1月8日。その日ー2- | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 

 さてさて、前回書いたその日、1。

では、二つ目はなんだと言うと・・・・・・・

 

 なんとオヤジのブログのフォロワー数が、初めて1,000人を超えた日であった。

(今はフォロワー数が増えたり、減ったりして、多分、この後、1,000人を切ることでしょう。笑い♪)

 

 

  多分、このブログを読んだ90%以上の人が、自己啓発かなんかのブログと勘違いして、勝手にフォロワーして頂いているのだ。

 が、気が付いたら全然違うブログの為、今では2人フォロワーされたと思ったら、4人退会されるという、実に浮き沈みの激しい状態となっている。(爆笑♪)

 

 おもえば、このSの称号の前のブログ。「キリンに憧れて」のブログ、10年前の2011年12月5日から始まったブログであった。

 

 当時は自身の自動2輪の大型免許の取得と、初めてのバイク。ZX-14Rの購入の様子を書き綴つたブログであった。

 しかし、1週間経ってもだれもアクセスは無かった。

 さすがにこれは凹んだなぁーー。

 

 そんな時、知人のアドバイスで、「自分のブログばかり書いていないで、他の人のブログも読んで、コメントしてみたら??」という事で、バイクの画像が出ている人のブログに片っ端から、出没してみた。

 

 それによって、自分の意見を聞いてもらいたいのなら、まず相手の意見をきちんと聞かないといけないという当たり前のことを、初めて知った訳であった。

 

 ブログ上でお世話になっている主(あるじ)さんも、その初期の大切な方の一人だ。

 単に、当時乗っていたMASAMUNE君という、CBR1000RRの画像を見ただけで、勝手にこの人は、バイクのブログを書いている人だ。と、勘違いして、勝手にお友達になっていったのだ。

 実際は主(あるじ)さんは、経営者としてのブログを書いていたのだが・・・(実にバカだねぇーー。オヤジは。)

 

 あれから10年、おかげでオヤジは大変貴重な経験をした。

 

バイクのブログのくせに乗れもしない大型バイクを買い、勝手に転倒して、次のバイクに乗り換えて。

 

 そして初めて主(あるじ)さんが北海道の来道するという事で、慌てて、バイクに乗る練習をして・・・

(当時はせいせい片道40kmも走ったら、疲れてダウンした状態であった。多分、理由は・・・・きっとバトルスーツのせいだと思う。爆笑♪)

 

 おもえば、バイクに長時間乗ったのは、後にも先に、あの時と、1回ぐらいしかなったなぁーー。

 

 ブログを続けていくうちに、大切な人との別れも、数多くあった。

 

 自分の妻との死別もそうである。

 

 あの時は、あまりにも悲しさが激しい時は、涙も出ないと初めて知った。

 

 またS2000を手に入れたときに、ある理由でかなりストレスが溜ったことがあった。

 

 だれも相談相手がいなかったオヤジは、またもや無謀にも主(あるじ)さんに、ストレスのグチをこぼしてしまった。

 

 本当に当時は嫌な思いをさせてしまって、すみませんでした。主(あるじ)さん。

     m(__)m ペコリ。

 

 

  しかし、主(あるじ)さんはオヤジなんかよりもはるかに大人であった。

 

 勝手にグチを吐いたオヤジに、心暖かい言葉を頂き、さらにオヤジのストレスになった相手の方にまで暖かい言葉を送ってくれた。

 

 このブログを書くうえで、オヤジは一つだけ守ろうとしていることがある。

 

 それは自虐ネタはOKだが、相手を攻撃するネタだけは、決して書かないという事である。

 

 オヤジも人の子である。だからなかなか上手く、それも出来ないのだが・・・・・

 

 フォロワー数が多くなってきたときに、オヤジは何回か、大間違いをしたことがあった。

それはフォロワー数=自分の力だ、と勘違いした事である。

 

  フォロワー数が多くなればなるほど、自分の言っている事は正しい。と勘違いをしてしまうのだ。

 

 本当は相手の言い分もあるし、自分の言い分もある。だから意見が違うのは当たり前なのだが、自分の言い分のほうが正しいと、勘違いしてしまうのだ。

 

 小学生の頃、オヤジは大人になったらマンガ家になりたかった。

 そして、高校生の頃は、物書きとして生きていきたかった。

 

 あれから40年以上経って、オヤジは何者にもなれなかったが、今では逆に良かったと思っている。

 

 マンガ家や物書きなら、書く条件や締め切りが必ずあるから、今みたいに好きな事を、好きな時に自由に書けるという事は、決してできなかったであろう。

 

 物書きを諦めたときは、いつか自分史を書きたいな。と、思っていたが。考えたら、このブログが自分史のようなものである。

 

  できれば、オヤジがこの世にいなくなった後でも、二人の娘たちが、オヤジのこのブログを発見して、「ほんとお父さんって、バカばかりやっていたんだね。」と、笑ってくれれば良いかな。と感じた日であった。

 

 2021年1月18日。Sの称号の一区切りとして。

 

PS:実はブログを書き始めた時はある一定数のフォロワー数を達成したら、終える予定でした。

 それがこの1,000名という数字でした。

 

 が、もう10年も続けていると、自分の生活の一部に変わるんですね。

 

 今ではこのブログが無い生活が考えられません。

 

 これからもまだまだ、オヤジのブログは続けますよーーー。

 

読者の皆さん。

まだまだ見捨てないでねぇーーー。

m(__)mペコリ♪