(N164)プロ野球背番号レビュー(0番台) | BLUEのブログ

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さて、今回から新たにプロ野球の背番号に関するレビューを投稿してみます。

 

これまで書いた背番号に関するブログは以下のリンクを参照して下さい。

 

では、スタートします。なお、順番は「00」からスタートし、以降は「0」から番号順に並べております。

 


 
(参考データ)
以下の表が各番号における最長着用者である。
 
 

00

 

最初に着用したのは1988年に来日したジョーンズ(当時阪神)で、途中退団したバースの代替として獲得した選手である。その後、今や見る影もない亀山努がブレイクした辺りから着用例が増え、背番号として定着していった。現在では控えの野手の背番号といった印象となった感じである。

 

ちなみに、日本ハムでは基本的に「00」と「0」を付けさせない模様。また、1993年には阪神時代の松永裕美が「02」を着用した例がある。

 

【主な着用例】

亀山努、佐藤真一、メイ、田中秀太、後藤孝志、ミラバル、川島慶三、藤井秀悟、ミンチェ、寺内崇幸、川瀬晃、西浦颯大 ほか

 

 

最初に着用したのは1983年の長嶋清幸(当時広島)で、当時は大きな話題になったらしい。その後長嶋はレギュラーを獲得し、結果的に「0」の最長着用者となっている。犠打世界記録保持者の川相昌弘など「いぶし銀」や「ユーティリティプレーヤー」のイメージを持った選手に着用例が多い。

 

ちなみに、ニューヨーク・ヤンキースでは「0」以外の1ケタ番号が全て永久欠番なので貴重な背番号となっている。

 

【主な着用例】

長嶋清幸、川相昌弘、本西厚博、城友博、木村拓也、諸積兼司、大和、ルナ、荻野貴司、増田大輝、木浪聖也、細川成也 ほか

 

 

高校野球までは「1」と言えばエースナンバーで、現役選手でも元楽天松井裕樹などの着用例がある。ただ、プロ野球においては圧倒的に野手の着用例が多く、中には吉田義男新庄剛志日本ハム)といったBIGBOSS監督が着用する事もある。ヤクルトでは若松勉以降で池山隆寛岩村明憲青木宣親山田哲人といずれも球界を代表する選手に受け継がれている。

 

なお、鈴木啓示の「1」はオリックス合併前の近鉄で永久欠番とされていた。

 

【永久欠番】

  • 王貞治巨人

【主な着用例】

高木守道、鈴木啓示、秋山幸二、若松勉、前田智徳、福留孝介、鳥谷敬、内川聖一、山田哲人、松井裕樹、BIGBOSS ほか

 

 

高校野球までは「2」と言えばキャッチャーで、プロ野球でも捕手出身の選手に着用例が多い。ジョージ・マッケンジー城島健司は代表例であるが、飯田哲也小笠原道大も元々は捕手だった。捕手以外では内野手が比較的多い印象で、名球会入りした山崎裕之荒木雅博などの名選手が名を連ねる。現役ではやはり「神奈川の牧」こと牧秀悟DeNA)が代表格となるか。

 

そう考えると、ロッテバレンタイン元監督は異例の着用例だったのかなと思う。現役でもスチュワートJr.ソフトバンク)が投手でありながら「2」を着けてたりしている。

 

【主な着用例】

広岡達朗、山崎裕之、田尾安志、高橋慶彦、飯田哲也、城島健司、荒木雅博、小笠原道大、バレンタイン、牧秀悟 ほか

 

 

高校野球までは「3」と言えばファーストで、プロ野球でも清原和博松中信彦などといった多くの着用例がある。基本的には「ミスター」長嶋茂雄に代表されるように強打の内野手が着けるイメージがあり、現役でも浅村栄斗楽天)などのタイトル獲得者が該当する。ただ、必ずしも大砲ばかりでなく、立浪和義サブローといった細かい技を持った選手もいる。

 

なお、世界で一番最初に着用したのはヤンキースにいたあのベーブ・ルースで、現在では大谷翔平が二刀流の記録を出す際に比較される事がある。

 

【永久欠番】

  • 長嶋茂雄巨人
  • 衣笠祥雄広島

【主な着用例】

大下弘、榎本喜八、長池徳二、土井正博、高木豊、清原和博、立浪和義、松中信彦、田中賢介、サブロー、長嶋一茂 ほか

 

 

高校野球までは「4」と言えばセカンドで、プロ野球でも「いぶし銀」と呼ばれるタイプの着用例が多い。ただ、「4=死」を連想させる事から他の1ケタ番号と比べると代表選手は少ない。そのためか、外国人の着用が昔から多く見られ、最近では2013年のバレンティンがこの「4」を着けて60本のホームランを打ってシーズン記録を塗り替えた。

 

なお、巨人では黒沢俊夫という戦前の選手がプロ野球史上初の永久欠番となっている。

 

【永久欠番】

  • 黒沢俊夫巨人

【主な着用例】

バッキー、マニエル、水谷実雄、川藤幸三、正田耕三、大石大二郎、ゴメス、奈良原浩、シーツ、バレンティン、森友哉 ほか

 

 

高校野球までは「5」と言えばサードで、プロ野球でも中村紀洋松田宣浩などサードの着用例が多い。比較的守備力の高い選手が着けるイメージがあり、下記にも阪神時代の新庄剛志辻発彦石井琢朗といったゴールデングラブ賞を複数回受賞した選手がズラリと並ぶ。

 

なお、巨人では「3」が永久欠番なので、清原和博ラミレスといった前球団で「3」を着用していた選手が仕方なく「5」を着けたという例がある。

 

【主な着用例】

仰木彬、大島康徳、レロン・リー、辻発彦、堀幸一、石井琢朗、新庄剛志、和田一浩、松田宣浩、ラミレス、近本光司 ほか

 

 

高校野球までは「6」と言えばショートで、プロ野球でも内野手の着用例が多い。ただ、この背番号は「3」と同様にスラッガーの印象が強い。古くは中西太、平成以降では落合博満阪神時代の金本知憲といったホームランバッターが有名どころ。一方で本来のショートストップが着ける例も多く、宮本慎也田中幸雄といったチームのキャプテン的存在から、現役の坂本勇人巨人)や源田壮亮西武)までタイプの幅が広い。

 

ちなみに、オリックス平野佳寿はMLB時代に投手でありながら「6」を着用していた。

 

【主な着用例】

中西太、藤田平、落合博満、田中幸雄、田口壮、初芝清、宮本慎也、金本知憲、井端弘和、中田翔、坂本勇人、井口資仁 ほか

 

 

高校野球までは「7」と言えばレフトであるが、プロ野球では内外野関係なく着用する傾向がある。西武ではリードオフマンの背番号として受け継がれ、石毛宏典から松井稼頭央片岡保幸金子侑司といった「盗塁王」の系統となって現在に至る。他のチームでは阪神時代の今岡誠、現役では中村晃ソフトバンク)などの中距離打者が多く見られるが、宇野勝山崎武司といったスラッガーも一定数存在する。

 

ちなみに、福本豊は1988年に阪急消滅と共に引退したが、オリックスのコーチになった1989年以降の3年間も引き続き着用していた。

 

【主な着用例】

豊田泰光、柴田勲、福本豊、真弓明信、宇野勝、石毛宏典、野村謙二郎、松井稼頭央、鈴木尚典、山崎武司、糸井嘉男 ほか

 

 

高校野球までは「8」と言えばセンターであるが、プロ野球では現役時代の梨田昌孝横浜時代の谷繁元信など捕手が着ける例も少なくない。ただ、基本的には内外野の選手が主で、古くは有藤通世広沢克己だったり、現役でも大島洋平中日)や丸佳浩巨人)・佐藤輝明阪神)などレギュラークラスの選手が名を連ねる。

 

ちなみに、巨人原辰徳監督は現在でこそ「83」であるが、第2次政権時には現役時代の「8」にさらに「8」を重ね合わせて「88」を着けていた。

 

【永久欠番】

  • 山本浩二広島

【主な着用例】

山内一弘、大杉勝男、有藤通世、梨田昌孝、原辰徳、広沢克己、鈴木健、谷繁元信、片岡篤史、今江敏晃、大島洋平 ほか

 

 

高校野球までは「9」と言えばライトで、プロ野球でも外野手の着用例が多い。秋山翔吾広島)を筆頭にアベレージヒッターや守備力の高い選手が多い傾向だが、小久保裕紀ペタジーニなどの一発の魅力があった選手も捨てがたい。ただ、代表的な選手は他の番号より少ない印象で、「9=苦」といった感じで敬遠されるのだろうか。

 

個人的には柳田悠岐ソフトバンク)の「9」は似合ってない事はないのだが、あの豪快なイメージだと以前の「44」の方が良かった気もしないでもない。

 

【主な着用例】

杉浦亨、佐野仙好、新井宏昌、緒方孝市、小久保裕紀、福浦和也、ペタジーニ、マートン、丸佳浩、柳田悠岐、亀井善行 ほか

 


 

10番台は次回投稿します。もし、自分が背番号を着ける機会があるとしたら何番になるかな!?

 

10番台へつづく