愛機XB9Sを手に入れてから最近思う事がある。
オヤジが高校生の頃、バイクは三無い運動のまっさかりの時代であった。
バイクの免許を取らせない。
バイクを買わせない。
バイクに乗せない。
まさしく高校生だったオヤジにとっては、バイク=悪の見本の時代であった。
そんなとき、オヤジの父親は、こともあろうか、SUZUKIの400ccのアメリカンのバイクを
買ったのであった。
まるで、オヤジの欲しいものを見せびらかすような感じである。
父親は昔の免許だったので、当然大型自動2輪の免許を持っていた。
アメリカンは解るとして、750ccも乗れたはずなのであるが、なぜ400ccのバイクを買ったのか不思議に思ってオヤジは父親に聞いてみた。
「親父?(父親の事)なんで400ccなんか買ったんだ?ハーレーは値段が高いのは解るとして、750ccぐらい乗れるだろ?」
と聞いたオヤジに父親は「安かったからだ。」とさらりと答えた。
その時はそうなんだ。と思っていたが、考えてたら当時は大型自動2輪の免許取得者は少なかったので、下手な400ccよりも750ccのほうがずっと安かった時代である。
いま、思えばオヤジの父親は自分の身の程を知って、自分が運転できる400ccを選んだのではないかと思う。
オヤジなんかよりもずっとキリンであった人であった。
オヤジがFX400(4気筒)を購入した時も、特別反対するわけでもなく、
「バイクは4気筒よりも2気筒のほうが壊れないし、修理しやすいんだぞ。」と実用的なアドバイスをくれただけであった。
世の中の大部分の男は、自分の父親を自分が越えなければいけない漢(おとこ)の目標としているのではないであろうか?
オヤジもまた、自分の父親を自分の越えなければいけない漢の目標としていた一人であった。
また、父親は子供にとっては永遠の存在。と思うのではないだあろうか?
そんなオヤジの父親も、オヤジが30代の頃、あっというまにこの世を去って行った。
いま思えば、もっと漢としての話をいっぱいしておけば良かったと思う。
オヤジには自分の父親の存在が、あの日から止まってしまった。
自分にとって、永遠に越えられない漢の人となってしまった。
いま。オヤジは思う。
「親父。俺は愚かだから人の忠告も聞かないで、自分の思ったことでしかできなくて、色々失敗もしたけど、やっと今、あんたと同じスタートラインに立てたのかな?」
「やっとあんたと同じキリンになれたのかな?」
