キリンを諦めて。 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 先日、S2000の横に娘1号を乗っけて、今回は7月5日オープンした釧路水族館に行ってきました。



 水族館といっても、本物の大きな水族館では無く、水産物の物産店て作った場所で、1階が水産物の販売コーナーと海鮮バーベキュー場、そして2階が水族館と海鮮物の食事をする場所という、多目的なコーナーでした。





1階の水産物の物産センター。





同じく1階の海鮮バーベキューコーナー。



2階の海鮮物の食堂。











 そして、入場料が1人800円の簡易型水族館。もちろん、デジカメOK。ブロクOKという、気前のいい会社です。


 昼間から海鮮バーベキューが出来る場所は、ここら辺はあまりなく、オヤジの記憶だと、釧路から40キロほど離れた厚岸しかないと記憶しています。


 またこの水族館は簡易的な感じなので、入場料も大人一人800円とお手頃価格となっていますので、釧路に遊びに来た家族には、良い遊び場が出来たのではないでしょうか??



そして、その日は日帰りで337km走りました。


そして今日も今までのジメジメした雨がようやくやんで、カラッとした快晴!!早速、とんぼかえりで北見まで約100km程走りました。





休日、雨男のオヤジにしては、ずいぶん珍しい事です。


 あれっ??今日のオヤジのブログにしては、ずいぶん簡単に終わって珍しいし、この意味深なタイトルは何???と、思われる人は多いでしょう。


 (えっ?誰も思ってねーし。)


 2011年12月5日にこのブログの「キリンに憧れて」を書き始めてから早7年。思えば良くも続けられたかなと。


 オヤジのバイブルの湾岸ミッドの作者の楠木みちはる作の「エイト」の中で、人はその道のプロになるには3年間以上物事を続けれることが必要である。というような(多分、もっと違う書き方であるが・・・・)記載されている。そう考えると、今までの7年間はこのブログはオヤジの貴重な財産である。


 今でも最初のブログ「キリンに憧れて」を読み返すと。あの当時の熱い想いを思い出す。


 ブログに関わっていない人が、自分の人生を思い返すのがなかなか苦労する中、オヤジはこのブログを読んだだけで、あの時はこんなことがあったな。と、思い出させてくれるのだ。


 20代の頃に読んだ「キリン」。



 当時のオヤジにとっては負けても負けてもポルシェに闘いを挑む「キリン」は凄いヒーロであった。

 

 また、自分もバトル・スーツを購入したり、ついには「キリン」と同じカタナまで手に入れるほどの憧れる存在であった。


 が、その中でオヤジに中では、確実に自分はキリン(バイク乗り)では無い存在だと、キリンの世界を知れば知る程思い知らされた。


 要するにオヤジはこちら側の人間では無く、あちら側の人間だった訳だ。


 憧れたキリンの世界を諦めた今でも、オヤジは疾走(はしる)事は止めていない。


 今でも疾走(はし)っている。


 いや、止めたからこそ、狂ったように、ただひたすら遠くに。遠くに走り続けている。


 また、止めた今でも風を感じて疾走(はし)っている。


 バイクはオヤジにとっては飛べないツバサであったが、このS2000はようやくオヤジに自由な世界へのツバサを与えてくれる存在と感じている。


 人生は自分で考えているほどよりも、意外と短いものである。


このS2000にしても維持とかを考えたら、永遠に乗れる存在ではないし、この先、どうなるかも誰にも判らない。


 その中で、残りの人生に輝ける存在となったS2000に感謝です。


PS。先月の娘1号の誕生日にS2000のメイン・キーを渡しました。


今迄、マニュアルの免許を取りながらも、パジェロを運転させたら、エンストばかりおこしたり、S2000を運転させたら発進さえもできなくて、最後は運転するのも嫌だと泣き出した娘がです。


 その娘がようやく一人で運転できるようになりました。


 男親としては自分が教えれる事は、せめて車の事故で死なさない事だけでした。


 まだまだ親としては色々と教えなければいけない事が多い中、たったそれだけでしたが、少しだけ肩の荷が下りたような気がします。


 2018年7月13日。自分があちら側の人間だったと判った日にて。