(N170)プロ野球背番号レビュー(60番台) | BLUEのブログ

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50番台にもどる

 

今日の内容はプロ野球「背番号」レビューの続きで、60番台について投稿します。

 

では、スタートします。なお、順番は「00」からスタートし、以降は「0」から番号順に並べております。

 


 

(参考データ)

以下の表が各番号における最長着用者である。

 

 

60

 

かつてはコーチが着ける番号で、監督でも「三原マジック」で知られる三原脩西鉄大洋を優勝に導いた。ただ、門田博光を境にほぼ選手が着けるようになり、今では現役の「おかわりくん」こと中村剛也西武)が代表格になった。さらに、成瀬安部、あるいは中村晃ソフトバンク)などがこの番号からスタートしてレギュラーを勝ち取った「出世番号」としての例もある。

 

なお、落合博満巨人移籍時に「6」が篠塚和典の番号だったため、やむなく「60」を着けた経緯がある。

 

【主な着用例】

三原脩、門田博光、落合博満、大村直之、グロス、マルティネス、中村剛也、成瀬善久、中村晃、安部友裕、岡林勇希 ほか

 

61

 

やはり昔はコーチの番号で、最長着用者は阪急でコーチをやっていた天保義夫という人である。現在は例外なく選手が着けるようになり、出世番号だけでなくそのまま定着させた選手もいたりとバラエティ豊かである。前者は坂本巨人)や角中ロッテ)、後者は川口石井弘寿などが挙げられる。ちなみに、リアル野球盤によく登場する吉岡雄二野球の上手い芸人杉谷拳士は入団時にこの番号を着用していた。

 

なお、石井一久西武移籍時に「16」が涌井秀章の番号だったため、やむなく「61」を着けた経緯がある。

 

【主な着用例】

近藤貞雄、アルモンテ、川口憲史、石井弘寿、石井一久、押本健彦、坂本勇人、角中勝也、杉谷拳士、若松駿太、平良海馬 ほか

 

62

 

正直、この番号を思い浮かぶ選手はほとんどいない。2018年に「甲斐キャノン」で日本シリーズMVPに輝いた甲斐拓也は現在「19」を着けており、最近では左腕最速記録を持つエスコバーが代表格になるか。ちなみに、エスコバーは当初日本ハムにいながら、わずか1年足らずでDeNAにトレードされて大活躍してしまった異色の助っ人として知られている。

 

最長着用者は山崎勝己という第2捕手として活躍した選手で、レギュラーではなかったがソフトバンクでFAを取得してオリックスへの移籍を果たした。

 

【主な着用例】

星野修、山崎勝己、越智大祐、植田海、岡島秀樹、甲斐拓也、エスコバー、ヘルウェグ、西口直人、横川凱、滝沢夏央 ほか

 

63

 

基本的には若手の出世番号で、現役でも種市ロッテ)や広島時代の巨人)など数多くの選手がこの番号から成長している。一方で、中日では堂上剛裕・直倫兄弟が2004年以降一貫して着用し続けているが、いずれもレギュラー定着には至っていない。現在の注目株は和田康士朗ロッテ)で、2021年にはほぼ代走だけで盗塁王を獲得している。

 

なお、新庄剛志の「63」は阪神の若手時代だけでなく、2006年の「1度目の」引退直前にも1日だけ着けた。

 

【主な着用例】

新庄剛志、小野晋吾、牧田明久、堂上剛裕、田中広輔、上沢直之、堂上直倫、西川龍馬、和田康士朗、山崎颯一郎 ほか

 

64

 

この番号は投手の活躍が目立ち、桑原福山が中継ぎで戦力となったほか、現役では左腕の大江巨人)がサイドスローになって台頭して来た。野手では日本ハムにいた「怪力」オバンドー鶴岡会沢の若手時代などが該当する。

 

最長着用者はダイエーで2ケタ勝利をマークした田之上慶三郎で、現在もソフトバンクに残留して投手コーチを務めている。

 

【主な着用例】

田之上慶三郎、オバンドー、鶴岡慎也、松本哲也、ホワイトセル、福山博之、会沢翼、二木康太、桑原謙太朗、大江竜聖 ほか

 

65

 

「62」に次いで代表選手が見つからないのがこの番号。色々と調べてみたが、下記の選手ぐらいしか該当しなかった。現役の国吉DeNA時代は「65」だったが、ロッテ移籍後は「92」を着用する。ちなみに、日本ハムにいたTDN多田野数人は当初「16」を着けていたが、2010年に戦力外通告を受けた後に急遽再契約をした関係で「65」に変更させられた経緯を持つ。

 

最長着用者はオリックスでコーチをやっていた住友平という人で、現役時代には日本で唯一の「無補殺三重殺(1人でのトリプルプレー)」を記録した事がある。

 

【主な着用例】

戎信行、近藤一樹、ユウイチ、押本健彦、多田野数人、国吉佑樹、湯浅京己、玉村昇悟、漆原大晟、メンデス、橘高淳 ほか

 

66

 

この番号はかつての沢村賞投手である斉藤和巳の印象が強い。活躍した期間はわずかであったが、その瞬間風速は凄まじいものであった。また、同じ時代には落合博満が監督として着用して中日の黄金時代を築いており、その采配は現在でも監督待望論が出ているほどである。現役ではビシエド中日)が首位打者を獲得したりと活躍中だ。

 

ちなみに、大リーグで活躍したソリアーノ広島時代の最後の1年がこの背番号であった。

 

【主な着用例】

山田勉、中村紀洋、西浦克拓、斉藤和巳、落合博満、木村昇吾、岡田幸文、ビシエド、松本裕樹、万波中正、ソリアーノ ほか

 

67

 

個人的には阪神時代のブラゼルを推したい。ブラゼルが2010年に47本塁打を放った時はマジで「バースの再来」だと思った。最近では岩崎優が中継ぎで活躍したが、現在は「13」へ変更してクローザーを務める。また、中継ぎ一筋でFA移籍まで果たした中日時代の高橋聡文も代表格として挙げられるだろう。

 

ちなみに、巨人から野球留学して大リーグで登板を果たした柏田貴史は渡米前にこの「67」を着けていた。

 

【主な着用例】

野口寿浩、西清孝、柏田貴史、高橋聡文、オバンドー、ブラゼル、岩崎優、田中浩康、中村祐太、中川圭太、茶谷健太 ほか

 

68

 

「悲運の名将」で知られる西本幸雄近鉄時代に着けていたのがこの番号。これ以外にも根本陸夫佐々木恭介も監督で着用していた。現在は若手及び控え選手が着ける番号となっており、「代走のスペシャリスト」鈴木尚広も若手時代に着用した。最近ではターリー森原DeNA)がリリーフで活躍したが、現在は別の選手がこの番号を着ける。

 

なお、横浜にいたランドルフは2009年に「手違い」で先発出来ず、1回の途中から「リリーフ」登板して15奪三振という珍記録を残している。

 

【主な着用例】

西本幸雄、根本陸夫、佐々木恭介、広池浩司、鈴木尚広、早坂圭介、ランドルフ、藤川俊介、ターリー、森原康平 ほか

 

69

 

新井宏昌オリックスの打撃コーチ時代にあの鈴木一朗の登録名を「イチロー」にするように考案したという。その後のイチローの活躍は言うまでもなく、大リーグ移籍までコーチとして指導した実績は十分代表格に値する。選手で活躍した例は中日黄金期の中継ぎ投手だった小林正人が挙げられ、さらに下記を見ると楽天)や水上西武)など若手の注目株がズラリと並ぶ。

 

最長着用者はヤクルトでコーチをやっていた丸山完二という人で、ノムさんが監督をしていた頃はヘッドコーチも務めた。また、息子の敬太はデザイナーで、「KEITA MARUYAMA」というブランドで知られている。

 

【主な着用例】

新井宏昌、メイ、小林正人、ザガースキー、島本浩也、ブラッシュ、今野龍太、石井大智、水上由伸、羽月隆太郎、内星龍 ほか

 


 

70番台は次回投稿します。なお、選手は60番台で一旦落ち着き、70・80番台は指導者の番号としての要素が強くなります。まあ、この後の番号でも印象に残る選手がいない訳ではないけどね。

 

70番台へつづく