初乗り ーファースト・ライド♪ー | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 さてさて、作業台を作り終えたオヤジ。

今日の休みは・・・・・・

今までできなかったこと。

 

 それは、パジェロ・ミニの大掃除だ。

 パジェロ・ミニは残念ながら今年の9月をもって廃車となる。

だからスタッドレスタイヤやワイパーも交換は一切していないが、それだからこそ、最後のお勤めのご苦労様。ということで、車内を綺麗にしてあげたいのだ。

 

 クルマは単なる物だ。

しかし、鉄とプラスチックの塊ではあるこの物体にも、やはり心が宿ると思っているオヤジである。

 

 実際、S200購入した1週間後、今まで何年も事故を起こしてなくて、保険も最高ランクだったオヤジは、路面の乾いた冬場の道路で、パジェロ・ミニをスリップさせて半転させて、車軸を大破。

さらにその1週間後、今度はタントカスタムをスリップさせて、センターのガードレールにこすり付けて、またもや半転させて、今度は全損させた記憶がある。

 それも、速度は全然出していない50km/hの時だった。

 たぶん、2台とも新しいS2000に心を奪われたオヤジに焼きもちをやいて、勝手に暴走を起こしたのではないであろうか??

2回ともあれだの事故の割には、オヤジや搭乗者共にケガが無くて、不思議な出来事であった。

そんなこともあり、今回はこのパジェロ・ミニが娘2号を助けるために、札幌を何回も往復をしてくれた、感謝の気持ちもあってなのだ。

 

 昨日迄の快晴からうってかわって、今日は朝からどんよりとした曇り空。

5月の後半というのにもかかわらず、肌寒い天気というか、3月並みの寒さである。

 

 まずは、両ドァーを開けはなし、中の荷物をぜんぶだして、ついでに足マットも出す。

案の定、マットの下には、ゴミや砂がたくさん入っていた。

ここで、オヤジはもう何年も使われていない、コンプレッサーを出してくる。

 

 

 

  何年も使っていない為、大丈夫かと一抹の不安を抱えながら、スイッチを入れたら、コトコトとかわいい音を立てて、コンプレッサーは動き始めた。

 

 コンプレッサーが1台あれば、車の車内の汚れた場所にブローかけたり、エァーツールが使える。と、思って購入したが、実際は素人が使うコンプレッサーは容量が小さくて、ツールは全然使えない商品である。

 せいぜい、車内のゴミにブローしたり、タイヤの空気を入れるぐらいしか使えない。

まあ、ガレージングを飾るためのアイテムの一つだと思っている。

 

 こうして、寒い中9時ぐらいから10時ぐらいまでの小1時間ばかし、車内の掃除が終わり、少しばかり気分がスッキリとしたオヤジである。

 

パジェロ・ミニの掃除が終わると、いよいよ今日はS2000の初乗りである。

 

 正確にはS2000にはもう数回乗っているが、通勤なので、今回が初めてS2000にしっかりと乗ろうとした気持ちになった。

 同乗者は娘1号。

彼女もまたコロナの為、会社が休業となり、ヒマを持て増していた人間である。

 

 心なしか天気は崩れ、小雨が降りだしてきた。

「まあ、良いか。雨さえ降らなければ、ドライブには支障ない。」

 

  S2000を道路に出してから、いったん停める。

まずは各タイヤの空気圧点検、さらにエンジンオイルの残量を調べる。

 

 

 

 一通りの点検を終え、狭いコックピットに乗り込む。

そしてキーをひねってから少し置いて、紅いスタートボタンを押す。

瞬間、低い排気音が鳴り響く。

1分間ほどアイドリングを行う。

 

娘1号は「何故すぐに発進しないの??」と不思議そうに聞く。

「このS2000はそれなりの車だから、走る前に、必ずタイヤの圧、エンジンオイルの点検、さらに1分間のアイドリングを行わないといけないんだよ。」

「要するに、いたわって走る車なんだよ。」

 

 これは昨年、GTR乗りの友人Iから、オヤジが言われた言葉である。

それ以来、オヤジはS2000に乗るときは、友人Iの言葉を守っている。

 

 こうしてS2000とオヤジの初めてドライブが開始された。

 

しばらく走っていると、早速、1台の車がS2000をあおりだした。

後ろから勢いよくついてきて、後ろにびったりと付けてくるのだ。

 

まあ、一見、走り屋風ステッカーを貼った車が、のんびりと走っていたら、あおりたくもなるのだろう。

 後部を確認したら。新型のジムニーである。

 

  彼は急いでいるのか、さかんに前に大型トレーラーがいるにもかかわらず、追い越し禁止車線で、オヤジをあおり続けた。

 

 2車線になり禁止車線が解除され、信号が青になった途端、S2000の実力が発揮!! 

  かなり遅れてジムニーがやってくる。

追いついたジムニーはさらにオヤジを追い抜こうとスピードを上げた途端、S2000はワープした。

 こうして、最初のバトルも終了。かなりのハイスピードでS2000は走り続けた。

もちろん警察が常にどの辺にいるか、熟知していないとできない行為である。

 

気が付くと天気はピーカン。

しかし気温は4月初め並みの寒さの為、オープンにはしないで、ひたすらハンドリングを楽しむオヤジである。

 

 HONDA S2000。AP1。

 コーナリングはあの日本のスーパーカーと言われるNSXでさえ凌駕する実力を備えている。

さらにその初期型のAP1の回転数のレッドゾーンは9000回転を回し、あまりのピーキな馬力はそのジャジャ馬ぶりで、乗り手を選ぶと言われる。

 この希代な名車に出会えたオヤジの心は楽しさで浮き立っていた。

 

今日の目的地は100キロ先の上湧別のチューリップ公園。

毎年、この時期は亡き妻の思い出を求めてやってくるのだ。

 

通常、この上湧別には北見⇒佐呂間⇒遠軽⇒上湧別と行くルートなのだか、今年は遠軽がコロナのクラスター感染が出たというため、

佐呂間⇒芭露⇒通別⇒上湧別と、少し遠回りになるが、オホーツク海側経由で出来るだけ影響が無いようにする。

 

途中。

 

 

蜃気楼かと思うような,光景に出くわす。

ここはサロマ湖の為、海と湖に境目に、長い砂浜が出現するのである。

 

 まるで海の彼方に突然、島が現れたように見えるため、頭ではわかっているのだが、

地元組のオヤジでさえ、不思議な感覚に襲われる。

 

 

 

こうして小1時間ばかしで目的地にやってきた。

 車のナンバーが北ナンバーの為、なるべく一目のつかないルートでの走行であった。

※遠軽からは管轄が紋別の為、紋別ナンバーの紋だと思っていた。

で、到着したら、車のナンバーは全て北ナンバーの為、そんな心配も杞憂に終わった。

 

 

 

 

公園内は誰もいない割には、なぜか10台ばかしの車が停まっていた。

 

 停め方がバラバラだから、どう考えてもここの施設関係者ではないとは思うのだが????

 

昨年は人混みにあふれ、食堂は1時間待ちは当たり前。

近くのコンビニでさえ、駐車場は車であふれていたが、今年は予想していた通り、人っ子一人もいなかった。

公園を見ると・・・やはり閉園。

 

しかし、柵から先には見事なチューリップが咲き乱れていた。

 

 

 

 

 

 

 

「〇〇〇。(かみさんの事ね。)今年もお前が好きだったとこにやってきたよ。」

「見事なチューリップが咲いている。」

オヤジは決して癒えることない悲しみを心に刻み、そっとつぶやいた。

 

 時刻は12時30分。

そろそろ、お昼にしないといけない。

娘1号はラーメンが好きなため、湧別の昔、話題となっていたラーメン屋に向かう。

 

 ここはラーメンを食べたら、時代劇の舞台をタダで見られた店であったが、やはりコロナの影響か閉店していた。

 

次に向かったのは上湧別の道の駅。

 

 

 ここは温泉とレストランがある場所であるが、無事に営業を行っている。

ここでオヤジはトンカツ定食、娘1号はみそ味ラーメンを頼む。

 

 食事を終えて帰路に着くオヤジ達である。

途中、サロマの道の駅で、お約束のアイスクリームタイム。

 

 

 

 

ここで少しばかり休憩後、またひたすら淡々と走り続ける。

 

途中、ブログ上で付き合いのある主(あるじ)さんが、今年、来道の際に泊まる予定である常呂の「船長の家」に寄ってみる。

ここは5月いっぱい迄休みという事である。

 

 

オヤジはこのかた60年近く、船長の家は2か所あると思っていた。

もう1か所はここであるが・・・・・

 

 よーーく見ると、「旅の駅」とかかれている。

名前が変わったのかな??と不思議に思っていたら、原因がすぐにわかった。

 

 この看板が原因である。

 

 実際に今回のように停まってみたらわかるのだが、ここの道路はどの車も平均して高速道路並みに走り去るのだ。

だから「船長の家」はわかるのだが、少し小さく書かれた6kmさきはあんまり記憶に残らないのだ。

だからオヤジの記憶の中には、先ほどの建物は「旅の駅」ではなく、「船長の家」という、記憶が残ったのだ。

 

 こうして主「あるじ」さんのおかげで、またひとつ、オヤジの間違った記憶が直されていった。

ちなみに「船長の家」の出された食事の量、豪華さは半端でないらしい。

主「あるじ」さんのブログを読むまで。地元組のオヤジは全然わからなかった。

 

時刻は午後3時。

無事に帰宅したオヤジは、娘1号と共にお世話になっているS車輛に、S2000の車検と、9月に廃車となるパジェロ・ミニ替りの車を探してもらうべく、S2000を持って行った。

 

 今年初めてのドライビングに、久しぶりの心地よい疲れと共にソファーに倒れこみ、しばらくの仮眠をむさぼるオヤジであった。