3 土方歳三。ここに眠る。
立待岬を出発したオヤジ家は、まだ明るいので次にオヤジの行きたかった場所。土方歳三の戦死したと言われている場所に向かう事とした。
過去、2回函館に来た時は、偶然に案内版に導かれたどり着けたのだが、今回は走れども走れどもなかなか、その場所にたどり着くことが出来なかった。
たよりのその案内板が見当たらないのであった。
刻々と時間は過ぎていく。
「あんた。前はあんなに簡単に行ったのに、今回はどうしたの?」とかみさんは不思議そうにオヤジに尋ねる。
「うーーん。案内板が見当たらないんだよね。」
と、その時道路標識に土という文字が見えた気がした。
オヤジは目が悪い。その為かみさんに、
「今の標識なんて書いてある??」と大声で尋ねた。
すでに車は交差点に差し掛かっていた。
「ひじ・・・」と、かみさんが読み上げている時に、オヤジは目的地はここだと確信した。
そのまま交差点を直進。そして、標識の通りに左折した途端、目的地は現れた。



以前もこの画像をUPしたことがあるが、写真ではヤグラとお墓の距離間や雰囲気が判らないと思うので、今回はせっかくGOPROを持ってきたので、実際の画像をのせてみた。
おおっ!!GOPROって、バイクや車の動画をUPするだけでなく、こんな楽しみ方もできたんだ。
(全く当たり前のことを、今、気がつくなよ!!)
新選組は江戸に時代とともに滅び、局長の近藤勇は倒幕派によって、賊軍とされ処刑された経歴があるが、晩年、二番隊隊長の永倉新八によって名誉を回復されたと聞く。
(歴史に詳しい方。違ったらゴメンなさい。)
そんなこともあってか、ここ函館では土方歳三は英雄視されている。
幕末の動乱の中、己の信念のために命をかけた漢(おとこ)の生き様を思い浮かべ、しばしオヤジはここに佇んだ。
次回、函館の夜は怪しく更けていく。
