平凡な人生こそ・・・・・・・・・・ | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 1週間ほど前であるが、オヤジの身内の大切な方のお子さんに不幸が起きた。と言う連絡がオヤジに入った。

 その人はそれでかなり精神的にまいっていて、立ち直るに、多分時間がかなりかかりそうだ。と、連絡してくれた。

 

 普段、ポジテブ発想なオヤジであるが、この連絡に直接、その家庭に関りのないオヤジであったが、オヤジ自身が立ち直るのに2日間を要した。

 いゃ、立ち直るために、あえて今まで行っていなかったゲーセンに行き、前に夢中になっていたイニDを何回も起こった。

 峠はやはり良い。たとえそれがバーチャルな世界でも。

自分自身の心を真っ白にして、シルエイティや86を追い回しぶち抜く。

 10回ほども行ったあたりで、心地よい汗と共に、精神的に参っていた心も少し晴れた。

 

 ここでようやく、いつものオヤジに戻ることが出来た。

 

 そして、いまのオヤジの暮らし方。平凡な人生の今は一番幸福なんではないかな??と考えるようになった。

 

 そんな時である。先日、このクラブ・ミッドナイトを立ち上げた、創世者の伝説のファーストナンバーのSさんから連絡が来た。

 前回、連絡が途絶えてから、ほぼ2年ぶりの事であった。

 まるで、このオヤジの今の現状を知っていたかのような連絡であった。

 

 2年間、一度も連絡が無かったのであるが、つい昨日まで話していたように、二人の会話は続いた。

 

 昔は首都高で格上のGTR R35をチューンドしたR33で追いかけまわしていたSさんであるが、今は音楽のプロの方とセッションしながら、ボーカルとして活躍されているそうであった。

 

 オヤジは素直に、身内に起きた不幸な出来事、そして今のオヤジの心情をSさんに話した。

 Sさんはそんなオヤジの心情を理解してくれ、いろいろと自分の意見を言ってくれた。

 

 そして最後の別れ言葉に、「歌と家族以外、なんもないですけど、それが最高かも。」と言う言葉を残してくれた。

 

 30代の頃、父親が亡くなった時は、「大した苦しみもないかわりに、大した喜びもなく。大した努力もしないかわりに、大した成果もえられず。ぬるま湯につかったように生きて、死んでゆく人間が多い中で、慟哭を味わえる人間は幸福なのだと!」 と言う言葉を信じていた時は、あえてこの悲しみを受け入れていた。

 

 しかしかみさんが亡くなった時から今まで、「平凡な人生こそ一番幸福なんだ。」という、この簡単で単純な答えにたどり着いくのに、実に7年もかかってしまった。

 

 オヤジがS2000を買った時に、「オヤジは良いよな。カタナやS2000を買って乗り回せて。」と、オヤジに話しかけた人がいた。

 オヤジはその人に何も言わなったが、その無神経ぶりな言葉に腹が立った

 

  オヤジが本当に望んでいたことは、カタナやS2000を買って乗り回す事では無かった。

 

 もう絶対にかなわない望み。

 

 子ども達が手がかからなくなった時に、小さなワゴン車でかみさんと二人で、のんびり車中泊をしながら、北海道中を旅をするささやかな望み。

 平凡な人生だが、それこそ、オヤジの求めていた望みであった。

 

 この7年間、本当にいろいろな事があった。

 しかし、最近ようやく、オヤジ家も平凡ではあるが、静かでささやかな幸せな人生を送ることが出来てきた。

 

 また、今年はコロナの為に、多くの方が職を失ってしまって、明日をどう生きようかと悩まれている人もいるであろう。

 それを考えたら、普通に暖かい家で、充分に食事が出来る事こそ、本当に幸せな事ではないだろうか???

 

 人は他人が自分よりも良い人生を送っていたら、その人の人生をうらやみ、ねたんだり、文句を言ったりする事は多い。

 

 最後にこのブログを読んでくれている、読者諸君よりもほんの少しだけ長生きしているオヤジが、君たちに一つだけ言いたいことがある。

 

 「人生は思ったよりも案外短いのだ。だから他人をねたんだり、うらやんだり、他人に文句を言っているヒマなんか無いのだ。」

 「そんな時間があったら、少しでも自分を好きになり、平凡でもささやかな幸わせを感じて欲しい。」と言う言葉を。