人は脅かしが掛かると真剣になるものだ。
なんと、あれほど不可能だと言う銀色の新車が、本当に1ヶ月後、ピッタシにようやくオヤジの手元に届いたのだ。だけど、あれほど待ち望んでいた新車であったが、オヤジの興味はもう無くなっていた。
それと同時に、オヤジはFXの車検を取るのをやめて、大型自動2輪の限定解除を受けるべく、教習所に通った。
網走から北見まで通ったので、往復100キロ。新車は10日間で1,000キロ走破し、最初のオイル交換に持ち込んだ時に、車屋さんから驚かれていた。
そして、毎日半年間、教習場に通ったが、試験も出来ない状況で限定解除の挫折。
オヤジはそれ以来、バイクに興味を失い、以後、20年以上バイクから遠ざかっていた。
その年の冬。
新車のシャレードは坂道を滑り降りてきたタクシーが道路のポールを避けて、オヤジの車に激突!!半年間で新車は事故車に成り果てた。
オヤジはその車を修理して乗っていたのだが、2年後、オヤジは北見に転勤になり一人暮らしを始めていた。
そして、その翌年の春の事であった。
オヤジはスパイクタイヤを夏タイヤにするために実家に帰る途中であった。(当時はスタッドレスなんか無くて、冬はスパイク・タイヤが常識であった。)
少し飛ばし気味に走っていたオヤジであった。当時の車は105km/h過ぎるとキンコンがなるシステムだったので、大抵の人間は飛ばしても時速100km/h以上は出さない。
その場所は少し小高くなった橋の上であった。いきなり橋の上で対向車とハチ合わせとなったオヤジはあわてて、軽くハンドルを左に切った。
するとシャレードはシャーーーーーー。と鋭い音を立てながら、後ろが滑り出し、フロントを軸にして、対向車線の3メートル下の路肩にたたき落ちた。
何が何だか解らないオヤジ。あたりを見回すと、自分の運転席以外、後ろ、助手席と全ての部分が潰れていた。車が全損したことは明らかだった。
当時は携帯電話なんか無い時代だった。オヤジが路肩から這い上がってきた時に偶然通りかかった、別な地域の会社の同僚に助けてもらったオヤジはその人にオヤジの家まで乗っけてもらった。
翌日、車屋さんに連絡して引き上げてもらったとき、オヤジがピンピンしていたので、どうやったら、これほど車が破壊されていても何ともなかったのか不思議がっていた。(オヤジが助かったのは、やはりシードベルトをきちんとしていたせいです。もし、していなかったら、多分・・・・生きてはいなかったでしょうね。)
車は修理するより買い替えたほうが早いし、フレームが完全に逝っているので真っ直ぐに走らない。と言われたが、当時は一人暮らしの為、あまりお金を使いたくなかったオヤジは修理という事にしてもらった。確か全損で100万円ぐらい保険金が出たと思う。
ところが・・・・・1ヶ月経っても車は修理できていなかった。
車屋さんに聞いても「部品待ち。」という返事しか返ってこなかった。
1ヶ月待ち、2ヶ月待ち、3ヶ月待ち・・・・修理待ちの車に、流石のオヤジもこれは変だと思い、車屋さんに「新車でも1ヶ月で来るのに、部品が無いなんておかしいでしょ??」と脅かすと、しぶしぶ保険が降りないという話を聞いた。
保険屋を呼びつけたら、なんとオヤジに飲酒運転容疑がかかっていたらしい。
要するに事故を起こして警察にも届けないで、翌日、車を引き揚げたのは、飲酒運転を隠していた為だと判断されたのだ。
この時からオヤジは今迄、10年以上も長い間契約している、保険屋さんに疑問を持ちだした。
結局、酒気帯び運転容疑の晴れないまま、いやいや保険が降りて、約7か月後に事故から無事に、シャレードは復帰した。
その年、オヤジは札幌からの帰り、高速道路で新車の白いRX-7のFCを操る、我がクラブ・ミッドナイトのファースト・ナンバーSさんと、時速180km/hで失速するFCを軽々抜いていく、真っ白なポルシェと遭遇した。
その時感じたことはまるで、あのコミックも「キリン」の主人公を同じ気持であった。
オヤジはその足でSさんと同じFCの黒を買おうと思い、北見の中古屋に向かう途中の事であった。
その国道は左側車線がオヤジ。そして右側がどこかのおやじであった。
何を思ったのか、そのおやじはオヤジの車を確認しないで、いきなりオヤジの車線に割り込んできた。
シャーーーーーッ!!という、鋭い音!!ドァーミラーはひしゃげ、フェンダーにキズが入った。
哀れ新車のシャレードは3回も事故を起こしてしまった。
事故を起こしたおやじはオヤジの車を見て、フェンダーをぶつけたのは俺だが、ミラーは元々壊れていた。と言い張った。(当時は事故を起こしたら絶対に謝るな。謝ったら負けて保険の割合が高くなる。と言う、誤った風潮があった。)
その言葉でもう完全に切れたオヤジは、警察を呼んだあと、「お前では話にならないから、お前の保険屋を呼べ!!」と一括した。
翌日、相手の保険屋は来たのだが、肝心なオヤジのほうの保険屋は顔も出さなかった。
ベテランの保険屋相手に、ド素人のオヤジはたった一人で闘った。
「路上事故なので、6:4で当方が6割保険を持ちます。」と、保険屋はオヤジに事務的に答えた。
「納得いきませんね。」オヤジは怒り狂っている芝居をした。
「どうして私が普通に走っていて、過失が4割なんですか??素人にも判るようにキチンと説明してください。」
保険屋は困り果て「これが普通の対応ですが、仕方がありません、7:3に特別しましよう。」と、割合を下げてきた。
「だからいきなりまた割合を変えるのもおかしい話でないですか??なんで簡単に割合を変えるのですか??」
「きちんと僕に理解できる説明をしてくれたら、僕が過失10でも構いませんよ。」と、さらに保険屋を脅かした。
「あんたも強情だね。普通は路上事故は、6:4って決まっているの。」と保険屋は語気を荒げた。
そこで、オヤジはとどめの一言を添えた。「大体、俺はあの時車を買いかえるつもりで、走っていて事故にあったんだから、事故車扱いで査定が下がったら、お前のとこで弁償させてもらうぞ!!」と、さらに脅かしを入れた。
これがのちのオヤジ!!保険屋を恐喝する事件と呼ばれる全貌であった。
結局、保険屋は根負けして、オヤジは全額修理代金を保険屋からせしめたが、肝心なオヤジの保険屋が一度も顔を出さない事に、更に不信感が積もった。
その年、オヤジの父親は体調を崩し、わずか3ヶ月であっけなく、オヤジの元を去った。
悲しみで何も出来ないオヤジの事に、今まで10年以上も付き合いの無かったS車輌の社長がいの一番に駆け付けて、オヤジの替わりに葬式の手配から何やら全部めんどくさい手続きを行ってくれた。
オヤジは葬式が終わった後、S車輌の社長に聞いた。
「今まで付き合いの無かった僕に、何でこんなに親切にしてくれるのですか??」
「お前の為なんかでないよ。お前のオヤジには俺はいろいろ世話になったから、お前のオヤジの為に俺はやったんだ。」
その言葉を聞いてオヤジは生まれて初めて心から泣いた。