キリンは泣かない!!(閲覧注意。) | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

 今日だけはオヤジという仮面がかぶれないのを許して欲しい。また、本来ならこのような記事は、アメンバー限定にしないといけないかと思うのだが、僕は人を差別することが嫌いだ。そしてアメンバーでない方の読者にも大切な交流をされている人がいるので、一般公開することとする。

 また、今回の記事は精神的に不快感のある記事になるかと思うので、もし、読まれる方は、それを覚悟して閲覧して欲しい。


少し前に流行った「死ぬまでに●●のやりたいこと。」という映画があった。

この年になった僕は最近、その死ぬまでに何をやりたいか??という事を考えるようになっていた。


 僕の最大のやりたかった事は、バトルスーツを来て大型バイクに乗る事と、小説家になることであった。

 僕の20代の頃は大型バイクの免許取得は夢のまた夢であり、いくらお金を出しても絶対かなわない夢であった。

 が時代は変わり、今は僕のような運動音痴の人間でさえ、大型バイクに乗れる。

 また。形は違えどもブログという形を取って、僕の書いた話を世の中に出すことができた。

自分の死ぬまでにやりたいことは一応できたのだある。


 では、もし自分が残された命なら、残りの日々をどう過ごすか??と考えたときに、多分、自分は普通に何もしないで1日を終え、残された日を過ごすのではないかな?と思っていた。しかし、本当にそんなことができるのだろうか?

 おそらく、生きることにあがき苦しんでの最後となるのではないかと思う。

 

 そんな時だった。自分の身の回りの人間がその残された日しかない命となったのだ。

 僕の妻である。


 昨年の10月の末。あの日、僕たちは2度の絶望を味わった。


最初は胃がんの宣告。症状はステージ2であった。

お医者さんの話によると、胃さえ全部取れば回復できるという話であった。

本当に発見が早く、まさに奇跡としか言い様がない。というお医者さんのお墨付きをもらっての手術であった。

しかし、胃を取ってみると、すでに手遅れの転移が広まっていて、ステージ4。俗に言う末期ガンの症状となっていた。


 手術にお世話になった人には、一応大成功とだけ報告していた。今でもあの気持ちは分からない。

 おそらく、彼女のガンの転移を認めることができなかったのだと思う。


 それからの僕は荒れていた。しかし、泣くことはできなかった。ただ涙を流すことができた唯一の場所は、通勤時の車の中だけであった。

 思いっきし声を上げて泣けたらどんなに楽だったかと思う。だけどどうしても心から泣くことができなかった。


 僕の好きなバイク漫画のキリンの中に「キリンは泣かない。」という有名なセリフがある。

あれはキリンは泣かない。では無く、キリンは泣くことができないのではないだろうか?
 

 子供を失ったキリンは悲しくない訳がない。しかし、悲しさをただ耐えているだけ。という言葉ではあるが、あれはあまりにも悲しさが激しい場合は泣くこともできない。というのではないだろうか??


 彼女は胃を取っても、普通に暮らしていた。特別、何が欲しいというわけどもなく、どこに行きたい。ということもなく、本当に普通に毎日暮らしていた。

 僕自身がもしかしたら、胃がんというのは全部ウソだったのではないか。と思いながら、一緒に過ごしていた。

 子供達には末期ガンという事を知らせないで、その時が来たら知らせようということにしていた。


 今年の8月の頭。僕は無理を押して4連休を取り、家族全員の最後の旅行にしようとした。

 行きたかった場所は、全部、彼女の希望の場所にしていた。子供達も年に一度の家族旅行を指折り数えて待っていた。


 そんな時であった。今月の頭頃から腸の中に入っている食べ物が消化できなくて、彼女は便秘に苦しんでいた。

 8月頭に調子が悪くなるといけないので、僕たちは早めに病院に行って体調を整えてから旅行に向かおうとした。

 そして入院。休みごとに、彼女を見舞う都度、彼女は痩せこけていった。


今日、彼女からたまには昼休みに顔を出して欲しい。というメールが来た。


 普段、絶対そんなメールを出さない彼女だったので、僕は胸騒ぎを覚えながら病院に向かった。


 そこにいた彼女は、僕の知っている彼女とは違う別人となっていた。

 僕が来るのを待っていたかのように、彼女は僕と過ごした今までの事を話し始めた。

 そして最後に残された子供達の将来を心配していた。

僕は何も自信もないまま、大丈夫だ。とだけしか言い様が無かった。


今日、主治医と彼女と3人で話して、抗がん剤治療を止めることとした。

これからは彼女は緩和ケァーに入る。多分、意識が次第になくなり、残された日々は1週間から2週間となることであろう。


 先ほど初めて子供達にすべてを話した。おそらく薄々は気がついてはいたようだ。それほど涙を流さなかった。


連れを失ったキリンはこれから何を求めて走ればいいのだろうか?

ツバサを無くしたキリンはどこに向かえばいいのだろうか?



キリンは泣かない。ただ悲しみに耐えていくだけ。


果たして僕はその時が来たら、正常でいられるのであろうか?


 最後にもしこのブログを将来、僕の子供たちが読む機会があるなら知って欲しい。


 彼女が僕にとってどれほど素晴らしい女性であったのか。

そして、彼女がどれほど勇敢にガンに立ち向かって行ったのか。



 多分これから、毎日、毎日の残された日々が貴重な時間となっていきますので、ブログのアップはしばらくお休みとさせて頂かせてもらいます。









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