ここしばらくブログを書く暇もない忙しさであったオヤジです。
26日、27日は娘1号が生まれて初めて一人で札幌に行き、29日は娘2号が初めて重い病にかかり、そして今日は、視界数メートルという猛吹雪の中、決死で娘2号を病院に連れて行き、その足で、娘1号の卒業式の出席と、試練が次から次にオヤジを襲う!!
まったく、シングルというのは不意に泣きたくなる事が起きますが、それでも一つ一つ何とかこなしていかなければいけませんね。
それでは第一弾として、可愛い娘(こ)には、旅をさせろ。の始まり始まりです。
世の中には、何事も要領の悪い子がどこにでもいる。
たとえば、楽しみにしていた修学旅行で汽車がやってくる途端に、(ふん。今時の子は修学旅行は飛行機だろうなぁーー。オヤジの時代は修学旅行は汽車だったんだよ。汽車!!と、何故か今日は挑発的な言葉を出すオヤジである。)急にトイレに行きたくなり、トイレに行っている間に乗り遅れてしまう子みたいに。
娘1号もそんな子の一人であった。
そんな子は概して、あまりの要領の悪いために、ついイライラして怒ってしまう事がある。しかしそれがますますその子を委縮させて、更に要領が悪い子。という悪循環となっていく。
その為、オヤジはかみさんが亡くなった後は、決して娘1号には怒らないで、なるべく何でも失敗しても一人でやらせる事としていたのだ。
恥ずかしい話。オヤジ家は娘2号は放任主義であったので、割かし小学生の頃から一人で汽車に乗って、北見まで勝手に行ける子であったが、娘1号は何事も一人でやらしたことが無い為に、普通の子が通常何ともなくできる事も、一から教えないと行けないのであった。
早い話、汽車にはどうやって乗っていいのか??という事から教えないといけないのである。
そして、問題の26日。彼女はたった一人で翌日、27日に入校式のある札幌に汽車で行く事になったのだ。
かみさんがいたときは、ついかみさんが色々手を出したのであるが、オヤジは今回は何から何まで手を出さないで、お金だけ出す事と決めたのだ。
まずは26日に停まるホテルの予約。
早速、やってくれました。予約したホテルは何やら高そうなホテルの名前。
ホテル代を聞いたら、オヤジの予想した金額の倍であった。
どうして、他のホテルの宿泊の金額も聞かなかった??と聞くと、何やら断りきれない雰囲気があったと言う。
まあ、まずはオヤジが最初はホテルの予約のやり方を教えれば良かったのだが、何もわからない娘1号に、さあやってみろ。と言って失敗するのは当たり前の為、今回は自分の教え方の悪い授業料だと思う事とした。
で、交通は吹雪を考えて、汽車が一番安全だと考え、26日、27日の往復の切符を、娘1号の前で買い求めて、切符の買い方を教える事にした。
26日。当日、いよいよ出発の日である。
娘1号を先に駅に連れて行きオヤジは駐車場に車を置き、駅に着いてみると、何やら娘1号の手荷物や旅行バックが待合室にあるのだが、肝心な娘1号がいないのである。
数分後、トイレから出てきた娘1号に、オヤジの小言が爆発した。
「荷物を全部待合室に置いてトイレに行くとはどういう事だ!!」
「お前、札幌でこんなことしたら、ものの数分で全部盗まれるぞ!!」
置いてあった手荷物には往復の切符にホテル代と二日分の食事代やら、お小遣いの全ての全財産。さらにスマホまで入っていたのである。
オヤジも若い頃、安いという理由で札幌のカプセル・ホテルに入ったら、ものの1分で時計を盗まれ、苦い勉強をしたことがあったのだ。
その体験談を話し、恰好は悪いけど、手荷物はたすき掛けにして持っていないとひったくられる事もあるという事も注意した。
娘1号はこれから始まる一人旅の事で興奮して、オヤジの小言も何も聞いていないようであった。
そして札幌に着いたらメールをよこせ。と言っていたが、肝心の到着時間になっても、なんの音沙汰無であった。
オヤジのほうから、無事に札幌に着いたのか??と、メールを送っても、何も返答が来なかったので、これは完全に札幌で荷物を全部盗まれたのだと思って心配していた矢先の事であった。
もし何かあったら警察を頼れ。と言っているので、警察からの連絡を待つだけであるが、肝心なオヤジの連絡先があるスマホも盗まれたら、もうお手上げ状態である。
そうこうして、やきもきしていたら、約1時間後にようやく目的地のホテル着いたとの事であった。
目的地のホテルは駅のすぐ横だったのだが、知らないで1時間もの間、札幌の街を彷徨ったそうである。
真夜中に来た娘1号のメールによると、ホテルの着く間、食事もどこで食べるか1人で出来ないために、コンビニの弁当を買って、夕食はホテルで食べたそうである。
で、真夜中の娘1号のメールによると、帰り道の列車の乗り方についてのメールであった。
メールの内容は、「改札口を通ったら、切符はどうするのか?」という内容であった。
あまりの訳の判らない内容なので、ついにオヤジは真夜中の12時すぎに、娘1号に電話をかけた。
そして、切符は降りるまで必ず持っていないと、無賃乗車で警察に捕まるぞ。という事まで分かりやすく教えたのである。
娘2号ならこんなこと、教えなくても当たり前だと判るのにな・・・・と、ぶつぶつ文句を言いながらも、これが出来なければ娘1号は本当に何も出来ない子になってしまうので、オヤジは娘1号に今まで何もやらさなかった事のツケが来たのを後悔していたのである。
翌日、27日の入校式。
途中のメールには、すごく楽しそうな事を書いて送られていた。
ここで最大の問題が一つ発生したのである。
帰りの汽車は5時30分発であるが、学校の入校終了が5時であった。
その為まともに入校式の最後までいたら必ず帰れなくなるので、オヤジは再三、帰りは汽車の時間があるために、先生には4時30分には帰る事を言いなさい言っていた。
だが、娘1号はなかなか人には何も言えない性格の為、大丈夫かと思っていたら、なんと2時30分には駅に着いて汽車を待っている。というメールであった。
後々聞くと、入校式はわずか1時間で終わり、残りは学校の説明会の為に、さっさと帰ってきたらしいのだが、オヤジの5時30分の汽車に乗り遅れると帰ってこれないし、ホテルの宿泊の予約もしていないから、泊まるところも無い。という脅かしが効いたのか、娘1号はひたすら3時間もの間、駅の待合室で汽車を待っていたそうである。
そして娘1号から無事に帰りの汽車に乗った事を伝えるメールが来たので、後は駅に着いたらタクシーに乗って帰ってこい。と、ようやく一安心したオヤジであった。
その夜、ふと何気なく娘1号の帰りの到着時間を調べたら、なんと到着2分前であった。
「もう、そんな時間になるんだ。」と、オヤジは気が変わり、娘1号を迎えに行く事とした。
2月の真夜中。外はかなり寒さが厳しい状態である。
だけど、初めて自分一人で札幌まで行って帰ってきた娘に、お疲れさん。良くやったな。と誉めてあげたかったのが親としての心情であった。
到着時間まで遅れる事約5分。だけどそこには娘1号の姿は見えなかった。
今どこだ?というメールを送ると、2つ先の町というメールであった。
オヤジは15分ぐらい駅で待っていると、ようやく汽車がやってきた。
「よく1人で頑張ったな。」と言う言葉を娘にかけてやろうとしても、待つこと5分。誰も駅からは戻ってきて来なかった。
「何やっているんだ??」と不思議に思ったオヤジは、駅からホームに出てみるとそこには誰もいなかった。
「降り遅れたな!!」と直感したオヤジはすぐに終着駅の網走に車を走らせた。
間髪入れずに娘から降り遅れた。というメールが入る。
真夜中の凍てついた道路は、フル・タイム4WDのタントをも簡単にドリフトさせる。
オヤジは後ろが大げさに降るのもかまわずに、タントカスタムのアクセルをフルに踏み込む。
汽車から遅れる事数分。午後11時過ぎにオヤジは終着駅の網走に着いたのだ。
そして急いで改札口にたどり着いたが、そこには娘1号の姿は見えなかった。
娘1号の要領の悪さに、だんだんイライラしていたオヤジはついに、我慢の限界が超えてしまった。
「今、どこにいる??」と、娘1号に電話したオヤジは、もはやそこには普段の優しいお父さんの姿は無かった。
「今、外の●●。」娘1号のオドオドした声。
(まずい!!このままなら怒りを抑えることが出来ない。)と、思ったオヤジであったが、もう怒りを抑えることが出来なかった。
娘1号の要領の得ない解答に、更にオヤジは「そこじゃわからんから、すぐに駅前の電話BOXにやってこい!!」
と、怒りのままに電話を切った。
しかし、数分待っても娘の姿は現れ無かった。
車からシャツ1枚で外に出たオヤジにたちまち、マイナス18℃の寒気が襲う。それが更に苛立ちを増加させていた。
再び電話。
「お前、一体何やってんだ??」と、聞けば、今度は改札口で待っているとの事である。
「だから駅前の電話BOXに来い。と言っただろう。」
それから数分後、ようやく娘1号に会えたオヤジであった。
その帰り道、これから社会に出ていくのに、何か間違ったら勝手に自分で判断して動かないで、その場にいることが大切な事を教えたオヤジであった。
よく、可愛い子には旅をさせろ。と言うが、本当に親の心は子知らずですね。
オヤジも親にはそんな思い、何度もさせてきたんだろうなぁーー。
今更ながら、親が子供を育てる大変さを知るオヤジであった。
娘1号よ。あの時は本当はよく一人で最後まで頑張ったな。と伝えたかったのだが、自分の感情に負けて、思わず怒鳴って済まなかったな。
これからもオヤジはお前たちの親として、少しずつでもいいから成長していくから、お前も何事も失敗を恐れないで頑張れよ!!
PS・非常に何事も要領の悪い娘1号。だが、次回はオヤジの右腕となる非常に大切な存在と化していたのである。

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