書かれていたが、オヤジは今の今まで、赤いチャンチャンコは、縁起でもない話のほうだと勘違いしていた。

 

 60歳で年を取った老人は、もう社会的には役に立たないから、姥捨て山に捨てられるのだが、中には生きて戻ってこないように、薪を背負わせ火をつけた。という話の由来から、赤い(火)チャンチャンコを着せる。という話だと、ずーーっと思っていた。

 

  うーーん??どこで、どう間違って覚えたんだろうなぁーーー???

 

 さてさて、オヤジが少年オヤジだった頃は、60歳の人はかなりのお年寄りだというイメージが多かった。

 50代はまだお父さん世代なのだが、60代は完全におじいちゃん、おばあちゃんというイメージである。

 GTR乗りの友人Iなんかはもう孫がいて、完全におじいちゃんしている。

 

 彼曰く、GTRは2枚ドァーだから、売り払って孫も楽に乗れるような4枚ドァーの箱スカを買おうかな??と、言い出している。

 もう。まったくもうーー。みーーんな孫にはデレデレなんだからーーー。(笑い♪)

 

 いざ、自分が60歳と言う年齢になった今、何だかまだまだ年寄りという実感が無い。

 

 未だに若者に交じって、ゲーセンで首都高や峠を攻めていたりもする。

 

 今年は娘2号の為に、札幌トンボ帰りの30時間耐久レースまでやってしまった。

 

 

 今朝、娘2号から誕生日のお祝いのラインが入った。

 

 その時に、昨日、夢を見たんだけどもお母さんが出てきて「お父さんにおめでとう。と、言っておいて。」と頼まれたよ!!という内容であった。

 

 その話を聞いて、何だかかみさんは亡くなったのではなく、別な世界に行っているような気になり、朝から少しうれしくなった。

 

 オヤジの父親が亡くなったのは、オヤジが30代の頃,丁度父親は69歳であった。

 

 いま迄、病気一つしたことが無く、ピンピンしていたのが、急に倒れてから3ヶ月であっという間に逝ってしまった。

 その時は初めて身近な人の死に対してと、自分も死ぬという恐怖におびえ続けていた。

 

 50代の頃には母親、義理の母親、そしてかみさんが立て続けに亡くなった。

 もうその頃には、いつかは自分の番だな。という意識があった。

 

 特にかみさんが亡くなった時は、自分も2,3年のうちには亡くなるのだろう。(当時は旦那が亡くなっても奥さんは長生きするが、かみさんを亡くした男性は、数年のうちに亡くなる率が非常に高いと言われていた。)という意識が頭をよぎり、万が一のために残された子供達を誰に託せるかという事を真剣に考えていた。

 

 この60年間。悲しい事は沢山あった。が、楽しい事、うれしい事はそれ以上に沢山あった。

 

 50代の頃は誕生日は、死に近づく1日。という事で、非常に嫌な日という思いであったが、最近は、かみさんに再び会える日が近づく日。という事で、1日。1日が待ちどうしい日である。

 

 ブログでお付き合いのある主(あるじ)さんは、いつか自分の命の旅が終えるときに、「楽しかったと思える人生でいたいですね。」と、書かれていた。

 

 しかしオヤジは欲張りである。

 

 自分が亡くなるときにそう思うのではなく、今も1日、1日が楽しいと思える日にしたい。

 

 そう思った途端、他人に対する妬みやしつと、またはいさかいの相手をするのはもうやめた。

 

 自分が他人に対しての負の感情を持って生きてるのは、自分の時間がもったいないのだからだ。

 

 いま、この瞬間が自分が楽しいと思わないと、実にもったいないのである。

 

 そう思った瞬間、最近では感謝の気持ちが生まれてくる。

 

 他人が自分に対して行ってくれたちよっとした親切。五体満足に動けるこの体。

 ほんのちよっとした小さなことでも、感謝の気持ちが溢れてくるのだ。

 

  2021年12月10日。

 

 かみさんに合える日がまた1歩、近づいた日に思った事。

 

 PS:ただ気がかりな点が一つ・・・・かみさんが亡くなった後に、だまって買ったカタナやS2000。

かみさんに再び出会った時に、どう言い訳しょうかなぁーーー。(笑い。)

 

 

 よかったら、こちらのブログにも、遊びに行ってみて下さい。