あの日。 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 1年前の9月6日は、北海道全域での大停電があった日であった。



 あの日の朝、娘2号から高校が停電で、学校が臨時休校になった。と言う話で、目が覚めたオヤジであった。


 AM6:00

 まず、ご飯が炊けていないので、すぐにコンビニに走ったが、棚から全てのパンと弁当。そしてお米がすでに無くなっていた。慌てて回りを見渡すと、カップ麺とさらに乾燥うどんだけが残っていた。


 とりあえずは家族3日分の食材。

(大抵、災害が起きたら3日間、自力で生きていれば、助かる。と言う話を聞いたことがあるからだ。)ということで、3日分のカップ麺と乾燥うどん、3束を買ったオヤジであったが、驚いたことに、レジが使えていた。


 ただし、支払いは現金のみ。

この時、各支払を終えた後で、たまたま貯金をするのを忘れて、1ヶ月分の家計費、全額が手元に置いてあった。


 店員さんの話によると、レジには内臓バッテリーがあり、停電しても数時間なら現金の精算が出来るという事であった。


 オヤジがコンビニから出ようとしたら、後から後から、続々と食料を買い求める車がやってきた。


 タッチの差で食料を確保できたオヤジは今回は、猛烈な吹雪でないために、比較的、のんびりとしたサバイバル気分でいた。


 1号の行っている場所も、休みと言う連絡で、子供達には絶対外に出ないようにと、言い残してオヤジは出社した。


 サラリーマンとは悲しいサガである。

 たとえ会社が停電してようとも、とりあえず、行ってみようとする習性がある。

 途中、数か所の信号を無視して、いつものように、会社に着いたオヤジであった。

 ここで、会社にたどりついた店長の情報から、網走は全域で停電となっていて、断水も次期に起きるという情報が流れた。

 

 そこで、オヤジは子供達にとりあえずは、お風呂の水を満杯にするという事と、ありったけの容器に、飲み水として水道の水をためるようにラインで連絡した。

 会社にいても停電が直る見込みが無いため、昼前には自宅待機と言うことで、一旦、自宅に戻ったオヤジであった。


 昼過ぎに部長から店長たちと連絡がつかない。という電話が入り、一回、会社に様子を見てくる。ということで、再び、信号無視を繰り返しながら、会社に戻ったオヤジであった。

 会社に着くと、すでに誰もいない状態で、オヤジは部長に、店長たちは自宅に戻った事を連絡して、再び自宅に戻ったオヤジであった。

 この時間になると、網走の街には車はほとんど動いでいない状態で、まるでゴーストタウンのような感じがした。


 停電サバイバル初日。


 夜、オヤジはこの時の為に用意していた、ランタンを点けた。が・・・ランタンは壊れていて、使える懐中電灯は、100均で買った小さな懐中電灯だけであった。

※ランタンの故障の原因は、停電終了後、調べたら、単なる電池切れであった。


 TVはもちろん使えないために、ラジオを用意したが、この日の為に用意していた大型ラジオもすべて、使えない状態であった。

 使えるラジオは片手に入る小さなラジオのみとなっていた。


 まだこの段階では、水道も出るしガスも使えたので、食料には全然困らない状態であった。

 また、9月にしてはかなり暖かい状態だったので、暖房が使えないために、寒さに対しての心配の無かった。


 何だか、不謹慎であったが、サバイバル訓練のような1日を過ごした。


 真夜中、子供達が寝静まっているときに、外に出て見ると、あたり一面に、星が輝いていた。


 後にも、先にもあれだけの星の輝きを見ることが出来たのは、あの日1日だけであった。


オヤジ家の街は幸運なことに、断水が始まると言われる次の日の朝方前には無事に停電が終了して、電気が復旧する事となり、たった1日のサバイバル訓練は終了した。


 停電後、すぐに食料の配送は元に戻ったが、それでも乳製品やパンの関係は、元に戻るまで、10日間ほどの日数を要した。


 この日の教訓で、オヤジは3つの事をすぐに実行した。


 まずは、飲み水の確保の為に、20Lポリタンクを2個用意。

 このポリタンクも、1週間ぐらい品切れが続いていた。


 更に真冬の時の為に、なるべく暖房能力の大きい反射式ストーブの購入。

 これは1万円のを狙っていたが、給料が出るのを待って買いに行ったら、すでにどこも売り切れ。

 同じ性能の反射ストーブはすでになく、能力の低いストーブしか、どこも置いてなかった。

 ここで、5件ほどの電器店やホームセンターを回り、ようやく、1万円と同じクラスのストーブを1万4千円でゲットしたオヤジであった。


 そして、最後は食料のローリングストック。


 あの日はたまたま次の日が休みと言う事で、自宅に食材がすべて無くなっていて、休みの日に食材を買おうとしていたのが災いした。


 家にはお米さえなくなり、コンビニでカップ麺を買えなかったら、本当に食べ物が無い状態であった。


 それを教訓に、米びつに入っている炊飯用のお米は1/3ぐらいになったら、10キロのお米を買い蓄えておくことと、臨時のレトルトのパックごはんを3個入り5セット。(15個)、更にインスタントラーメンを常に5個入りを1パック。袋入りのモチを一袋。また、5袋入りレトルトカレーを1パック。


 これらの商品を、常に在庫して置き、時折、食材が無くなると、これらの商品を食べてはまた、補充していくようにした。


 また、今回の件で、ランタンは明るいうちに使えるかどうか調べる。

暗闇の中では、あせってオヤジのように単なる電池切れでも、ランタンの故障だと勘違いする場合がある。

 ラジオの点検等も、明るいうちにやっておくと、夜になり、あわてることが無い事が身に染みてわかった。


 更に炊飯器に入っていたご飯がもったいなくて、ダメもとで、鍋で炊いてみたら、適当に炊いても、普通に食べれた。

 その為、最悪、お米さえ用意しておけば、おにぎりも作れることがわかった。


 去年は本当に不幸中幸いな時期に、大停電が起きたと思う。

これが更に地震で建物が傷んだときに、停電でなくて、本当に良かったと思う。


 先日、TV番組で地震の特集があった。


 地震後には決して、お風呂の残り湯を使って、トイレに水を入れてはいけないらしい。

 

理由は地震が原因で、下水管が外れかかっていて、トイレに水を捨てたら、下の階の人の天井に、汚水が溢れた例もあるそうだ。


 オヤジが生まれてからまさかと言う事が、もう2回も起きた。


 これらの事は決して、オヤジ達の北海道の人々だけでは無く、読んで頂いている、あなた方、皆さんの身の回りのも起きるかもしれない事である。


 どうか、皆さんが一時だけの防災意識では無く、最低限の用意だけはしておいて欲しいと、思っているオヤジである。