第一部 ーSの称号ー
まず、このブログはS2000のAP2の事をくさしている訳でない事や、一つの小説だと思い読んで頂いたら幸いです。
なお、オヤジの勉強不足もあり、事実と多少の間違いがあることは、ご愛嬌でお願いいたします。
1999年4月。
ホンダから50周年記念モデルとして、あるマシンが誕生した。
HONDA S2000
オープン2シーター。
排気量1,977cc 直列4気筒、V-TECエンジンをフロント・ミッドシップに搭載。
HONDA社にしては実に29年ぶりのFR車であった。
それは最高出力:250馬力、リッターあたり125ps。エンジン許容回転数は9,000rpmである。
市販車においてこのような高回転型エンジンは稀であり、そのピストンスピードはF1 エンジンに匹敵する。
しかし、そのエンジン特性とは反対に、足回りに問題があり、特にその初期型は限界域でピーキーな動きが激しく、滑り出したらコントロールは難しくすぐにスピンを起こした。
たが、そのカミソリのようなコーナリングはあのNSXでさえ凌駕する切れ味を持っていて、一部のマニアの間では「乗り手を選ぶマシン。」と噂をされていた。
2005年
その扱いづらいマシンは世相に受け入れられず、排気量を2,156ccと大幅にアップされた。
これにより中低速トルクが増し、扱いやすくなったマシンと化した。
しかし、ピークパワー値やレブリミット回転数はダウンし、乗り味を著しくかえてしまったのである。
世間ではそれを進化と呼ぶ。が、一部の人の間ではそれは去勢された物と呼ぶ人もいた。
時代は流れ、多くのライバル車が出てきた。
ホンダは乱暴に言えばFFの会社である。
その中で、改めてS2000というFRオープンカーを出したことが、大きな矛盾を抱えてしまったのだ。
デビュー時が完成形であり、最高峰だったのだ。
競合他車が進化するにつれ性能が陳腐化していく中、そのすべてがS2000専用設計だった為、他の変更が出来なくなっていった。
その後、10年間生産され、フルモデルチェンジすることなくS2000は静かに歴史から消えて行ったのである。
2017年11月。
時代はスポーッカーの存在を否定し、燃料は電気、運転は自動化されるのが現実を帯びだしてきた今、1台の化石燃料で走る鈍く銀色に光るモンスターが長い間の眠りから目を覚ました。
RUNー走るー2に続く。