オヤジの数少ない貴重な読者の皆様。こんばんは。皆様の温かい応援と励ましを頂き、OYAZIは正直、レディを封印する事実の悲しみよりも、こんなにも人の心の熱い思いとやさしさに、久しく忘れていた心の汗が目から出てきました。
(ToT) いゃあーーーー本当に人っていいものですね。(おまえは人造人間かよ。)本当に暖かい励ましのお言葉ありがとうございます。
ここで、ちょつとオヤジのレディに対する思いを・・・キリンに憧れてⅠからの読者の方にはだぶるシーンもありますが、ご勘弁をば。
※ ここではキリンはバイク乗りの意味で使われます。
その男は、2年まえにすでに男として、いやオスという種族としての誇りを失っていた。
家庭ではありふれた父親を演じていたが、同世代の他の男たちと同様に、男としての誇りを無くしただ単に家庭を養うだけの存在となっていた。
その年、彼の母親が亡くなった。余命4年と宣告されていた中、5年以上も生きながらえた母親に、彼は気持ちばかりの親孝行をしていたので、不思議と悲しさはなかった。
彼の元に、母親から少しばかりまとまったお金の遺産が入ってきた。けして贅沢はしなかった母親の遺産の金額の多さに、彼は葬式が終わりひと段落が着いた時に涙した。
どうして、自分たちにお金を残すことよりも、もう少し楽な暮らしをしなかったのかを。
今まで、毎日飲む缶コーヒー代さえ苦労した彼には、そのまとまったお金は魅力的に映った。
彼はそのお金を失った自分の誇りを取り戻す為に使おうとした。
そして彼は20代の時につかみきれなかった夢を買おうとした。大型バイクの取得。そして、当時750ccで初めて300kmを達成したときの、戦闘服。バトルスーツを着て走りまわること。そして、「キリン」と呼ばれたバイク乗りの伝説。
それが、彼の目には男の誇りとして映った。
50歳を目前にしての彼の挑戦は、他の人から見ると奇異として見られた。
20年以上ぶりのバイクの運転。
「I am free!!」
彼の中で何かがはじけた。
その年、彼は無事大型自動2輪の免許を所得、自分の愛機を探す作業が始まった。
この時代、速さ、力の象徴のバイクはハヤブサであった。
ZZ-R1100、ZX-12Rと、ハヤブサに対抗するマシンはいろいろあったが、カワサキ党の彼はそれらのマシンがハヤブサに負けるという事実が我慢ならなかった。
その時出たのがZX-14R。
ZZ-R1400のマイナーチェンジと噂され、発売当時にはハヤブサを軽くちぎる宣伝。
完全に彼の目にZX-14Rは力の象徴として映った。
世の中はエコだ!!と騒がれている中、堂々と「速さこそ正義!!速さこそ一番!!」と宣伝している14Rにケレン味のない潔さを感じた。
無駄なお金を使う。と自覚している人間は、ある意味怖い。どんなに高額な金額でもそれは高額には思わないのだ。また、その金額が妥当な金額と感じてしまう。
彼は自分の体力が何年も大型バイクに乗れない。と自覚していたので、最後に乗るバイクにふさわしバイクとして、思いっきり過激なバイクを欲していた。
史上最速のバイクという肩書を持つ14Rが彼の眼に止まった。
維持費は考えてはいなかった。どうせ3年間の車検が切れたら、彼はバイクを降りるつもりであった。
免許取り立て、50歳でZX-14R。の肩書を持つ彼のブログは、しばらくすると一部の人の間で話題となっていった。
仕事上では何も取り柄のない彼は、ブログの人から来るコメントに一喜一憂していた。そして、まるで自分が大物になった存在。そしてスーパーマンになったような気がしていた。
単に自由に使えるお金ができ、そのお金で高額なバイクを買っただけなのに、彼をまるで昔から知っている仲間のように扱ってくれるブログの人々。
彼は次第に現実から逃避し、ブログの中に自分の存在を見出すようになっていった。
今年、彼は自分の誇りを取り戻した。
バトルスーツに身をまとい、ZX-14Rに乗った彼は初めて、男の誇り、そして自分自身を取り戻した気になった。
しかし、その代償は大きかった。鎧のような重たい革ジャン。そして、300キロ近くあるバイクは、体力の衰えた彼にはとうてい扱いきれるようなものではなかった。
8月28日。その時が訪れた。
男は自分が大型バイクに乗る資格がない事を悟った。
「もう。肩を張らなくていいんだよ。頑張らなくてもいいんだよ。」
大型バイクを降りる決意をした男に聞こえた声は、レディと呼んでいた自分の愛機14Rの声だったのか、それとも亡くなった自分の母親の声だったのかも知れない。
その年、彼は本物のキリンとなった。