長距離ランナーシリーズ第4段!!父として、親として:最終話。 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 翌、7日。今日は娘と朝食を食べてから、お別れの予定であるが・・・・・

 昨日のバイキングの為、朝から胸焼けを起こしているオヤジです。

 

 8時過ぎに起きだしてきた娘に、「お前?お腹空いている??」と、尋ねると、娘もお腹がいっぱいだから朝食はいらないと答えた。

そこで、「そうか、朝食がいらないなら、お父さん、これから帰るわ。」

「そう。じゃーね。」と、娘もあっさりしたものだ。

 昨日の食材を早速、片づけ始めた。

 

 娘のマンションから出たオヤジは、ひどく汗をかいているので、どこかのネットカフェでシャワーを浴びたいと思った。

 しかし、流石はエアコンである。S2000に乗り込んでエァコンを最強にして全開にすると、汗はたちまち引いてきた。

 ものの1分で体は乾いてきて、さっきのシャワーを浴びたいという欲求が途端に消えた。

そこで、今日は以前から考えていたことを行おうと考えていた。

 

札幌からオヤジの住んでいる場所まで帰るのには、大まかに3つの方法がある。

 

  一般的な①札幌⇒高速⇒旭川⇒高速⇒遠軽⇒北見⇒オヤジの家

最短距離の②札幌⇒高速⇒旭川⇒石北峠⇒北見⇒オヤジの家

そして、最長距離の③札幌⇒夕張⇒日高⇒清水⇒帯広⇒足寄⇒陸別⇒オヤジの住んでいる家

の3つのルートである。

 

 特に最長距離の札幌、帯広間は下道を通ると4時間30分もかかるので、北海道人なら絶対に走らないコースであるとも、ネットで出ていた。

 

実はオヤジは北海道中走り回っている割には、札幌⇔帯広間は一度も走ったことが無いのだ。

 

 特に興味を持ったのが、夕張⇔日高間である。

日高は競馬の馬の産地で有名である。場所は北海道の最南端のえりも岬を超えた、苫小牧方面である。オヤジの家からえりも岬まで約6時間、更に日高までは遠い為、日高から帯広は5時間ぐらいかかると思われる。

 だから下道で、札幌⇔帯広間がどう考えても4時間30分で着くとは考えられない。

 

 その為、オヤジは今日をもう2度と走れない場所と考えて、札幌⇔帯広間の下道を走ると決めたのだ。

最悪の場合は、オヤジの寝る時間の真夜中の1時ぐらいまでにかえって来れればいいと考えた。

 

 出発は午前8時30分。いくら何でも16時間も走れば、自宅には着くだろう。

そう考えて、下道経由で帯広を目指した。

途中、ガソリンを補給。これで満タン。最低でも800キロは走れる予定である。

 

 

 天気は少し悪いが、暑すぎるよりはましであろう。

 

 

次第に天気が晴れてきた。途中、マオイの丘公園でトイレタイム。

 

 

 

 またひたすら走る。外は相変わらず蒸し暑い。

次に出てきたのは夕張の道の駅。

ここで、雨が降り始めてきた。

今日は定休日なのであろうか??閉まっていたので、近くのコンビニでトイレタイムと、小腹が空いたため、おにぎり2個と、お茶を購入。

 

 

 ここから右折すると、7月の末に走った、むかわ町の穂別にたどり着く、

目的地の日高までは約30km。

あれっ??こんなに日高町って夕張から近かった????

どう考えても日高は海岸線だし、夕張は内陸地である。いくらなんでも車でさえ数時間はかかるはずだ???

 疑問を持ちながらどんどん進む。

 

 ここら辺の道は樹海ロードと呼ばれる。

何だか富士の樹海を思い出すのはオヤジだけであろうか??

こうして、謎を抱きながら、日高の道の駅に到着!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月曜日の今日は休みの博物館である。

オヤジの疑問はすぐに解けた。

 

 

 この地図をよく見て欲しい。

 

 一般的に日高町と呼ばれているのは、この町なのだが・・・・

 

  実は日高町は二つあり、もっと内陸にも日高町は存在していた。

そしてここがその日高町なのだ。

実に59年間も知らない事実であった。

知るとそれまでであるが、何となく納得したオヤジである。

 ちなみに、ここからオヤジのよく知っている日高町まで走ると、約100キロも離れているらしい。

やはり有名な日高長は遠いや!!

 

納得したオヤジが今度向かった先は、帯広の手前の清水町です。

 

 

 

 

 

 日勝峠に向かって走り出す。すると・・・・・・・

 

 

 いきなり濃霧が発生!!実に視界数メートルという状況に、オヤジはビビリまくる。

後で調べたが、日勝峠は夏は濃霧、冬は猛吹雪で事故が発生しやすい場所らしかった。

 

 事故を起こさないようにゆっくり、ゆっくりと走る。

こうして、今回の旅の最大の難所をクリァ!!

 

 無事に清水町に到着!!少しお腹が減りだしてきた。

 ここらへんはお蕎麦で有名な新得町があるが、新得町に走るには、富良野方面に数十分ほど戻らないといけない。数十分ほど戻るという事は往復にして時間にして30分ほどロスするという事なのでお蕎麦を食べることはあきらめる。

 そしてそのまま走り続けて、約午前1時30分。音更の道の駅に到着!!

ここで昼食を取ることとする。

前は約1,000円で中華のバイキングを行っていた場所であるが・・・・・・

入ってみると、コロナのおかげで、平日の中華のバイキングは止めているという実に残念なお話であった。

その為、おまかせ定食を頼む。

1,000円ではあるが、

 

  チャーハンを中心に、実に色々なおかずを取り揃えてくれた、定食であった。

 

 ここでの昼食を食べ終えたら、またひたすら自宅に向かって走り出す。

しばらく走ったら、新しく出来た上士幌の道の駅に到着。

 

 

 

 

 

そこでまたトイレタイム+店内探索。

実は今回の裏ミッションで、会社の同僚から上士幌に新しく出来た道の駅があるという事で、寄ってみようと考えていたのだ。

 ただし休日に走ると、ここまでやはり1日がかりの距離になる為、どうせなら札幌の帰りにでも寄ろうと考えたのであった。

店内は地元の道産品と、おしゃれなレストランがあってゆっくりとくつろげる状態であった。

 ここまでくれば、北海道が生んだ、スーパースターの松山千春の出生地の足寄迄もう一息。

 

 今の若い方はあまり松山千春と聞けば、ご存じないであろうが、オヤジが20代の頃は、松山千春といえば、ヒットソングを連発した、帯広の隣町の池田町のドリカムに続く、大スターであったのだ。

 

 上士幌の道の駅を抜けたらすぐにパトカーが停まっていた。

事故の匂いを嗅ぎつけて、オヤジはゆっくりと走り続ける。

すると何やら黒い車と、そばには倒れたバイク。

事故か??

 

 

 

どうやら白い服を着た人が、警官ともめている。

多分、黒い車に乗っている人ではないだろうか???

 こう考えると、やはりバイクは公道では弱者である。

車同士ならたとえ出会い頭にぶっかっても。車が凹むだけだが、バイクに乗っていたら、途端に大けがをしてしまう。

 

 バイクと車なら、やはりバイクに先に道を譲ってあげるほうが正しいかと思う。

 実際、オヤジはバイクが後ろからやってくると、車を左がわに寄せて先に行かせると、大半のライダー達は、左手を軽く上げでお礼をしてくれる。

 この行為がうれしくて、オヤジはバイクが後ろからやってくると、必ず先を行かせてあげているのだ。

 

 足寄町を通り抜けて、再び安全運転で走り始める。

足寄を抜けたら昨年、広瀬すずのNHKの朝ドラで有名になった陸別迄もう一息。

 陸別でついにオヤジの体力もこと切れた。

異常な眠気と疲労に、陸別の道の駅で、S2000を停めて一休み。

シートを倒して横になりたいが、半分バケットシート気味のために、ひたすら目をつぶって、疲労の回復を待つ。

 が。全然、眠気は取れない。

 

 ここでオヤジは眠気さましの最大のアイテムを取得!!

コンビニでソフトクリームを頼むのだ。セイコーマートなら、120円位で買える。

一見ただのソフトクリームであるが、脳が疲れていたのであろうか???

 冷たいソフトクリームを一口、口にしたら、途端に眠気が覚めた。

陸別から北見へ抜けるバイパスを利用したら約40分。

同じ40分なら津別迄走れる。

北見と津別ならオヤジの家までの到着は津別のほうがはるかに早い。

と、言う事で、陸別、津別間を走ることとする。

 

 ここでアイスクリームによって、ドーピングに成功したオヤジの体は、再び体力を取り戻した。

「旅は百里を行く者は九十を半ばとす」という言葉を思い出しながら、普段、走りなれている道を最後の最後まで慎重に走り切る。

 

 こうして午後、5時30分。札幌を朝8時30分に出発。

 時刻にして何と9時間もかかって、札幌から帰宅したオヤジであった。

 

今回の旅の全走行距離は840km。

ハハハハハ。残り800キロ走ったら、わずか1か月間でまた5,000キロのオイル交換を行うを行うハメになってしまうな。

 

 PS:これが普通の車のタントやパジェロ・ミニであったら、多分、オヤジは札幌間を高速道路を利用して、片道4時間弱で娘の元に行って帰った旅になったと思う。

 S2000に乗っているからこそ、まだオヤジの知らない未知の場所を行く気にさせる車と言えるであろう。

 S2000は実に不自由な車である。沢山の荷物も積めないし、人だって2人しか乗れない。

高速も90キロ以上出せば、うるさくて走れたものではない。

最大の難点は、シートがリクライニング出来ないという点である。

疲れたら他の車のように、休憩場でシートを倒して気軽に休むことは出来ない。

 多分、これはオヤジが元、バイクに乗っていたからこそ、許せる車のだと思う。

雨が降りだしたらバイクよりははるかにまし。前に急に車が飛び出させ、パニックブレーキをかけたときも、バイクよりもはるかにまし。

何よりもバイクなら娘たちを乗せることは出来ない。

 オヤジはバイクには絶対に人を乗せることは出来なかった。実際、人を乗せたときは、フラフラして恐ろしくて運転なんか出来たものではなかった。

 唯一、他のクルマと違って優れている点は・・・・・

オープンに出来る点だけだ。

オープンカーにしたときの解放感は実に素晴らしい。

それ以外は、どの車と比較しても、全部ダメな点ばかりである。

 

こうした実に不自由な車であるからこそ、どこかバイクにつながる感があると思う。

 

 還暦を迎えるこの年になり、娘2号からは「お父さんは、あのオープンカーを買って、何だか若返った感じがするね。」と言われた。

 実際、娘の友人の父親(オヤジの同級生である。)からも、今年のコロナ騒ぎの中、平気で何度も札幌を往復する姿のオヤジを見て、「オヤジはまだまだ若いな。」と、驚かれたと聞く。

 

 人は好きなことを行っていたら、全然年を取らないと思う。

S2000に出会ったオヤジの最大の利点は、まだまだ何かに対して、興味を失わない。という事なのだろうか??

 

2020年09月11日。あの猛暑から一転して、冷たい雨が降り続く、秋が近づくこの北の片隅にて。