恐怖の知床横断道路。
一路、知床横断道路経由で羅臼へ向かう、オヤジと主(あるじ)さん。
ウトロと羅臼間は約30キロ、知床横断道路を使えば30分ぐらいで着く道のりである。
今日のウトロの天気は珍しく快晴であった。
オヤジが知床横断道路を通るのは、じつに30年ぶりであった。
この知床横断道路はウトロから羅臼の間にそびえ立つ山間の間に作られた峠である。
5月のGWから10月までの間しか開通されない峠で、5月の始めや9月の終わりには夜間は凍結の恐れがあり、4時以降は閉鎖されるので、1年を通して、正味3か月間ぐらいしかまともに走れない峠道である。
5年ほど前の秋口に羅臼に車で行ったときは、わずか30分遅れで知床横断道路のゲートは封鎖され、オヤジはウトロへ行くのに回り道を余儀なくされた。
回り道とは、羅臼→(40km)標津→(40km)斜里→ウトロ(40km)と、たった30分で行ける場所へ、2時間、約120kmも遠回りとなる道なのだ。
やや、狭い道であるが、オヤジと主(あるじ)さんは快調に、バイクを飛ばした。
少し走ると登り口となってきた。知床横断道路の入口に入ったようだ。
羅臼まで20kmと表示がかかっている。だんだん峠のせいか霧が出てきた。
途中の駐車場で、5台ほどのバイクが停まっていた。
彼らにピースサインを出して、更に突き進むと、霧はやがて小雨になってきた。
霧の雨の時は車はワイパーを出して、ゆっくりと走ればよい。
しかし、バイクは違う。ヘルメットのシールドも使えず、オヤジはメガネに降りかかる雨を左手で拭きながら、ゆっくり、ゆっくりと走って行った。
(そうか、駐車場に停まっていたバイク達は休んでいたんではない。先に進もうかどうか考えていたんだ。)オヤジは不意に理解した。
前が見えないで走るのは怖い。オヤジは今年の3月に、猛吹雪の中、ガス欠の車に中に18時間も閉じ込められた恐怖を思い出していた。
(もうだめだ。もう走れない。)とあきらめたときに、知床峠の頂上の駐車場が現われた。
たまらずに駐車場に入るオヤジ。主(あるじ)さんも後に続いた。
後ろを振り返れば、数台のバイクがオヤジに続いていた。
「まいったぁーー。」と一人のライダーが、ぼやきながらレインコートを身に着けていた。
「どうします?主(あるじ)さん。霧と雨がひどくてとても走れそうもありません。」
「そうですねぇ。」
「ここから、引き返しますか?」
「うーーん。悔しいなぁーー。晴れていたらとてもきれいな風景だったんでしょうねーー。」
「そうですねぇーー。だけど、ここは標高が高いから、めったに晴れないと思いますよ。」
「主(あるじ)さんは、予定では昨日、羅臼に来たんでしょ。それなら羅臼は見ているから、無理して行くことは無いんだ。」
「実は・・・・」と主(あるじ)さんは悔しそうに話した。 「時間が無くて、羅臼までは走れなかったんです。」
「そうですか・・・・・・」
(この道は、俺はまた来たい時には来れるが、主(あるじ)さんは、もう2度と来れないかもしれないんだ・・・・・たとえ、景色が見れなくても、主(あるじ)さんには知床横断道路を走ったという、事実を味わってもらいたい!!)
「走りましょう。主(あるじ)さん。さっき、看板で羅臼までは20kmと出ていました。もう5kmは走ったので、羅臼までは賞味15kmでしょう。この霧は山頂で発生しているから、10分も走れば必ず視界は晴れます。それまでの我慢です。しかし・・・・・」
「しかし・・・・・」
「もし、危険だと判断したら、その場で引き返しましょう。」
「はい。わかりました。」
こうして、オヤジと主(あるじ)さんは走り始めた。
気が付くと、山頂で停まっていたバイクや車は、全員オヤジ達の後を追ってきた。
視界ゼロの吹雪の時は、前走車の後を追えば何とか走れる。後続車はそれをマネし、オヤジ達の後を追ってきたのだ。
「ふっ。まるで俺は特攻隊長だな!!」
オヤジの心は高揚してきた。
視界はますますひどくなり、時折、反対車線から対向車がいきなり現れた。
オヤジは何度も何度もメガネを拭いて、ゆっくり、ゆっくりと峠を降りて行った。
頼るべきものは自分のドライビングテクニックのみ。いくら怖い。と言っても、自分で進まなければ前には走れないのだ。
雨具を持たないオヤジの体は急速に冷えて行ったが、この分厚いバトルスーツのお蔭で、不思議と寒さは感じなかった。
どれだけ長い時間が過ぎたかわからない。
疲労困憊の果てに、ようやく視界が開けた。と思ったら、そこが羅臼町であった。
後続のライダー達は途端にスピードを上げて、根室方面に向かっていった。
しかし、オヤジは彼らと反対の方向にレディ9を向けた。
オヤジが主(あるじ)さんに見せたかったもの。それは、羅臼で有名な「ヒカリゴケ」である。
知床半島で遭難しての先端の漁師宿に避難した船長と若い船員の2人の船乗り。
若い船員が死亡し、何も食料の無い場所で船長は死亡した若い船員の肉を食べ生き延び、冬になり流氷を渡って羅臼にたどり着き助かったという実話で有名な場所である。
ここ羅臼はドラマ「北の国から」の最終話で有名になったが、この「ヒカリゴケ」を見に来る人は皆無に近かった。
「これが有名なヒカリゴケです。多分、日本でここでしか見ることはできません。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」主(あるじ)さんは、ヒカリゴケを食い入るようにしばらく眺めていた。
彼の胸に去来するのは、この密かに生息するヒカリゴケであろうか?それとも、亡くなった人の肉を食べて生き延びた、船長の生きる執念であろうか???
反対側を眺めると、曇った太平洋が現われた。
「晴れてたら北方領土が見れるんですね。」と、ボソッと主(あるじ)さんはつぶやいた。
「ええ。すぐ、ま近に見えます。あの島を見たら、北方領土は日本のものだと実感しますよ。」
PM 2:00 羅臼の道の駅にて。
ここで、少しばかりの間、トイレタイムとコーヒータイムをする。
「さあ、帰りましょう。主(あるじ)さん。」
「そうですね。」
そして、オヤジ達は再び、あの視界ゼロの恐怖の峠に戻って行った。
途中、サイクリストが現われた。小雨と前が見えない霧で、半分疲れながら自転車を押していた。
オヤジは思わず、 「ガンバレ!!」とエールを送り、左腕を高々と差し上げた。
こうなったら、バイクも自転車も関係ない!!
俺達は車と違って、生身の体で寒さ、暑さを受け止めて走っているんだ!!
相変らず知床峠の視界は霧と小雨で悪かった。が、オヤジは先ほどと違って、不思議と怖くなかった。
峠の頂上さえ超えれば視界は開ける!!と確信していた。
そして、頂上の駐車場が現われた。
(ここで休んだらだめだ!!気持ちが萎えてしまう!!このまま一気に突き進もう。)
オヤジは頂上の駐車場をチラっと見ると、かまわずアクセルを吹かした。
そして、いきなり視界が開けた。
やった!!抜けた!!ようやく知床横断道路を抜けたんだ!!
ウトロ側は暖かい太陽がサンサンと照っていた。
日差しが暖かい。冷え切った体にはとてもうれしかった。
本来はこのまま宿泊するホテルに向かうのであるが、オヤジは主(あるじ)さんの為に寄り道を行った。
行先は知床五湖である。世界遺産になってから、マイカー規制が入り、シャトルバスが走っているということで、バイクではいけないと思ったが、行けるとこまで行こうと決めていた。
知床五湖までは途中、地の底にたたき落ちそうな、斜度30度ぐらいのきつい下り坂を下りて行き、また、再びきつい登り坂を登って行く。
知床五湖の近くに近づくと、案の定、車が動かず渋滞を起こしていた。
「だめだ!!やっぱり規制がかかってたどり着けない。」と、オヤジは諦め、主(あるじ)さんに「戻ろう。」と、言おうとした時に、
「バスの後をついて行ってください。」と駐車場の誘導する係員が、オヤジの声をかけた。
ということで、オヤジ達は無事に知床五湖の第一湖の駐車場にたどり着いた。
ここでの駐車場代は100円也。 (ずいぶん、良心的な駐車場の料金だなぁーー。)
あとで、主(あるじ)さんは、バイクだからですよ。と、オヤジに教えてくれた。
ここが知床五胡のうちの第一湖。
ここで1時間ほど休憩がてらぶらつく。
PM:4:00
「さて、いよいよ今日の泊まるところに行きましょ。」と、ウトロのホテルに向かう二人。
途中、先ほどの急こう配の登り坂が現われた。先ほどは下りだったので、今度は登りである。
(あたりまえだけど。)
レディ9はずーーつと徐行運転だったので、再びぐずり始め、エンジンがシャクリ始めたので、オヤジは登り坂に入ると、アクセルを吹かした。
バゴーーン!!という爆音を残し、レディ9はみるみるうちに加速する。
タイトなヘァピン。
早速、アクセルを戻し、エンジンブレーキを頼りにコーナリングのアプローチに入る。
しかし、まだスピードは落ちない。
(やばい!!登り坂で、スピードを落とすためにブレーキを踏むなんて、初めての経験だ!!)
(あんたは年寄の初心者なんだから、若い人なんかと張り合わないで、無理しないで走るんだよ。)というかみさんの声が聞こえる。
(わかっているよ!!しかし、レディ9がそれを許してくれないんだよ。)
さらに体を傾ける。ブラインドの為、前走車がいればアウトだ。
レフトタ-ンクリァ。続いてS字の切り替えし。
人は年をとれば何かと臆病になり、やりたいと思っていることもやらなくなってしまう。
(今、俺は少し無理をしている。判っているさ。しかし、やりたい事をやらないで終る人生なんてまっぴらさ。)
ヘルメットの奥で、オヤジは薄ら笑いを浮かべていた。
PM 4:20
今日の宿泊場所に到着。場所はウトロで一番人気の知床第一ホテルである。
向かってに右側がオヤジだ。
(えっ?誰?メタボな体と言っているのは?? _| ̄|○ ガックシ!!)
分厚いバトルスーツを脱いだオヤジは汗だくとなっていた。
ホテル内に入ると、オヤジ達の異常なカッコに気のせいか、周りが引いていた。
(たんに汗臭かった。ともいう。)
「ひよっとして、バイカーって俺達だけ?」
「そうですよ。オヤジさん。バイク乗りはツーリングの時は、宿代を節約して、普通はライダーズ・ハウスかビジネホテルが関の山ですよ。」
「あははは。そうかそうか。オヤジぐらいの年になると、からだの疲れを取るなら温泉が一番なんだよ。」
早速、部屋に入る。
えっ?間違えたか??こんなリッパな部屋とは聞いていないぞ。
「オヤジさん。多分、ホテルの特有のサービスです。思っているよりも、悪かったならお客は激怒するけど、思っているよりもリッパなら、お客はまた来ようとしますよね。」
「そうかそうか。」
ということで、早速、二人で風呂に入りに行く。
主(あるじ)さんは、今までビジネスホテルばかりだったので、この大浴場がいたく気に入り、夕食間際まで入っていました。
そして、今日最大のイベント。知床第一ホテルの夕食、ここのバイキングは500種類ぐらいの献立が
あり、豪華さでこの近辺では有名である。このバイキングが食べたい。ということで、本州から宿泊に来る
人さえいるという。
「頂きます!!」
「くそっ!!胃が四つ欲しい!!」と、主(あるじ)さんはうめきながらバイキングに突入していった。
(あんまり食べて、おなかを壊さないでね。)
その夜、オヤジと主(あるじ)さんは、夜中の1時過ぎまで、色々と話し込んだ。
バイクの事、漢(おとこ)の事。人生の事、そして自分の生き方の事。
ふと、オヤジは自分に息子がいたら、こんな風に話すんだろうなぁーー。と、思った。
夜も更けたので、今日はお休みなさい。
さあ。いよいよ明日は地平線のかなたへスピン オフ ストーリーの最終回。
感動の嵐となることか??