旅立ちの朝にーエピローグー クラブ・ミッドナイト、総長、動く!! | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 さあ、いよいよここからが、何故、いま娘2号がオヤジの家に戻っているかのお話ね。

 

 

娘2号が旅立って数日が過ぎた。

 

 相変わらず忙しい毎日が続き、娘2号がいなくなって寂しいという気持ちはオヤジには無かった。

 

 そんなあるとき、大学から1通の手紙がやってきた。

 

内容は4月に行う入学式の中止と、授業が4月初めから15日まで延期になった連絡であった。

 

 そして、明日はいよいよ父親の命日の為、お坊さんが来る用意をして、会社に向かったオヤジであったが、娘2号に入学式の中止で、オヤジが入学式にいけない事と、授業が15日まで伸びたことを連絡した。

 

 いまからなら、ほぼ1か月近く、何もしないで娘2号はひとり暮らしを行わなければいけない計算である。

 

 昼休みにオヤジは2号に、一回家に汽車で戻ってくるか??とラインで聞いてみた。

すると、家に帰りたいが、帰り方がわからない。という連絡であった。

(住んでいるところから、札幌駅までの帰り方がまだわからないということである。)

 

 その返事を読んだオヤジの心の中で何かが弾けた!!

 

 分かった。今日!!仕事が終わってからそっちに走るから、朝方着いたら、速攻で帰ってこよう。という返事を送った。

 

 娘の返事はやはりすぐに帰りたい。という事であった。

 

 それから直ぐに、娘1号に連絡をして、明日の父親のお参りは、一人で行ってもらう事と、お坊さんにも、今日の夜に札幌に行くので、お参りは娘1号が一人で行う事を伝えた。

 

 その夜、仕事を終えたオヤジはなか卯で簡単に夕食を終え、家に着くと、明日のお参りの用意を行い、着替えもしないでYシャツのままその足で札幌に走った。

 

時刻は午後9時。24時間営業のガソリンスタンドでガソリンを補給して、ひたすら娘の元に走る。

 

時刻は午後10時30分。

遠軽のコンビニでトイレタイム

 

 途中、バイパスの工事で浮島から上川まで下道を抜けて、ひたすら札幌へ。

 

 真夜中の為、高速に乗らなくても下道で充分に札幌に行けるので、高速代をケチりながら走り続けた。

 

 

 

 真夜中に徹屋で走るのは、確か10年程前に、ミラ・イースで徹夜で支笏湖の道の駅に走った400マイル・トイレ以来である。

 

あの頃から、もう10年近くたった。

 

  老いた体には徹夜は厳しいので、疲れたらどこかのモーテルに泊まろうと思っていた。

 

 

 滝川あたりから吹雪きだしてきて、ライトは遠目にすると見えずらくなってきた。

 

 しかし、覚醒した頭は冴えてきて、12時、1時、2時となっても全然疲れは現れなかった。

 

 

不意にオヤジは思った。

 

 そうだ。このクラブ・ミッドナイトを立ち上げたときは、20代のころに真夜中に高速でSさんの買ったばかりのFCで真っ白なポルシェを追っかけて行ったのが始まりであった。

 

 あの時は時速180km/hで燃調が切れ、失速するFCの前をゆうゆうと200km/hオーバーで加速するポルシェの後ろ姿を見ながらの強烈な体験であった。

 

 あれから時は40年近くたち、ようやくオヤジもS2000という牙を手に入れた。

そして今も走っている。

 

 時の流れは確実に刻まれているが、オヤジの心はまだ老いてはいない。

 

  誰かのために走り切る。これもまた、クラブ・ミッドナイトの走りなのだ。

 そして、その総長を務めるオヤジもまた、まだまだ現役長距離ランナーなのだ。

 

 

 

 時刻は2時47分。

5時間47分。高速を使わずに下道で走り続けた割には、早く着いたほうである。

 これからモーテルに泊まって娘が起きるのを待っかと思ったが、近くにマンガ喫茶があった。

 

 

娘には着いたから、朝起きたら連絡を頂戴。とラインを送って、娘が起きるまでの3時間。ここのマンガ喫茶で過ごすのであった。

 

  横になっていたら、1時間30分ほど寝ていたらしい。

 

 午前7時に娘は起きたと連絡が入った。

そして、7時30分。トンボ帰りで娘を乗せて、帰路につくオヤジであった。

 

旅立ちの朝にーエピローグー クラブ・ミッドナイト、総長、動く!!  ―完―