オヤジ達はその夜不思議な体験をした。
ホテルに戻って、温泉に入ったオヤジはベットで心地良い感覚になっていた。
そして、その後、何処からともなく若い女性の声が聞こえてきた。
ホテルの向かいは居酒屋があったので、居酒屋から出てきたお客さんだろうと思っていたのだが、そのうちにその優しい声を聴きながら、いつの間にか寝ていた。
何時間か寝ていたのだろう。また、さっきの女性の声が聞こえてきて、オヤジはハッと目覚めた。
久し振りに気持ちのいい目覚めであった。娘を起こさないようにそっと起きたオヤジは、窓から居酒屋のある所を見た。
時刻は午前4時前。当然,、居酒屋は閉まっていた。
ここ何年かオヤジはかみさんが亡くなった時以来、オヤジの睡眠時間は平均3時間から4時間の、慢性的睡眠不足であった。
それが旅の疲れもあったと思うが、久し振りに6時間以上寝ていたこととなっていた。
直感的にオヤジはその女性の声の主の正体を感じた。
そうしていたら、今度は娘も起きだした。
オヤジは何となく娘に、「今、若い女の人の声が聞こえなかったか??」と聞いてみた。
娘は「うん。その声が聞こえたから起きたんだよ。」と答えた。
「実は昨日の夜も聞こえたんだけど、それからすぐに寝てしまったけど、お前は聞いていないだろ。」と尋ねると、娘は「○○(娘の事)も聞いたよ。だから外に誰かいると思って、窓のカーテンを開けて下を見たら誰もいなかったよ。」と答えた。
「うーん。そうなんだ。」と、オヤジはそれだけを言っただけだが、何となくそれで多分、その声の主の正体を確信した。不思議と霊体験特有の怖さが無く、何だか朝から優しい気持ちになれた声であった。
その声の主とは、過去に稚内で亡くなられた人の声だったのではないだろうか??
お盆も近づいてきていたので、過去に亡くなられた人が現世に帰ってきているのであろう。
例えば防波堤は、昔、大風が来て連絡船に乗るときに、防波堤が無い時は、大波にさらわれて沢山の方々が亡くなられたと聞く。
また稚内の公園には九人の乙女の碑が建てられている。
この碑は昭和20年(1945)8月20日、終戦5日後に、樺太真岡郵便局で電話交換業務を終えた後、自ら若い命を絶った9人の女性の霊を慰めるために建てられたのだが、オヤジは多分、この人たちがオヤジ達の今回の旅の無事を祈ってくれていたのではないだろうか??
ドイツのライン川のローレライ伝説は岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまうという恐ろしい伝説があるが、オヤジ達が聞こえた、最果てのローレライは、オヤジ達の旅の無事を祈ってくれた声なんだろうと、今では思っている。
そうこうしているうちに時刻は午前5時30分。
朝食は6時からなのだが、ビジネスホテルのお約束の30分前から、朝食が始まった。
朝食は和食がメインのバイキング。
朝から4人前ぐらいモリモリ食べるオヤジである。
特に牛乳は稚内の隣町の豊富町と、稚内牛乳の飲み比べが出来た。
稚内牛乳は1日10本限定での販売で、非常に貴重な牛乳らしい。
北海道のソウル・ドリンク:カッゲン!!
カツゲンの味は、ヤクルトと同じような感じである。
実は長い間、カツゲン=ヤクルトだとオヤジは思っていた。
朝からパワー満開で、午前7時にホテルを出発!!
今日はこれから内陸を南下していき、裏ミッションとして、ある場所に行ってから、音威子府経由で旭川に向かってから帰宅する予定である。
稚内から豊富町に向かって走ると、途中、無料バイパスにぶっかった。
今日も大雨。時間の節約という事で、バイパスに入るS2000。
旭川迄、約250km。およそ4時間近くの運転である。
大雨と単調なバイパスが眠気を誘うが、今日はあのローレライの応援されたせいか、調子よく走り続けることが出来た。
途中、気になる点が一つ。それは30分以上走り続けているのだが、トイレのある休憩所どころか、PA自体が無いのだ。
気になるとますますトイレが近くなる。朝食の牛乳の飲み比べが、ここに来てアダとなってきた。
これはいったん、どこかで降りなければ・・・・・と、思っていれば、思うほど、次の降り口は何十キロ先です。という表示しかない。
これは本当にやばいなぁーーー。と、思ってきたときに、ようやく豊富町の降り口が見てた。
すかさず降りて、町まで何キロかと考えていると、なんと天の助けか、バイパスの降り口の建物に24時間トイレがあったので、オヤジは危うく人間の尊厳を失う事が避けられた。
(多分、みんな同じ気持ちでバイパスを降りていくんだろうなぁーー。)
再びバイパスに入ろうかと思ったが、これからまた先にトイレが無いと困るので、ここからは下道で音威子府へ向かう。
いゃーーー。これからが正に地獄で、何もない道で単調なので眠いのなんの。
やっと音威子府近くまでやってくる。
ちなみに下道も街は80km先まで無い為、途中、2ヶ所ある道の駅で、トイレは済ませたほうが良い。
音威子府まであと数キロというところで、ようやくオヤジの探していた場所を見つけた。
今回の旅の裏ミッションで、幕末の探検家、松浦武四郎の記念碑を見に行くことである。
前回、音威子府から稚内に向かった時に、松浦武四郎の記念碑がここにあるのを知ったのだが、何故だかスルーしてしまい、あれからもう10年近く、見に来る事が出来なかったのだ。
そこでオヤジは稚内からの帰宅は同じオホーツク海を南下するのではなく、ここを訪ねるために音威子府を経由しようと思い立ったのだ。
その場所は川のふもとにあり、北海道の命名の地。と、松浦武四郎がここで、アイヌのとっても偉い人と会談をした場所で、この島を北加伊道(北海道)とこの地で命名したと書かれていた。
普段、あんまり自分の住んでいる北海道の名前の依頼を意識してはいなったが、初めてここで北海道となずけた場所と知って、何だかここに来たことがうれしいような、良かったような気がしたオヤジである。
このミッションを無事にクリアしたオヤジは音威子府⇒名寄と、トイレタイム以外スルーしてさらに南下。
音威子府の道の駅。
音威子府は有名な彫刻の街である。
ここらへんであれだけ土砂降りだった雨はすっかり収まり、夏特有のピーカン状態の、攻撃的暑さに変わっていった。
途中の剣淵の道の駅で、お約束のアイスクリーム・タイム。
そして、アイスクリームを食べた後、娘にアルパカを見せるために、剣淵のアルパカ公園に連れて行った。
アルパカとは首が異常に長くキリンになったような羊のような動物である。
昨年、アルパカ公園に行って、アルパカの写真を娘に見せたら、非常に見たいと言っていたので、名寄から旭川に向かう途中の為、連れて行ったのだ。
初めてアルパカを見た娘は大興奮!!
「かわいい♪かわいい♪」を連発していた。
アルパカを見たオヤジ達は時刻は1時近く。旭川に到着。
ここで昼飯は味噌ラーメン大好きな娘のために、本格派のラーメンが食べられる食のテーマパークのある、ラーメン村に連れて行った。
どこの店も沢山の人数の行列が並んでいた。偶然、数名しか並んでないお店があったので、並んで数分後には無事に中には入れた。
初めてラーメン村に来た娘は、本格的な味噌ラーメンを美味しい♪美味しい♪と何度も連発して食べていた。
食べ終わって車で帰ろうとすると、今度はオヤジ達が入った店が、何十人も並んでいた。
並んだときは、偶然、人が空いているときだったんだと感じたオヤジである。
旭川からの帰りは最後のミッション。当麻の鍾乳洞を見に行くのだ。
娘は中頓別の鍾乳洞を見たときから、当麻の鍾乳洞も見たいと言っていた。
旭川は内陸の為、かなり気温は高い。その為、当麻の鍾乳洞も、中はヒヤッとしたが、浜頓別の鍾乳洞よりも寒くは無かった。
ここでようやく旅も終わり。
愛別からバイパスに入ったオヤジにもついに限界が来た。時折、ボーッとしだして、S2000が路肩に突っ込みそうになる。
娘がしきりと「お父さん。運転変ろうか??」と心配する。
そこで上白滝のPAから娘に運転を変わってもらい、下道に降りて帰宅する。
S2000のシートはもちろんリクライニングはしない。意識はあるのだが、目だけでもつぶって、疲れを減らそうとする。
レッドは9千回転。カミソリのようなコーナーリングで、素人は運転するのは難しいと異名をとるS2000を普通に運転する娘に、「もう完全にS2000はお前のものになったんだなぁーー。」と、オヤジは感慨深げにつぶやく。
本当にこのS2000を手に入れて良かった。
娘は同じ年頃の子が絶対に乗れない、スーパースポーッカーに乗ることが出き、オヤジは人生の終わりに、絶対に手に入れれない車を乗ることが出来た。
何よりもS2000という共通の車で、親子共々楽しく走ることが出来る。
親子の会話が無いと言われる時代に、普通に仲良く過ごせる事のありがたさを、このS2000が教えてくれた。
そう思いながら、ゴールデンカムイー第2段!!-の旅も無事に終わりを告げた。
この2日間の走行距離は約900キロ近くとなっていた。