さて、いよいよ今年も来ました。魔の雪道遭難時期。 (冬山遭難ではないのだよ。)
古い読者の方々は、オヤジがあの今年の魔の3月2日。北海道で数名の犠牲者を出した悲劇の吹雪で車が立ち往生をしていた事を知っているが、若い読者の方々は知らないと思うので、ここで、再度、当時の様子を振り返りながら、それに対する準備を今日は行うことにした。
まず、当日のオヤジのカッコは短靴に普通のスボン、ポロシャツにジャンバーと軍手だけであった。
そして、猛吹雪が始まった時は、いつもは車で15分で帰れる隣町からの移動状態であった。前の車の目安にハザードを付け、30分以上かけてオヤジの住んでいる町まで帰ってきた500メートル手前の国道で、車が立ち往生したのが、2日の午後4時過ぎ。そして、翌朝の救助が入ったのが朝の8時すぎ。
その間、実に16時間もの間、家族と一緒に、しかも立ち往生から2時間後の6時ぐらいからガス欠をおこしていたのであった。
翌日、無事に助かったオヤジ達は、当日に数名に尊い犠牲者が出たことを知ったわけであった。
その反省点を踏まえ、通勤時に起こり得る、雪道の立ち往生を想定して、今回はオヤジの通勤車のミラ・イースにいろいろと装備の用意を行うことにした。
(えっ?なんでもっと早くしないんだって??)
実は過去、オヤジは数回同じような目にあっているのであるが、その都度、奇跡的に切り抜けて、今回も何とかなるだろう。という甘い考えでの行動であった。
オヤジはあの時、判断を誤った。
その結果、家族をも命の危険を晒す結果となってしまった。
今でもあの遭難場所を通るたびに、かみさんに、あの時、500メートル先の親戚の家か、50メートル先の知人の家に避難していたらどうだったろうか?と聞くことがある。
やはり結論は、あの時、避難するために動いていたら、多分、間違いなく当時の犠牲者の名前にオヤジ達の名前も乗っているのではなかったろうか?という決論に達した
それほどまでに当時の吹雪は視界数メートルで、一歩外に出れば、間違いなく方向感覚を失うほどにひどさであった。
さて、今回イースの中に入れる装備は・・・・
上から
●長靴
●カーヘルパー2セット(雪道脱出用。車のタイヤの下にひく。)
●携帯トイレ(キャンカーからの流用)
●燃料タンク
●他の車につなげるワィヤー
●折りたたみスコップ
●スコップ
●毛布
●防寒着
●帽子や首巻になる布
●予備の軍手
これら毛布や防寒着はこのバックの中に収まってしまう。
以上の商品である。
長靴、スコップやカーヘルパー、ワィヤーは判るとして、何で携帯燃料やトイレ、さらに毛布なんだ??
と疑問を持たれるかもしれない。
まず、軽自動車のタンク容量は20Lぐらいだということである。
単純に考えて、この赤いタンクの容量分しかガソリンは入らないのである。
当時、吹雪がひどくなるのをきらって、オヤジはイースの燃料が1/3ぐらいあるのを確認して、早く帰ろうとした。
それがかえって裏目となってしまった。
普通の乗用車はタンク容量が60Lぐらくいあるので、大半の車は立ち往生しても無事であったが、救助後、ガス欠で動かなくなってしまった車はあらかたが軽自動車であった。
そのために、最低でも6時間以上は閉じ込められてもいいように、予備のタンクの準備は必要である。
また、さらに携帯トイレなんか大げさな。という意見もでると思うが、当時、火の気のない車は寒く、寒いとトイレが近くなり、吹雪の中で行うと、洋服がびしょ濡れとなるのである。
実際、オヤジはあの時全身ずぶ濡れ状態で、火の気のない車にいて、後半は寒さで震えがおきて止まらない状態であった。
(後で調べると、寒さで震えが止まらなくなり、次に眠くなり凍死する段階であったみたいである。)
あの時、車の中でトイレができれば、もう少し体力も温存できたのかもしれない。
また、。毛布は外でトイレを行なった時に娘1号が吹雪でズボンを濡らしてしまい、一度脱いだら最後、完全に凍りつき、2度とズボンが履けなくなったのだ。
偶然、毛布1枚があったお陰で娘1号も何とか無事に助かった訳であった。
よく災害で全身ずぶ濡れの人に毛布を渡して寒くないのか??と疑問に思っていたが、確かに体は濡れていても毛布が1枚あればだいぶ暖かさが違うことを痛感した。
最後に、まずいと思ったらすかさず、コンビニの駐車場に避難することである。
それにより、洋服を濡らさないでトイレを行うことができるのである。
オヤジの友人も、当日はコンビニで一夜を明かしたそうである。
その時は飲み物は結構たくさんあったのだが、早い段階でおにぎりや弁当は買い占められて残っていなかったそうである。
さらに完全に帰るのを諦めて、ホテルやマンガ喫茶に避難する方が絶対に良い。
その為に、ある程度のお金は常にサイフに用意していたほうが良い。
あの時は、家族4人分で数万円のお金をケチってしまい帰る。という無謀な行為を行ってしまった。
できれば、警報が出ている段階で、用事がなければ家からば絶対に動かない方が良い。
あの日は休日は警報が出ているにも関わらず、朝は快晴であった。(あとあと考えたら、朝の快晴は台風の目だったのかもしれない。)
今、北海道の新聞紙では、当時の悲劇を繰り返さないために、いろいろな対策を練っている。と報じられていた。
当時、立ち往生した人は全道で一千人ほど近くの人がいたという記事がかかれていた。どう考えても、自分の身は自分で守らないといけない数字である。
オヤジはガス欠になった段階で、警察に2回ほど連絡した。
いざとなったら自衛隊がきて救助されると、あの時は本当に信じていた。
警察も自衛隊も2次災害は怖いはずである。
はっきりと吹雪が収まらないと何も動けません。と言われたのである。
これを読んでる読者諸君の中で、オヤジと同じ北海道に住んでいる方や、雪の多い東北地方の方がいらっしゃったら、オヤジと同じ過ちを犯さないで欲しいと切に思う次第である。
繰り返し言う。あの時、オヤジ達一家が助かったのは、本当に偶然の結果である。
大自然の猛威にはどんなに人間が英知をふるってもかなわないのである。
PS.今年の3月3日のブログを読んでい頂ければ、当時、どうやって助かったか詳しく書かれています。合わせてお読み頂ければ幸いです。