旅立ちの朝に ープロローグ もう一つの卒業式。ー | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 16日は娘2号が進学の為に札幌の行く日である。

その日、オヤジは仕事を早退して、娘と共に札幌に向かい旭川で宿泊。

17日の朝早くに札幌に到着、そして引っ越しを行う予定であった。

 

その日の朝早く、娘1号がオヤジの部屋にやってきた。

「おとうさん。ちょっといいかな?」

「どうしたんだ??」

「うん。美術大学の終了証が昨日来たよ。」

「おおっ!!良かったな!!おめでとう!!」

 

 この数ヶ月、2号の卒業、車の運転免許取得、引っ越しの準備に追われて、娘1号の美術学校の通信課の終了のことなど、すっかり忘れていたのだ。

 彼女から修了証を見せてもらうと、なんだかパソコンで簡単に、通信教育の課程を修了した。としか書かれていなかった。

 2号の高校の卒業証書の華やかさから比べると、雲泥の差で地味な修了証であった。

 

 入校するとき、通信教育はかなり卒業するのが大変で、多くの人が挫折して、途中で辞めてしまうらしい。と、先生から聞いた。

理由は札幌や東京に行くスクーリングの日程である。

実際、通信教育で仲良くなった人も、4年生までの課程をこなしたのに、スクーリングの日程が取れずに、今年、退学してしまったらしい。

働きながら休みを取って、スクーリングに東京に1週間も通うのは、ほぼ不可能に近い。

幸いなことに娘の場合は、スクーリングに行く日程を何とか取ることができた。

 

 スクーリングは東京では、金曜から日曜日までの3日間、もしくは土曜、日曜の2日間行うのだが、ひどいときは、その1週間後にまたスクーリングが入るので、終わって北海道に帰って、またすぐに東京に行かなければいけないため、1週間ばかしホテルに滞在させたこともあった。

その旅費だけでも1回に軽く20万円を超えるときもあった。

 

 何とかこの4年間、娘を東京に行かせることができたのは、2号に出る遺族年金のおかげと言っても過言ではない。

 

 1号には今年で卒業できなければ、自費で続けるか、もしくは退学をしろと伝えていた。

これ以上のお金がかかれば、娘2号の進学に行かせるお金が捻出できないからだ。

おかげでその心配も、もう必要なくなった。

 

   さあ、これでようやく2号の旅立ちの準備が心置きなくできる!!

 朝から縁起のいい話を聞いて、何だか娘2号の旅立ちが祝福されていると、感じたオヤジである。