とうとつですが、今日はオヤジの58歳の誕生日!!
(えっ??プレゼントはいりませんよ。別に。福沢さんなら遠慮なく頂きます。)←何なんだこの男は??
さて、最近、この年になると、身に染みて感じることは、正に人生は「塞翁が馬」だなという事だ。
この「塞翁が馬」は詳しくは、グーグル先生で調べてもらうとわかるが、要するにオヤジが言いたいことは、人生は物事は良い事も、悪い事も色々とやってくるが、全ては自分の考え方次第で、その後の人生が良くもなり、悪くもなるのではないかと思うのだ。
たとえば悪い事が起きたら、常に他人のせいや物のせいにしたら、常に人をねたみうらやんだりして、文句を言って過ごす人生となのではないかと思う。
たとえその時、悪い事が起きても、常に自分にプラスになる事として、とらえて生きて行けば、絶対にその後の生き方が、充実した人生を送れるのではないかと思うのだ。
オヤジの職場に娘2号と同世代の子供がいる同僚がいる。
その人はこれから子供の進学の問題で、学費ローンを考えているらしいが、オヤジが娘に学費ローンを使わない事を不思議に思って聞いてきた。
オヤジは当たり前のように、娘が生まれた時から学費保険に入っていて、それが今年、満額降りたからそれを使うと答えたが、それでも2年間だが、娘を学校にいかせるには全然足りないので、どうするのか聞いてきた。
(まあ、当然でしょうね。これから娘には運転免許を取得させるため、免許の取得代と今回の学校の入学金と授業料とで、合計200万円ぐらい、今月は一気に使わないといけないからだ。)
いくら学資保険が満額降りても、残りは2年目の授業料ぐらいで、娘への2年間の援助金はどう考えても出てこないのだ。
そこで、オヤジは貯金を切り崩すよ。と答えたら、「もしかして、オヤジさんってお金持ち??」と聞いてきた。
そこで種明かしをした。
8年前にオヤジの母親が亡くなり、その遺産と実家を売ったお金で、少しばかりのまとまったお金がオヤジの手元に入った。
まあ、そのお金でオヤジはかみさんに軽の新車と、自分には当時出たばかりのZX-14Rを手に入れたのだが、残りは使い道が無いため、残った全部のお金をかみさんの生命保険に入れたのだ。
そして、その4年後にかみさんも亡くなった。
当時、保険はまとめて一括入金をしたら、その段階で、死亡時の保険が降り、更にそれ以降に支払済みのお金が返ってきたのだ。
まあ、簡単に言えば、100万円で保険に入ったら、死亡時の保険と、それ以降に支払う保険の戻りが返ってきて、200万円ぐらい戻ったようなものである。
その為、そのお金が少しばかり入ったので、それを娘の学費に充てるつもりなのである。
また、かみさんが亡くなった時期も、不謹慎だがタイミングが良かった。
今まで父親が亡くなったら、残された母親には遺族年金というお金が、子供が18歳になるまで降りるのだが、母親が亡くなった場合は、父親にはでなかったと記憶する。
が、この年の4月から、母親が亡くなった場合でも、金額は多くないが、父親には遺族年金が出る事となった。
オヤジにとっては思わぬところから、天の助けが舞い降りたのだ。
このお蔭で娘1号には通信教育だが、4年生の美術大学に行かせることが出来たし、娘2号には高校の入学の準備と、修学旅行も行かせてあげれることが出来た。
というような話をしたら、休憩場所にいたスタッフは、皆、全員「オヤジさんがつつましい生活をしていたら、子供達を進学させれたんですね。」と感動の嵐につつまれた。
多分、母親の死もかみさんの死も、今日のこの日の為に意味があったのではないかと、今では思っている。
オヤジはよせばいいのに「まあ、その間、(オレ)もバイク(カタナ)も買ったし、車(S2000)も買ったけどね。」という、余計な一言で、全員が「それ、ダメじゃない。」という非難の嵐となった。(笑♪)
(まあ、正直、当時は心が壊れていたから、自分的には仕方が無いと思う事にしている。)
正直、母親が亡くなった後に、続いてかみさんの母親が亡くなり、更にかみさんと続き、娘1号の問題と、立て続けにオヤジ家には不幸が舞い降りた。
当時はどうしてうちだけ、こんなに不幸が続くんだ。と悩んでいた時もあった。
たぶん、そんな時に、怪しい宗教にはいれば、「お前さんの家は、先祖を大切にしなかったからだ。」という事となり、それ以降、キツイお布施と言われて、妄信的なその宗教の信者になる、一歩手前までいっていたと思う。
「神様はその人に越えられない、困難は与えない。」これは、ブログ上でお付き合いのある、主(あるじ)さんの言葉である。
オヤジは更にその言葉を調べたら、「そしてその中で神様はなかなか面白い人間には、更にもう少し多めの困難をその人間に与え、その人間がその困難を乗り越えて行くのを見ている。」という言葉を見つけたのだ。
それ以来、多分、オヤジはその中の、なかなか面白い人間のうちの一人だと思う事とした。
人生は困難が多ければ多いほど、乗り越えた人間には、それと比例して素晴らしい人生が待ち受けていると、オヤジは信じている。
そして、その日以来、どんなことも自分ではポジティブな考えを行おうとしている。
今日の誕生日、早速、貯金から、娘の学校の入学金と授業料の準備金を降ろした。
受付の人は、オヤジが初老という事と、決して少なくない金額のお金の額で、「まさかこれではないですよね?」と心配して、オレオレサギの告知ポスターを示した。
「あっ。違います。大丈夫ですよ。」と答えたが、更に心配して「よろしければ、どのような事に使うか、教えて頂ければ、幸いなのですが。」と、遠慮がちに言った。
「あっ。娘の学校の入学金を振り込む為のお金です。」と言って、ようやく安心して、オヤジにお金を渡してくれた。
そこの金融機関では学校の振り込みが手間がかかるため、それから車で5分ばかしの金融機関に走り、無事に娘の入学金の振り込みを終えるオヤジであった。
たった5分ばかしであるが、大金を手にした車で走ったオヤジは、緊張で疲れ切って昼からは何もする気が起きない、忘れられない誕生日となった。
これで、残りは自動車学校の入学金と、新生活の札幌の物件の準備金を用意すれば、オヤジの今年の役割ももう終わり。
ようやく、親としての役割の半分が終わったような気がして、少しばかりホッとしているオヤジである。
令和元年、12月10日。オヤジの58歳の誕生日にて。