キリンに憧れて 新章!! バイク 三無い運動と当時の自動車学校。 | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

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TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車

  相変わらず寒い日が続いている北海道です。読者の皆様のところは如何でしょうか?

 

今日は特別寒く、「寒い」ではなく「シバレル朝」となりました。(おっ!!北海道特有の方言。)

 そのため、玄関の扉は凍りつき、かなりの力でようやく開けることが出来ました。

 道路はアイスバーンと化して・・・・
キリンに憧れて 新章  ♪TAKE IT EASY ♪

あれっ?前方に何やら変なものが横たわっている??


キリンに憧れて 新章  ♪TAKE IT EASY ♪

よくよく見ると、やはり転倒した車でした。人陰は無くすでにもぬけのカラ。


 そして、帰りはオヤジの家の近くの国道で、パワーショベルを下している車を発見!!


「何でこんなところにパワーショベルを下すんだ???」

 

見れば、またまたジムニーが道路の横脇の雪の中に半分ほど突っ込んで、埋まっていました。


 4WDは雪道に強いと言われるのですが、逆にそれがアダとなり滑った時は、とりかえしのつかない事故となります。

4WD乗りの方。気を付けましょうね。

 (言われなくてもわかっている。と、怒られそうな・・・・)
キリンに憧れて 新章  ♪TAKE IT EASY ♪


夜のため、車の室内しか取れませんでした。

 

 いくら北海道の雪道の事故が多い。といっても、オヤジも車が落ちているのを見るのは、ワン・シーズンで3台ぐらいなのだが、12月に入ってもう5台も落ちているのを見るのは、やはり今年は異常な寒さなのでしょうか?



 さて、先日のkyricoさんへのコメント返しで、バイクの三無い運動の事を少し書いたので、今日はそのお話と、当時の自動車学校の話を少しばかし、書きたいと思う。


 オヤジの高校生の頃は、バイクの三無い運動の真っただ中であった。


「バイクに乗らない。」

「バイクの免許を取らせない。」

「バイクを買わせない。」


と、いうバイク=悪の見本の世界であった。


 当時、大型自動2輪の免許は、オヤジより5歳ぐらい上の人が所持していて、昔、バイクで1周すると、バイクの免許が取れ、しかも車の大型免許までおまけについてきた。という、うらやましい時代でもあった。

 中には軽飛行機の免許までついてきた時代もあったらしいが・・・本当かどうか、オヤジも疑わしい限りだ。


 だから、オヤジ達高校生は、ハーレーに乗ったオヤジ達をみても、「あんなのはおまけでもらった免許だ!!」バカにしていたものであった。


(あっ!!ハーレー乗りの方、今ではオヤジは尊敬しています。だって、300kg近い車重のバイクを操るなんて、今のオヤジには出来ませんですから。)


 三無い運動の真っただ中、高校生が乗れるバイクは実技の無い、学科のみで免許がもらえる原付が唯一のバイクであった。


 当時、限定解除システムの中、中型バイクに乗っているやつは、憧れの中心!!バリ伝のグンよりもモテる存在であった。

 また、バイク禁止のオヤジの高校で、1年上の先輩が無免許でバイクに乗り事故で亡くなるという悲しい出来事もあった。


 クラスメイトの男の子の大半が原付免許を隠れて取っていてオヤジも次の免許試験日に免許を取りに行こう。と思っていたときに、一斉に原付免許、刈りにあい、免許は卒業まで没収。クラスの男子の大半が停学となり、女子ばかりのクラスの中でオヤジはバツの悪い思いをした。


 高校を卒業した後、すぐその足でオヤジは原付免許を取得

そして働きだした時に、会社の社長の許しを得て、昼休みを利用して中型バイクの免許を取りに行った。


 当時、自動車学校は車、バイクともに免許取得希望者が多く、引手あまたとなり、どこの学校の教官も態度が横柄であった。

 運転のうまい奴(運転がうまい奴は隠れて無免許運転をしていた奴が大半であった。)教官からほめられオヤジのようにドンくさい奴らは教官からイビられていた。


 オヤジよりも先にバイクの免許を取りに行った友人は、乗ってきたスカイラインのシャコタン(今でいうローダウン)がバレ教官から、「おまえは絶対試験は受けさせない。」といわれ、教官の目の前で教習書を破り捨て、帰った来たものであった。


(しかし、自動車学校にシャコタンで来るバカもバカであるが、試験は絶対受けさせない。という教官も教官である。)


 オヤジも数か月練習を行い、なかなか検定日のOKがもらえず、このまま会社の迷惑になるので、バイクの免許を取るのを諦めようと思い、学校長「このまま練習を続けるなら会社の迷惑になるので、教習を辞めたいんです。」と、泣きを入れた途端、次の練習日に教官から検定日の連絡がきた。


 ようするに、自動車学校は入学金さえもらえば、後はドンくさい人には辞めてもらったほうが、次の希望者を入学させることが出来る。と考えていた学校も多かったのだ。


 だから、今回、オヤジが始めて大型自動2輪の練習を行った時、正直な話、胃がキリキリと痛んだ。

 あのいやな思いを再び行うのか?と思いながらの教習であった。しかし、今の自動車学校の教官達は本当に親切なかたばかりであった。

 おかげで、何とかオヤジも念願の免許取得が出来た


 あの時代、いやでも車の免許が必要で、教官達に人間扱いされないで、バカにされながらでもやっとの思いで免許を取った人達。

 今の時代、免許取得者が少なくなり、親切丁寧に教えてもらえる若者達。


はたして、免許の大切さは同じように考えているのであろうか?


 あっ。30年前のドンくさいオヤジの思ったことであり、今の自動車学校の教官は本当に皆さん親切なかたばかりでした。そこのところ、お間違えなく!

 




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