(N171)プロ野球背番号レビュー(70番台) | BLUEのブログ

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60番台にもどる

 

今日の内容はプロ野球「背番号」レビューの続きで、70番台について投稿します。

 

では、スタートします。なお、順番は「00」からスタートし、以降は「0」から番号順に並べております。

 


 

(参考データ)

以下の表が各番号における最長着用者である。

 

 

70

 

通常なら監督・コーチが着ける番号であるが、中日などでは支配下選手が最大70人という事から「崖っぷち」という意味合いで着けられる事がある。事実、「70」を着用した後に戦力外を受ける選手も少なくないが、ヤクルト時代の近藤はこの背番号で最優秀中継ぎ投手となって「20」を勝ち取った。

 

なお、ロッテ福浦和也は入団時に「70」を着けた後に「9」へ変更していたが、コーチ就任時に再び「70」へ戻した異例のケースとなっている。

 

【主な着用例】

三原脩、鬼頭政一、ブレイザー、鈴木啓示、中畑清、河村健一郎、小谷正勝、福浦和也、シュルツ、ヒース、近藤一樹 ほか

 

71

 

この番号を選手が着用するケースはほぼなく、現役では楽天吉川雄大のみ。数多くの監督・コーチが着用して来たが、代表例はやはり「仰木マジック」で知られる仰木彬近鉄時代になるだろう。他に印象深いのは抗議の際にベースを投げたり隠したりして球場を盛り上げた広島ブラウン監督で、リクエスト制度導入前だからできた1つの楽しみでもあった。

 

ちなみに、楽天にいたペゲーロは来日1年目に「71」を着けて活躍した。さらに、秋山幸二西武入団時に「71」を着けていた事がある。

 

【主な着用例】

仰木彬、広岡達朗、関根潤三、杉浦忠、中村勝広、山田久志、ブラウン、中西親志、中西清起、佐藤義則、ペゲーロ ほか

 

72

 

監督の着用例が多いのがこの番号。古くは広島古葉監督が第1次黄金時代を築いた。ただ、ここでやはり出て来るのが仰木監督で、おそらく前述の「71」よりもイチローがいたオリックス時代の「72」を連想する人の方が多いはず。その他にも横浜を38年ぶりの優勝へ導いた権藤監督や名打撃コーチで知られる内田順三などの顔ぶれが並ぶ。

 

ちなみに、2次元における「72」は圧倒的に「アイドルマスター」の如月千早のバストサイズとして認識されている。

 

【主な着用例】

岩本堯、古葉竹識、岡本伊三美、稲尾和久、仰木彬、権藤博、牛島和彦、真弓明信、石井晶、内田順三、田中幸雄 ほか

 

73

 

この番号は現在でも語り継がれる監督・コーチが名を連ねる。古くは王さんの「一本足打法」を伝授した荒川博コーチが有名で、ヤクルトでは監督も務めた時期もある。それ以外ではやはり巨人藤田元司ヤクルト野村克也が監督として采配を振るい、もはや現役時代を忘れてしまうぐらいの大きな実績を残した。

 

なお、ノムさんの息子・野村克則は現在阪神でコーチを務めるが、楽天時代に背番号を「73」にしていたのはやはり父親を意識したのだろうか。

 

【主な着用例】

金田正泰、荒川博、藤田元司、野村克也、梨田昌孝、伊原春樹、立浪和義、外木場義郎、斉藤学、小林幹英、野村克則 ほか

 

74

 

この番号は基本的にコーチの番号で、監督の着用は広島達川光男ぐらいしか例がない。また、奈良原浩西武のコーチ時代に名前のフォントが「NAAAHAAA」にしか見えず、2016年に現在のデザインになるまではネタにされていた。ちなみに、大リーグで活躍したソリアーノ広島入団時にこの背番号を着用した。

 

最長着用者は日本ハムでトレーニングコーチをやっていた花増幸二という人で、退団後は韓国に渡り、現在は徳島の高校でコーチを務めている。

 

【主な着用例】

達川光男、山口高志、米田慶三郎、小川史、松山秀明、奈良原浩、西口文也、藤本敦士、小坂誠、村田善則、ソリアーノ ほか

 

75

 

印象深いのはヤクルト若松監督で、2001年優勝時の「ファンの皆様おめでとうございます」という発言は有名である。最近だと打撃コーチとしての石井琢朗の評価が高く、広島を万年Bクラスからの3連覇を成し遂げた手腕は「逆転のカープ」の言葉を生み出した。選手だと阪神でクローザーとして活躍したロベルト・スアレスが代表例で、MLB移籍後もゲン担ぎなのか引き続きこの番号を着用している。

 

最長着用者は大洋でトレーニングコーチをやっていた田村武雄という人で、調べてみたら元々は野球ではなく陸上の短距離選手だったとか。「スーパーカートリオ」が誕生したのはこの人のおかげかも。

 

【主な着用例】

阿南準郎、土井正三、若松勉、山村善則、高沢秀昭、酒井勉、石井琢朗、川名慎一、佐竹学、堀幸一、スアレス、エンス ほか

 

 

76

 

「74」以上にコーチの印象が強く、2009年に横浜の監督代行を務めた田代富雄が唯一の「監督」での着用例か。また、初登板でノーヒットノーランを達成した中日近藤真市は実は投手として大成せず、コーチとしてこの番号を着けていた時期の方が長い。

 

しかし、「76」は特に意識しないと女性のバストサイズを連想してしまうな…。

 

【主な着用例】

佐藤兼伊知、角富士夫、山崎隆造、田代富雄、高田誠、近藤真市、宮出隆自、藤本博史、平野恵一、二岡智宏 ほか

 

77

 

この背番号はV9時代の川上監督の影響か、現在に至るまで多くの監督が着用していった。その中でも代表格になるのが「闘将」星野監督で、中日阪神楽天の3球団でその政治力を発揮して弱小チームを優勝に導いた「優勝請負人」の実績は素晴らしく、最後に在籍した楽天にて監督で初めて永久欠番に指定された。

 

選手ではソフトバンクに1年だけいたトニー・バティスタがこの番号を着用していた。この選手は特に石川ヤクルト)からの死球のシーンが面白いのでYouTubeとかで見つけたら確認して欲しい。

 

【永久欠番】

  • 星野仙一楽天

【主な着用例】

川上哲治、山本一義、大島康徳、野村謙二郎、真中満、西村徳文、松井稼頭央、今岡誠、元木大介、バティスタ ほか

 

78

 

この番号も監督の印象が強い。例としては西武黄金期の後に指揮した東尾修や、ロッテの「下剋上」を演出した西村徳文が思い浮かぶ。なお、伊原春樹は監督では「73」を着けていたが着用期間が短いため、名コーチだった「78」のイメージの方が強い人も多いはず。現在はオリックス中嶋監督が着用してリーグ3連覇と黄金期を築き上げつつある。

 

選手ではヤクルト時代のディッキー・ゴンザレス投手が着けた例がある。ただ、明らかに巨人移籍後の方が活躍したので複雑な気持ちを持ったファンも少なくないだろう。

 

【主な着用例】

三村敏之、東尾修、伊原春樹、西村徳文、福良淳一、中嶋聡、伊勢孝夫、平田勝男、高木由一、川相昌弘、ゴンザレス ほか

 

79

 

2019年まで広島の監督だった緒方孝市が代表格。緒方監督は色々言われながらもV3に導いたのは事実であり、今後も第2次黄金時代を築いた監督として語り継がれるだろう。最近ではマーティン広瀬アリスに似ているかは置いといて打って守ってチームに貢献しており、ロッテ退団後も本人は復帰したがっているらしい。

 

ちなみに、「空白の1日」の被害者である小林繁日本ハムのコーチ時代にこの番号を着けていた。しかし、2010年に在籍のまま亡くなったため、日本ハムでは欠番としていた時期があった。

 

【主な着用例】

緒方孝市、長内孝、井上祐二、続木敏之、森脇浩司、小林繁、笘篠誠治、城石憲之、小関竜也、亀井善行、マーティン ほか

 


 

80番台は次回投稿します。70番台は60番台までとは打って変わって監督・コーチに絞られるのが特徴的でした。ただ、これがむしろ選手の活躍例が目立つ感じになるんだよな……バティスタやマーティン、そしてスアレスとかね(笑)。

 

80番台へつづく