皆さん。今年一年、ずいぶんお世話になりましたニャン♪(ココ談。)
気が付けば掃除関係の本だけでもこんなに買ってしまっていたオヤジです。(笑♪)
まったく、最近は掃除マニアになるのですが、実践が伴わず、気が付けば、掃除の洗剤、道具をあれこれ買いまくっています。
さてさて、昨年はオヤジはいろいろあり、今年も昨年に負けないぐらい、色々と波乱がありました。
そんな中でオヤジの読者の方々よりも、オヤジはほんの少しだけ長く生きた分、ようやく悟った事がある。それは本当にごく平凡な人生が一番幸せだという事である。
人生は喜び半分。悲しみ半分。(十二国記より)
等価交換の法則(鋼の錬金術師より)
と、いうように、人生で大成功を収めた人は、その大きさぶんの苦しみを負う事になるのです。
オヤジの知っている人で、親の大会社を継いだ途端に倒産。大きな負債をかかえて、その後処理で毎日走り回り、当時は車でそのままどこかに突っ込んだらどんなに楽か。と言っていた人が、今は別な業態の大会社の社長になっている人がいる。
その人の人生は最初にとてつもない苦労があり、それを乗り越えた今、その反動で大きな幸せを得たと思う。
オヤジ家の今年の1年もまたそうであった。最初の月は苦労の連続で、「もしかしたら、うちは他人から見たらかなり不幸な家でないのかな?」と、悩んだ時もあった。
多分、こんな時心理状態の時に怪しげな宗教の勧誘や、幸運の壺という商品を買わされるのではないかと思う。そのぐらいの大変な出来事が起きた1年でもあった。
だけどその当時、いくら考えても自分の家は不幸なのか??という考えは思い浮ばなかった。
答えは単純明白である。それは食べる事に苦労していないのである。
贅沢は出来ないけれども、子供達にしっかり食べさせることが出来、それなりに暮らしていけたからである。
更にはカタナを買ったり、自分の理想のガレージを作ることが出来た。
これは下手したら贅沢以外何物でないであろう。
そこで、オヤジはこういう結論に達した。
要はその人の考え方次第なんだと。
人生はその人に様々な出来事を与えてくれる。その起きた出来事に対して、自分はなんて不幸なんだ。ついていないんだ。という考え方と、今はこんな状態だけども、何とかこれで収まったのは、自分は幸運だった。と考えれるか。なんだと思う。
先日、ブログ上のお付き合いのある主(あるじ)さんの大切なバイクが転倒して、スライダーを付けていた影響で、エンジンにヒビが入っている大きな故障が見つかったブログを読んだ時だ。
通常は大切なバイクがこんなに修理がかかって大変だ。とか、ついていない。という考え方が大半だと思う。
ところが、彼はバイクの修理代は高くついたが、スライダーのおかげで、自分の足がバイクの下敷きにならなくて、足が折れなくて良かった。という書き込みをしていた。
足が折れなかったおかげで、今もちゃんと仕事が出来ている。という感謝の気持ちが出ていた。
彼は自営業の社長だ。入院=即生活が出来なくなる。という厳しい状況の中、バイクを走らせている。
オヤジ家はかみさんが亡くなった日から、生活は一変した。
昨日も疲れから気が付けば夜の2時ぐらいまでソファーで寝ていた。
しかし、まだオヤジは恵まれている。
子供達は素直に育ってくれた。
今日の休日、娘2号は北見に買い物に行きたい。と、言ったとき、オヤジは「ごめん。この1年、ほとんど仕事も休みも北見ばかり行って、疲れているから今日は近間にしよう。」と、言った途端、娘2号は少しむくれて自分の部屋に行ってしまった。
昔から娘2号は少し我儘にオヤジは育ててしまった。
(また、むくれて自分の部屋に行ったか。)と、オヤジは舌打ちをした。
しかし、少し経ち下に降りた時に、娘2号はオヤジの体の心配をしてくれて、近間に買い物を行く事を了解してくれた。
人の事を思う優しさを持ってくれた娘に感謝したい。
こんな些細なことに感謝が出来る、平凡な1日。
実はこれが本当の一番の幸せなのだと思う今日この頃である。
2016年12月30日。凍てつく真冬の中、暖かい家の中にて。
今年一年色々なことがあり、色々と応援してくれた読者の皆様に感謝しつつ、今年のブログを終えたいと思います。
PS。しかし、実際はその後、北見に遊びに行った懲りないオヤジであった。
(やっぱし、最後が決まらなかったオヤジであった。)
_| ̄|○ ガックシ!!

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