昨日の記事でオヤジがビューエルの存在を知ったのは、中学校2年生ぐらいだったから、今からもう軽く40年前になります。と書いてあったが、早速、VIPERさんから指摘が入り調べるとビューエル設立は1986年なので、オヤジがビューエルの存在を知ったのは、20代の頃。かれこれ30年ぐらい前が正解である。
いゃーー。すまぬ。すまぬ。なにせ年寄りは30年も40年前も一緒なので・・・・ (そういう次元ではないでしょ。)
そう調べていたら、何故オヤジはこのビューエルなる、変態バイクの事を知っていたか気になってきた。
遠い記憶を紐解くと・・・・・
オヤジの小学生の頃に1台の真っ白な大きなバイクが目の前に現れた。
大きく耳があり、それは白い象のようにも見え、その排気音は力強いく響き、まるで生き物のような躍動感があった。
ハーレーダビットソン。そのバイクはそう呼ばれている事を後に知った。
当時のハーレーは今のチョッパー型のアメリカンタイプでは無く、田舎に住んでいるオヤジが唯一知ることの出来たタイプであった。
オヤジはやがて高校生になり、人並みにバイクに興味が出てきて、当然、ハーレーにも興味を示すようになるが、当時、1ドル360円もする時代。
(1ドル360円は小学生の時代だったかもしれません。記憶が曖昧なので間違ったらゴメンしてね。)
また、大型バイクを乗るには限定解除が必要な事もあり、よほどの運動神経が良い人間でないと、限定解除は無理であった。
当然、運動神経0のオヤジは大型バイクの免許と当時で300万円以上もするバイクと言うこともあり、永遠に持てないバイクのひとつとなっていった。
そんな当時にビューエルの記事が乗っているバイク雑誌があった。
このビューエルはあのハーレーのエンジンを使ったバイクということも、その記事で知った。
そしてオヤジが驚いたのはその異常なスタイル。
当時のバイクは皆細長く、カッコ良く速そうに見えたのだが、そのビューエルはお世辞にいっても不格好で速くは全然見えなかった。
直感的に何だか生き物のような、正確には蟲のような生き物の感じがしたのである。
人間は普通のスタイルならある時期をすぎれば忘れてしまうものなのだが、あまりのも自分の忌み嫌うスタイルなら、その存在を長くアピールする。
20代の頃に見たあの驚きが30年後の今頃に、何だか乗りたいバイクとなっていたのだ。
だぶんお酒も長い間熟成されたら、高級ブランディ-になるように、このビューエルもオヤジの頭の中で長い間熟成されて、乗りたいバイクになっていったのではなかろうか??
ビューエルを探しに旭川のあるカスタムショツプに寄ったことがあった。
そのオーナーに尋ねると、ビューエルの事をクソミソに言われた。
「あんなクソバイクなんか乗るな!!漢ならハーレーに乗れ!!」と言われた。
「大体、バランスが悪いバイクなんだ。あのバイクは。2速で不意にアクセルを上げると簡単にウィーリーをしてしまうから、とても乗れたようなバイクでは無い。」
「あんなバイクが有るからハーレーの品格が落ちてしまうんだ!!」とまで言われた。
多分、あのバイク屋のオーナーは、バイクで1番はハーレー。2番もハーレー。3番もハーレーと、バイクはハーレー以外バイクではないのであろう。
不思議なことに地元の北見や美幌のバイク屋に聞くと、皆、ニャリ♪として、「面白いバイクだよ。」と口を揃えて言った。
特に今のお世話になっているバイク屋に聞くと、壊れやすいと言われる外車を維持していく注意点を事細かに教えてくれた。
こうしてオヤジは晴れてビューエルのオーナーとなることができたが、一目見た印象。
「ちっちぇーー。まるで原付じゃん!!」
大きいバイクはえらい!!と思い込んでいたオヤジにとっては、それほどまでにこのバイクは絶望的に小さかった。
数年前に一緒に走った主(あるじ)さんも、あまりの小ささに250ccかと思ったらしい。
ビューエルでいく事。
それはあの湾岸ミッドナイトのブラックバードがただひたすら速さを求め続けて、正常進化を拒否し異質なものに変わるポルシェ964Turboにこだわり続けたように、オヤジもまたこの有機的エンジンにこだわり続けていくのであるだろう。
アキオは言った。 「このZの最初のオーナーにはなれなかったけど、最後のオーナーにはなれる。」
オヤジもまた同じように、 「このレディの最初のオーナーにはなれなかったが、最後のオーナーにはなれる。」
と、真夜中にひっそりとたたずむ、XB9Sを見ながら、そう呟くのであった。