あの日。 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 今日だけはオヤジの仮面をかぶれませんので、皆さんよろしくお願いいたします。


先日、2月28日にテレビでひっきりなしに、明日の天気の事を放送していた。


(明日、3月1日は5年前の死亡事故が発生した時と同じような、爆弾低気圧が発生しますので、不用な外出は控えてください。また、どうしても外出するときは・・・・・)


 当日。3月1日。そこで僕は娘2号を体調不良を理由に学校を休ませる事とした。

 また、仕方なく用事で昼まで車で出かける娘1号にはスコップ、毛布、防寒着、長靴などを車の積ませ、行く途中にガソリンを満タンにさせ、更に途中で帰れなくなった時の為に、緊急避難所を教えておいた。


 そうして、僕は自分のパジェロ・ミニには毛布2枚。防寒具、長靴、更に軍手を数双押し込み、出社前にはガソリンをパジェロ・ミニに満タン+20リッターの予備タンクを持参して、これにも満タンとした。

 更にお金を数万円持参して、会社の閉店後、帰れなくなった時を想定してありとあらゆる方法を考えておいた。


  5年前の3月2日のあの日、僕の判断ミスで家族全員を殺すところであったからだ。


 当時のあの日は残念ながら、猛吹雪の為、車が立ち往生をおこし、9人もの方が亡くなったのだが、その時、ぼくら家族の車も夕方の4時ごろから立ち往生を起こしすぐにガス欠。冷凍庫並みの寒い車の中で救助を待っていた。


 僕はすぐに警察に救助を求めたが、警察の答えは、(吹雪が収まるまで2次遭難のおそれがあるため、救助に行く事は出来ません。それまで何とか自分達で生き延びてください。)という無情な答えであった。

 

 遭難した場所は自分達の住んでいる街の入り口。距離にして500メートルほどであろうか??


 町まで歩いてすぐの為、僕は警察に連絡すれば、すぐにでも自衛隊がやってきて、ロープか何かで避難場所まで誘導してもらえるのかと思っていたが、それは大きな間違いであった。


 遭難した時は、特別、遭難したとは思わなかったのだが、それが何時間もの間、車の中で寒さにうち震えているうちに、徐々にもしかしてここで死ぬのかな??という思いが横切りだした。


 車の中に暖房が無いと体がすぐに冷える。冷えるためにトイレが近くなり、猛吹雪の中、
外で何回か用をたすと、着ていたジャンバーがびしょ濡れになって、ジャンバーもズボンもたちまち凍りだしてきた。

 外に出たときの視界はほとんどなく、多分、あの時家族が一緒にいなくて、自分一人なら近くの民家に助けを求めに行って行き倒れになっていたかもしれない。


 
遭難して8時間後の真夜中の12時ぐらいになると、寒さで震えが止まらなくなり、体は寒いのだが次第に眠気が襲ってきた。

 

 結局、助かったのは朝の午前8時すぎ。実に16時間もの間、吹雪の中、車に閉じ込められていた事になる。


 本当に家族4人が助かったのは奇跡としか言いようもない事であった。


その年、僕の母親が亡くなった。そして、翌年、義理の母親が亡くなり、その1年後、今度はかみさんの急死。


 僕たちがあの日助かった後から、3人もの身内が次々と亡くなってしまった。


 それ以来、僕の中ではある奇妙な考えが巡っている。


 もしかして、僕と2人の子供を助けるために、彼女達が犠牲になったのではないかと??

 神様が僕たちを生かすために、同じ数だけの命を僕の手から奪っていったのではないかと。



 もちろんこんな考えは、ナンセンスで非常にばかげている考えである。しかし、どうしてもこの考えが頭から離れないのである。



 あの日、僕はたった一回の判断を誤った。


 そして、今回の猛吹雪。


 TVやラジオは5年前と変わらない、猛吹雪が襲うため、車で移動される場合は命の危険があるので、なるべく不用意な外出は控えてください。と再三、注意を勧告していた。


 しかし、残念ながらとうとう一人の犠牲者が出てしまった。


 しかも、その方はロードサービスに従事されていた方であった。


 何度も何度もTVで外出を控えてください。と放送を流しているにも関わらず、事もあろうか、当日狩猟するために1人で林道に行って遭難した人を救出するために向かって亡くなってしまったという事であった。


 その方もまさか自分がそんなとこで亡くなるとは思ってもいなくて、何とか遭難した人を助けようと、使命感に燃えた方だったと思う。



 死は本当に身近にあるのだと改めて思う。


 あの日、偶然に生かされた自分達の幸せを感じ、志半ばで倒れた方の御冥福を祈りたいと思う。