2 短くも充実した函館めぐり。
函館の温泉に行く途中にあったと思われる、土方歳三記念館。
函館の温泉。といえば、湯の川方面。ということで、オヤジは薄れゆく記憶を辿り、タントカスタムを湯の川の看板のある方に走らせた。
かみさんと、娘1号は相変わらず、旅行の本から記念館の行き先のヒントになるものを探していた。
車を走らせること約10数分。ほどなくして、そこは現れた。
「おい。見つかったぞ!!」というオヤジの声に、ほっとする二人。
ここで、行きたいところに戸惑うと、時間はすでに4時近くである。早くも貴重な1日がなくなってしまうのだ。


数年前に来た時は、ここの入館料。大人一人800円。4人分約3、000円をケチり、函館を後にしたのであったが、結局、そのツケが今来たわけである。
もし、あの時、この場所に来ていたら、今、この場所にはオヤジ家は来ていなかったのかもしれない。
いや、歴史では 「もし?」 ということは存在しない。
今、オヤジが土方歳三記念館に来たかった事実があるだけだ。
そうオヤジは思い、記念館に入った。


残念ながら記念館の画像はここまで、店内撮影禁止のため、(そりゃーそうだろうなぁーー。入館料もかかってるし。)画像は無しです。

記念館を海から眺めた写真。
今回の旅の一番の目的を終えたオヤジは次に、娘1号の希望する立待岬に行くことにした。
ここで再び、どこに岬があるかを調べるかみさんと娘1号。
オヤジは岬と、いうぐらいだから、こっちの方面だろう。と勝手に車を函館のロープ・ウェィのある山のふもと方面に向けた。
「あんた。むやみやたらに勝手に車を走らせていても時間の無駄になるだけだよ。」と、かみさんは横で心配をする。
実は内緒のはなし、土方歳三記念館と、立待岬は密かにオヤジはおよその場所をネットで調べていたのであった。そのうちに立待岬の看板が現れるが、かみさんはまだ旅行の本の地図を見ていて気がつかない。
「大丈夫??だんだん街並みが狭くなっていくよ?」かみさんの心配は最高潮に達した。
そこはを町外れでお墓があり、お墓の間を通っていく道であった。しかもかなり狭い。軽自動車でなければ躊躇するほどの狭さだ。
左の海側にかなり大きなお墓が現れた。石川啄木一族のお墓である。
急な登り坂を登るといきなり大きな駐車場が現れた。
そこが立待岬であった。

うーーん??娘1号が何故この岬に来たかったのが未だに判らないオヤジである??

ここに滞在すること、約10数分。


オヤジはある一の事を心配した。
それは帰り道である。来る時は車1台がようやく通れる道であるが、帰りはどうやって帰れば良いのだろう??
しかも駐車場には普通車だけではなく、大型のキャンピングカーも何台も停まっている。
しかし、その心配も杞憂に終わった。
そこは一方通行であったのだ。
「良かった!!良かった!!」
立待岬の帰り道。かみさんは観光地に詳しい義兄にメールをして、函館の見所の情報を聞いていた。
数分後、義兄からのメールが来て、
(立待岬に行ったら、絶対、写真は撮ったらいけないよ。あそこは自殺の名所。画像に写るかもしれないよ。)というメールが返ってきた。
ぎょーーーーーーえーーーーーーっ!!
それを早く言ってよ~~~。もう撮ったし・・・・・・・
((((;゚Д゚)))))))ガクブル
しかも、ブログにUPしちまったし・・・・・・
ヒヒヒヒ・・・・・・もしかしたら、あなたのパソコンにも・・・・・・・
さて、次に向かうところは、オヤジの函館の旅の最終地点といっていい場所。
新選組副長:土方歳三が戦死したと言われる場所である。

我、愛機レディ9のボディに付いている誠のステッカー。
ブログ上でお付き合いのあるユージーンさんから頂いたステッカーであるが、彼は新選組の大ファン。
彼のためにも、土方歳三の最後の地に再び行きたかったのが、今回の旅の発端である。
ここまで、ほとんどノリと勢いで目的地にたどり着いたオヤジ。
果たして次回も無事に目的地に着けるのか???
次回、予告。
土方歳三、ここに眠る。
※土方歳三の亡くなった場所はここの他に、数箇所候補に挙げられています。
オヤジのブログはもっとも有名な場所を土方歳三の戦死した場所と致します。
