キリンに憧れてⅡ さらばR!! | クラブ・ミッドナイト:正伝!! =Sの称号= 第2章

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TYPE Rの称号を与えられなかったもう一つの悲運の車


  第二部からの読者の方には違和感が無かっただろうが、第一部の番外編の「ひょっとしてオヤジは車バカ?」を読んだ方は、「OYAZI 競走(はし)る!!」を読んで「あれっ?」と、思った方がいたと思う。


 ひょっとしてオヤジは車バカ?の時に、オヤジの家にはZX-14R、ワゴンR、キャンカー、ミラ・イースと4台ものバイクや車を持っている。と書いていたが、OYAZI 競走(はし)る!!の時のタイヤ交換はミラ・イースとキャンカーと書いてあるのだ。
キリンに憧れて 第二部

  つまり、こういう風景になるはずだったのだが、実際は今は手元にはワゴンRは無い。

 感の良い読者はオヤジが近くの職場に転勤になったので、今まで長距離での通勤でのRはいらなくなったのだと気がつくと思う。


 オヤジの愛機、ワゴンRはこの写真を撮った後、すぐにお世話になったS車輌の元に14Rのお礼としてドナドナされていったのである。


 オヤジはもともと乗り物を擬人化する人では無かったのであるが、あることをきっかけに、非常にクルマやバイクに情が移る性格となってしまったのだ。


 それは、当時、S車輌さんからハイラックスサーフを購入する前は、オヤジの愛車はダイハツのシャレード・ディゼル・ターボという、とても車好きで、スポーツ走行が好きな走り屋と呼ばれる人には縁遠い1000ccのファミリーカーに乗っていたのだが・・・・・

 

 こいつの良さはただ一つ!!


燃費が非常に良い!!ということだけであった。


 世間は今でこそエコカー!!と騒いでいるが、当時のガソリン車がリッター10キロ走るか走らないか?という中で、この車は平気でリッター24キロは走っていた。また、当時の軽油の価格はガソリンの半分ぐらいで、コスパ(コストパホーマンス)は燃費×燃料代=でガソリン車の1/4ぐらいの燃料代しかかからない、超エコカーであったのだ。


  こいつは、オヤジの最初で最後の新車なのだが、(あっ!ミラ・イースはかみさんの車だから、自分の新車だと思っていない。)


購入まで半年間待たされ事件。

購入後半年でタクシーにどっかれ事件。

挙句の果てには春先に360度ターンを見事に決めて、運転席以外全部無くなったり、その改造費に130万円ほど使ったり(つまり修理ね。)、

さらには酒気帯び容疑で保険が半年降りない事件や、

網走→稚内→旭川→網走:連続13時間走破記録。

路上接触事故、保険割合4対6をごねまくり0対100に保険屋を脅かし事件。


など、全部書くとまだまだ書き足りないほど、オヤジに数多くの楽しい思い出やいやな思いでを残してくれた車だったのだ。

 そして、S車輌からハイラックスサーフを購入時に、お礼にただで上げたのだが・・・・・・


 当時、玉数の少ないサーフを得意げになって乗っていたオヤジが偶然会社の近くで、その車が止まっている姿を見かけたのだ。

 

 仮にも元オーナーのオヤジは、一発でその後ろ姿から前の自分の車だとわかり、懐かしくなり思わず近寄っていった。


「よう。元気だったか?今度のご主人様は君を大切にしてくれているか?


と、独り言をつぶやき、シャレードの前を見たとき・・・・・

 


 その、オヤジの大切にしていたシャレードは、フロントのボンネットやバンパーはベコベコに凹み、誰が見てもどうでもいいように使われていたのだ。


 

 オヤジはその姿を見て、急に悲しくなった。一度は事故を起こしグチャグチャにしてしまった車であったが、自分が今まで大切に使っていた車だ。


 「ゴメンよ。君を手放して本当にゴメン!!」オヤジは心の中でシャレードに詫びながらその場を去った。

 

 それ以来、オヤジは自分の車を擬人化してしまうようになり、車を下取りに出すことを辞めた。手放す時は廃車状態で手放し、他の人に乗ってもらおうとは考えなくなった。

 
キリンに憧れて 第二部

 ワゴンRよ。今まで本当にありがとう。

 

 猛吹雪の時、除雪車をぶち抜き、前が見えなくてハザードをかけながら帰ってきたことがあったな。

 アイスバーンの高速道路で、80kmから危うく振られそうになり立ち直ったこともあったな。

 2車線で不意にけつがすべり、操作不能になったけど、何とか5回ぐらい振られて偶然元に戻ったこともあったな。

 

 いままで、オヤジの命を無事運んでくれて本当にありがとう。

 

 今度はオヤジみたいに運転の荒っぽい人でなく、やさしい人に大切に使われてもらえな。


 さらば!!ワゴンR!!



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