かみさんの急逝によって、おそらく、自分自身、もう再びアメブロに戻ってくることは無いと思っていました。
まず、最初にこのブログでかってキリン(バイク乗り)に憧れた漢(おとこ)はもうここにはいない。という事をお知らせいたします。
もちろん、今でもバイクは好きだし、乗ることはあると思う。が、かみさんの急逝によって、これからのブログの内容はバイク中心では無く、残された子達との生活が中心になっていくと思う。
その為、ヘッダーの画像もいずれは変わっていくと思います。
まあ、気まぐれな自分のことですから、逆にバイクの話が今まで以上に多くなったりして。(笑い♪)
だから、キリンに憧れた漢(おとこ)のお話は前回でもう終わりです。
かみさんの入院中に青いバラの花束を送って頂いた主(あるじ)さん。特別な餡パンを送って頂いたVIPERさん。そして、メッセージを送って頂いた多くの方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。本当に元気をつけされました。
主(あるじ)さんから送って頂いたブルーローズ。花言葉はもちろん「奇跡」です。
また、VIPERさんから送って頂いた、特別な餡パン。前回の餡パンの改良型です。
残念ながらかみさんはもうすでに口にすることはできませんでしたが、娘2号は一口食べた途端に、こっちのほうが美味しい。と思わず口にしました。
また、このブログ以降から、オヤジからぼくと呼び名を変更させて頂かせてもらいます。(これ以降のブログで、オヤジと書いていくのが、なんだか変なようなものですから)
さて、7月の末に緩和ケァーに入ったかみさんは、抗がん剤を止め、痛み止めの多量の投薬のため、次第に意識が無くなり眠っている時間が多くなりましたが、相変わらず僕たちが面会する時はうれしそうでした。
僕は8月4日から旅行をするために7日までの4連休を取っていたので、4日に家族全員で病院に泊まる約束をした中、2日の面会前に急に病院から、かみさんが危篤になったと電話が入りました。
そこで、急いでかみさんに会いにいくと、普段通り変わらない状態でした。が、ただその日に限って、何故だか一緒にいて欲しい。と、頼まれたので、会社には急遽休みを取り、僕はこのまま7日までの6日間を休む事としました。
2日は一旦自宅に戻り、6日間、病院に泊まることを子供たちに告げ、着替えや子供たちは宿題を持たせ、最後に会いたかっていたココを連れて再び病院に舞い戻りました。
かみさんは個室部屋で1泊6、000円。ココはペットショツプに預けることにして、1泊4、800円・・・・・・(うわっ!!人間様と変わらない値段だっ!!)
それからの6日間は本当に僕たちは毎日、かみさんだけを考え、過ごした日となりました。
緩和ケァーのスタッフは、最期の時を迎えるかみさんに、色々と尽くしてくれました。
7/31日 かみさん誕生日祝い。
8/3日 娘2号の誕生日祝い。
8/5日 少しだけ早い七夕祭り。
眠れぬ夜を過ごしている僕はかみさんの病室に入り、肉がなくなり骨だらけになった足をさすりながら、涙を流していると、翌朝、すでに声を出せなくなっているかみさんが、身振り手振りで 「あんた昨日の夜中に泣いていたでしょ。」と、看護婦さんが来た時に話すので、僕は恥ずかしくて、 「あれっ?僕は昨日は別室で熟睡していたよ。」と、ちょっぴりウソを言いました。
かみさんが亡くなる前の数日前に、 「薬(抗がん剤)をするのを頑張ったら、もっと元気になっていたかなーー。」と、少し悔やんでいたので、 「これ以上頑張っていたら、もっともっと苦しんでいただけだよ。」と、僕はそれしか言うことができませんでした。
そして、8/7日。昼過ぎ。
コーラーが飲みたい。という彼女に、スプーンで口に運ぶと、何度も 「美味しいなぁーー。美味しいなぁーー。」と呟いていました。
6日間の休暇を終えた僕らは、 「明日から仕事だから、今日は帰ってまた明日来るからね。」と僕がかみさんに言うと、 「眠いなぁーー。」と言いながら、ちいさく頷きました。
そして、それが彼女の最期の言葉となりました。
たぶん、神様は大きな奇跡なんかは起こすことは出来ないのでしょう。
例えば、日本国民、全員がゴールを決めて欲しい。と願っている時に、ゴールが決まるように、僕たちにも6日間だけ彼女と一緒に過ごす事ができました。
そして、僕たちと一緒に過ごすという役目を終えた彼女は、誰にも迷惑をかけないように静かに息を引き取りました。
ブルーローズ。花言葉は「奇跡」
そして、僕たちにも小さかったけれども、それは起きました。
次回、予告。
悲しんでいる暇なんかねぇーー。
葬式を終えた後には、悲しむ暇なんかない程の、めんどくさい手続きが僕を待っていた。

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