人生、経験は全て何かに繋がっている。ー無駄な事は一つもないー | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 

 人生、経験は全て何かに繋がっている。ー無駄な事は一つもないー

 

 この言葉は、先日、オヤジのラインに、またまた久しぶりに現れた、あのクラブ・ミッドの伝説的な、創設者のSさんからの言葉である。

 

 最近はすっかりこんな話しかしないんですね。と、多くのかたから言われそうであるが、もう少し付き合ってもらいたいと思う。

 

 ここで、このブログのタイトルの意味を少しばかり、話したいと思う。(実はキョージュは、走り屋関係の事はさっぱりのため、Sの称号ってどんな意味?)と、聞いてきたからだ。

 

 ご存じクラブ・ミッドナイトのクラブは、もう時効となった30年前に(なっていますよね。笑い)、Sさんの新車のRX-7のFCで、真夜中の高速道路を走っているときに、真っ白なポルシェが悠々と、このFCを追い抜いた時があった。

(運転はトーゼンSさん。オヤジはチキンだから、助手席でガクブルの世界であった。)

 

「追っかけようぜ!!」と、更に加速していき、メーターが180km/hに達した時に、RX-7が燃料調整がはいって失速。

 ポルシェはさらに加速して、オヤジ達の目の前を去っていった事があった。

 

 この強烈な体験後、オヤジは勝手にSさんを実行隊長として、オヤジは初代総長として作り上げたクラブである。

 

 その後、あまりにもバカバカしいオヤジの行動は、全国の前途ある有望な若者の脳を確実に侵していき、何と8人もの若者が、オヤジの甘い言葉に連れられて、いつのまにか入会させられてしまったという、狂気の集団である。

 

 そして、Sの称号。というのは、HONDAではもともとレースに勝てる車しか、TYPE Rと言う称号を与えられなった。

 NSX,アコード、インテグラ、シビックのこの4車種のある特定の車だけに、TYPE Rという赤いエンブレムを付けさせた。

 

 このSとはもちろんS2000から取ったSで、TYPE:Rの称号に対抗して、Sの称号となったわけです。

(S2000は実力はTYPE:Rに、充分に対抗できる力がありながら、オープンカーというだけで、TYPE:Rの称号はもらえなかった。)

 

 という事で、クラブミッドナイト。Sの称号となります。

もちろん、昨年のSの赤バッチを付けてから、第2章となりました。

 

えつ??

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車。のもう1台って、何の車ですって??

 そんなの、ある訳無いに決まっているじゃないですか??(逆ギレ状態)

 

 あのFFXのジェクトさんも、無い必殺技をあるように見せて、プリッツボールのシュートに、○○2号と名づけましたよね。

もう一つの悲運の車って書けば、何だかカッコいいというだけです。(笑い♪)

 

 さてさて、昨日、またまた久しぶりにあの伝説のSさんから、ラインがやってきた。

 

 今まで愛機であったGTR R33 弐号機 を昨日、業者に売った。という事であった。

 

 実はSさんはR32を売った後に、このR33を購入。さらにチューンドさせて今まで走らせていたのだ。

 


 

 

  R33こそ悲運な車であった。

 あのドイツのニュルのサーキットを、R32よりも21秒も速く走りながら、GTRの失敗作。と、言われ続けてきた車である。

 

 実際、彼の息子は、友人からはR33はGTRの失敗作と言われて、実際にSさんに聞いたそうである。

 

 実は息子さんのその友人は強烈なるイニDや、湾岸のファンであり、その本を読んだことにより、R33は失敗作と、彼の心に刷り込まれたということであった。

 

 R33から降りたSさんが、今度選んだ道は、自転車競技に復帰するという事であった。

 こんな感じの自転車ね。

 

 SさんはR33と,自転車の掲載の了解と、自分の顔出しもOKと、言ったのであるが、

 

 何せこの話を読んだKサツ関係者にからSさんが、逮捕されると困るので、(そんなのある訳ないじゃん。)一応、招待不明として置いた。

(実はミッドの会員が多くなり、あのSさんって本当に存在しているの??とか、クラブミッドって、総長の妄想のクラブなんかでないですか??という、問い合わせが多くなったことは、もちろんありません♪キッパリ)

 

Sさんは言う。

 

「スピードを操るってことは、実は安全なマージンを確保できてないとダメなんですよね。

レースではそこを学びました。

それと、体の使い方は、今のボーカルに生きています。

 

人生、経験は全て何かに繋がっているんです。

無駄な事は、一つも無いです。」

 

と、語った。

 

その夜、娘からまたまた新しい相談と、キョージュからラインがやってきた。

 

※この二人って考え方がおなじせいか、オヤジの元にラインがくるのは、いつも同じ日の同じ時間帯が多かった。

 

 そこでまたまた三者密談などを、真夜中の午前0時近くから始まった。

 いやー。語った、語った。人生観から現代の教育まで、色々3人で語ったよ。

 

 特にオヤジの「(自分の)人生は(クルマやバイクなんかを)無駄使いをいっぱいしたけど、充分に楽しい思い出が出来たし。」更に、

「人生は全て無駄ではないんだよ。」と言う言葉に娘はくらいついてきた。

 

 だって、それはそうでしょうね。さっき、無駄使い一杯した、と言っていたから急に反転して、無駄の事は無いというんだもの。

矛盾していますよね。

 

 あの時は、Sさんの言った「人生、経験は全て何かに繋がっている。ー無駄な事は一つもないー」と、言いたかったのだ。

 

娘には「無駄使いと、人生の無駄は違うよ。」

「無駄使いはしたけど、自分の人生には、バイク仲間の主(あるじ)さんや、車関係で無二の親友のIの関係が出来たし。」

「他人から見たら、お父さんは確かに車やバイクで沢山無駄使いをしたけども、それにって他人よりも本当の友人が出来たと思っているの。」

「この気持ちはわかるかな??少し難しかった??」

 

 この後、結局、3時近くまで話し込んで、途中、娘は寝落ちしていた。

 

 だけど、この経験は娘にとっては大変貴重な経験だったと思う。

 

 キョージュと話すのは面白い。

オヤジが漠然と、色々な話をしたら、それはハッキリした言葉で表してくる。

 

 その瞬間、オヤジは「ああっ。自分はこういう事を言いたかったんだ。」と、分かるのだ。

 

 キョージュとは、もう、一人の漢(おとこ)として、男親として、教育者と、一人の生徒の親として語りつくした。

 

 そして、キョージュは決して、教授の肩書を持つ厳格な先生ではなく、一人の熱いハートを持った漢(おとこ)だという事が分かった。

 

キョージュと別れたオヤジは時計を見ると、時刻は午前3時を過ぎていた。

 

 もう布団に入る気にもならない為、久し振りにソファーで寝転んで、短い朝を待った。

 

 あの時Sさんが言った言葉。

 

人生、経験は全て何かに繋がっている。ー無駄な事は一つもないー

 

今の娘には少し難しい言葉であろう。

 

 たぶん、彼女がオヤジと同じ年齢になった時に、色々な挫折や失敗をおぼえた後に、初めて語ることが出来る言葉なんだと思う。

 

 

「Sさん。いままで本当にクラブミッドナイトの宣伝塔お疲れ様でした。

 だけど、たとえGTRから降りたSさんだとしても、いつまでもオヤジの中では、クラブミッドナイトの伝説的な創設者です。」

 

 

  またまた、キョージュのブログを貼り付けています。

良かったら、覗いてみてください。