先日からブログ上でお付き合いさせてもらっている、主(あるじ)さんが、何故、大型自動2輪の免許を取ったのかを書いていたのに刺激を受けて、オヤジも一つ昔話を。
まず、オヤジは多分みなさんよりも運動神経が良いほうではない。小学生から社会に出るまで、苦手な教科は体育。5段階評価ではオール2ぐらいの、運動音痴であった。
後で書くが、車の運転免許を取るのには、取に行った学校で歴代1,2を争うほどの試験の落ちたほうであった。また、バイクの免許を取ったのもかなり苦労したほうである。そんな運転オンチのオヤジが何故、大型バイクに乗るまでになったのかを少しばかり話しをしたい。かなり長くなるから、嫌な人は今日はスルーしてください。
オヤジがバイクというものに興味を持ち始めたのは中学生ぐらいである。当時、男の子の部屋には必ず貼っていたであろう、「イージー・ライダー」という映画のポスターでピーターフォンダーとデニスホッパーの二人が並んで走っている、ハーレーのチョッパーと言われるバイクである。
確か当時、Z400FXが輝かしいデビューを飾ったと思われるが、当時のオートバイ雑誌を読んで、友人がみんなZ400FXがカッコ良いという中、オヤジ一人だけが同じ時にデビューした、Z400LTDという単にハンドルだけがアメリカンタイプのアメリカンもどきのバイクが大好きであった。その当時はオヤジはバイク=ハーレーしか知らなくて、当時のTVドラマ「ハイウェーィパトロール・チップス」に出てくるカワサキZ1000でさえ、あのカウリングでハーレーのFLHだと信じきっていたぐらい無知であった。
そして高校時代、オヤジは3無い運動の一番厳しい時代にいた。
バイクの免許を取らさない。
バイクを買わさない。
バイクに乗らさない。
要するに
バイク=社会悪。
という認識の真っただ中であった。また、大型自動2輪は限定解除が必要で、自動車学校では絶対取れない免許だったので、
バイクが好きな人の中では、
大型自動2輪=神。
400ccまでの中型免許を持っている人=英雄視され、オヤジ達の認識の中ではバイク=50ccの原動機付き自転車。であった。当時、高校で禁止されている原付免許の取得が流行、オヤジも免許を取に行こうという前日に、学校で原付免許狩りがあり、オヤジの目の前で大部分の生徒が停学となっていった。
そんな中、高校に行かなかった友人たちが原付を乗り回していた。当時、流行っていたバイクはスズキハスラー50。(今の軽自動車ではないのよ。本当のハスラーはこっちが元祖なのよ。)
と、ヤマハMR50。というバイクであった。
ハスラーは低速で粘りがあり、モトクロスの真似事にはうってつけのバイクであり、MR50は高速が伸びるので、50ccであるが下りの坂道では90km/hを超えると言われるぐらい速かった。
そのMR50に乗っていた友人が貸してやる。という事で、オヤジも無免許であるが、資材置き場の私有地で、(当時は私有地でも勝手にバイクを乗り回しても、何も言われないおおらかな時代であった。原動機付き自転車という項目なので、ヘルメットはいらない時代であるが、ヘルメットをかぶるとレーサーぽくってカッコ良いという事で、みんな自主的にヘルメットはかぶっていた。)
オヤジは乗り方も何も知らないで、「ここがブレーキ。ここがアクセル。ここがクラッチ。」と、教えてもらっただけで、ノーヘルでいきなりの試乗会となった。
知ったかぶりで、運動オンチのオヤジはいきなり、MR50のアクセルを吹かした。MR50は1速のまま暴走を始め、バラ線の柵に向かって突進した。その結果、オヤジはバラ線に絡まりMR50は1速のまま走り続けたので、エンジンが焼付いた。その夜、オヤジのメガネは無残にひん曲がり、顔には醜い傷跡、体中にも傷跡が付いたまま帰宅したオヤジは両親にこっぴどく怒られた。
高校を卒業したオヤジは早速、原付免許を取り、オヤジが壊したMR50を友人から買って、1年間ほどオヤジの足とした。
19歳になってオヤジは社会に出たが、その時に車の免許を取ろうとしたが、当時、行っていたところが教習所であり、極度に上がりやすい体質のオヤジは立て続けに試験に落ちまくり、半年間ほど通って時に会社の社長から「今度、試験に落ちたらしばらく行くのは休め。」という脅かしにあったのが幸いしたのか、ようやく半年間後に車の免許がうかったのである。
そして、1年後、どうしても自動2輪の中型免許が欲しくなり、また無理を言って、今度は自動車学校で、中型自動2輪の免許を取りにいったのだ。
当時は車もバイクもどこに行っても免許を取る人で溢れ、学校側もあまり素行の良くない人は、入学金を払い込むと、厳しく教習してどんどん辞めさせる学校も多かった。
現にオヤジの友人も中型免許を取りに行っているときに、乗っていた車のシャコタンがバレ、教官に「絶対に試験なんか受けさせない。」といわれ、校長の目の前でその教官とケンカして、教習用紙を破り捨てて辞めたクチであった。自動車学校にシャコタンで行く友人も友人だが、露骨に試験を受けさせない。という教官も教官だと思う。
オヤジもまたまた、教習が長くなり、そろそろ会社から行くのをやめろと言われそうな雰囲気が漂っていた。そこで、オヤジは学校の校長に、「そろそろ、会社にも迷惑がかかるので、もう来るのは辞めます。」と言った後に教官には「いつ試験をさせてもらえるんですか??」と、文句を言った途端に、教官も諦めたのか、次に試験を行う。という言葉をもらった。
当時は自動車学校で免許が取れる。という時代だが、それでもそれなりに試験を受けるまで苦労した時代であった。
免許を取った時にオヤジは教官にあいさつに行った時に言われた言葉がある。「君はカッとなりやすい性格だから、絶対に400ccは乗るな。250ccで我慢しておけ。でないと、本当に死ぬぞ!!」多分、教官は教官なりにオヤジの事を心配してくれたんだと思う。当時、なにも考えないオヤジには判らなかったが、今のオヤジなら自分自身でもそう思う。
20歳で中型自動2輪の免許を取得したオヤジは、色々とバイクを物色していた。その時に目が止まったバイクがZ400FXであった。理由は安い。というだけである。車検が半年付いて18万円。バイク屋のオヤジがスズキの新古車の400ccを40万のを30万にしてあげる。というのにも耳を貸さず、12万円も安いという理由でZ400FXにした。後々、良く考えると、車検でまたお金がかかるから、本当は新古車のほうがはるかに安い買い物であったのだが、当時のオヤジは目先の安さに目がくらんで、何も考えなかったのだ。
数日後のバイク屋に行くと、後ろのテールカウルのフレームがボッキリと折れているFXがあった。「これが僕のバイクですか?」と聞くと、いや違うよ。と答えたので安心したオヤジであった。
そして初めて手に入れたZ400FX。何だか違和感はあったが、特別普通に走るので気にはしなかった。
タンクは濃紺でこのデザインなのだが、テールカウルは
こっち側のストライプのデザインであった。もしや、と思って、シートを開けたら・・・やはりテールカウルを取り付けてるフレームには素人が無理やり付けたような醜い溶接がされていた。
普通の人なら事故車だと怒るとは思うが、オヤジは普通の運転には支障はないから別に気にしないで乗り続けた。5年ぐらいたって(主さん。ごめん。10年でなくて、5年ぐらいだった。間違いました。)そのバイク屋に行った時に、「あのFXまだ乗っていますよ。」というと、バイク屋のオヤジは非常に驚き、「あのバイクはエンジンが焼付いたバイクだから、あまり回さないほうが良いよ。」とのたまった。
多分、普通の人は事故車でエンジンが焼付いたバイクをだまして買わされた。と半狂乱になるかと思うが、5年も乗っていると、もう自分の相棒。紋別で友人が事故を起こしたと聞いて、カッとんで走った事。おバカなことをして転倒をしたこと。と色々と思い出を作ってもらったバイクであった。
普通に走る分には全然何ともないし、400ccに見えない大きな車体で、オヤジはこのバイクは一生乗り続けるぞ。と心に固く誓ったのだ。
しかし、別れの時はすぐにやってきた。10年以上の古いバイクは2年車検ではなく毎年車検。という法律ができ、コストが高くなるという事で、オヤジはFXの車検を取るのをやめて、当時は東大の合格率よりも低い限定解除を受ける事としたのだ。
次に続く。明日は娘の卒業式だから1回休みます。

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