「たかが車。されど車。」 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 今日のブログは異常に長いので、興味のない人はパスしてください。

今日のお話はオヤジの長い人生で,体験した車とバイクの遍歴のお話です。



「たかが車。されど車。」


この言葉は、オヤジがお世話になっているS車輌の社長の言った言葉だ。

 

 最近S2000を手に入れて、前にも体験した妙な感覚に陥っていた。良く考えて見ると、それはS車輌の社長のお蔭で、ようやく車コンプレックスから抜け出せた、ある1台の車を買ったときの感覚である。その時にS車輌の社長から言われた言葉なのだ。


 前に書いた事もあるが、オヤジは多分、バイクや車好きな読者の皆さんの中では、一番を争うほどの運動オンチなほうである。


 そのオンチ度は、オヤジの通った自動車学校(当時は教習場であったが。)で、歴代1位、2位を争うほど、ひどい落ちこぼれであった。

 車の免許を取ったのが26年も前であったが、娘1号が数か月前に、マニュアルの免許を取りに行った時に、学校に見に行ったら、教官から一発で「もしかしてオヤジ君?」と判るほど、有名な劣等生であった。


 そんなオヤジがどうして、自他ともに認める、車やバイクバカになったのか、これから少しずつ話していきたい。


 20歳の頃、友人たちがスカイライン2000GT.スプリンタートレノ、ミラージュなどの人気のあるスポーッカーを乗りまわしている中、ようやく車の免許証を手に入れたオヤジも人並みに、カッコ良いスポーッカーが欲しかった。


 そこで、オヤジは父親に自分の乗りたい車を告げた。

オヤジの父親は「お前が欲しいなら、何を乗っても良いが、お前の車だから、援助は一切しない。お前自身のお金で払って買いなさい。」という言葉であった。


 オヤジの当時の初任給は手取りで8万円ほどであった。だから友人たちのように100万円オーバーのスカイライン2000GT等を手に入れることは、夢のまた夢の話しであった。

 しかし、生活の足としての車は必要だ。そこでオヤジは父親の紹介で、いま、オヤジが全面的にお世話になっている親戚のS車輌では無く、別な親戚の車屋さんを紹介された。


「5万円でチェリーがあるよ。」そこの社長が言った。


「チェリーって、あのスポーツカータイプのチェリーですよね?」と、オヤジが聞くと、「そうだよ。」と答えたので、オヤジは値段の安さに目がくらみ、すぐにその車に飛びついた。

 

当時の総支払いは確か15万程だったと思う。



 オヤジの欲しかったチェリーX1R。フロントはオッサン顔ではるが、後姿がどことなくスカイラインに似て、スポーツカーぽかった。


 しかし、オヤジの手元に届いた車は・・・・悲しいほどにオッサン車であった。



更になげなしのオヤジの全財産の15万円を支払いに行くと、

「オヤジ。悪い。悪い。計算を間違ったから、後10万円追加で払ってくれ。」と言われたので、オヤジは泣きながら父親に頭を下げ、10万円を借りて支払いを終えたのだ。

 後日、この社長は親戚の集まりの中、みんなの前で

「俺は親戚だからって安くはしない。しっかりもうけは取るよ。」と豪語したので、その時から、若いオヤジは親戚からは物は一切買わない。と心に固く誓ったのである。

 

 その時は今、お世話になっているS車輌は、オヤジの目の前にハコスカを乗ってきて、この車を50万円で売ってやる。と、言っていたのだが、当時のハコスカは今のような価値は無く、中古屋で買う車でなく、AE86のように解体屋で買ってくるぐらい古い車なので、親戚不審に落ちいっていたオヤジは、S車輌の社長も相手をしないと決めて以来、10年間ぐらい付き合いはやめていた。


オヤジが初めてこのオッサンチェリーを友人たちの前に乗ってきた時に、みんなに一斉に「なにオッサン車買っているんだよ!!」とバカにされ笑われた。

 しかも、あれほど毎日のように、遊びまわっていた友人たちは、それ以来、ピタリとオヤジの前に現われなくなった。


 その時からオヤジは車に対するコンプレックスを長い間、感じるようになっていた。