(N069)NPB唯一の60発男!!「ウラディミール・バレンティン」を回顧 | BLUEのブログ

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さて、今日はウラディミール・バレンティン外野手の日本時代を振り返る事とします。
 
バレンティンは何と言ってもシーズン本塁打日本記録保持者として記録にも記憶にも残る選手です。バレンティンが2013年に60本を放つまでは王さんの55本(1964年)が「聖域」とされており、昨年の「村神様」が最終戦で56本を放った時も大きく騒がれたぐらいです。
 

  成績

 

バレンティンの通算成績は次の通りです。
 
【通算成績】
  • 日米通算316本塁打はNPB歴代40位に相当する。
  • 日本通算794打点は外国人選手だと10位にランクインする。ただし、上位10名はバレンティンを含めて全てNPBから引退した選手である。
ちなみに、安打数を日米で合計すると1114本となり、それで300本以上のホームランを打てたというのは驚異的と言えるでしょう(3.53安打に1本のペース)。
 
バレンティンは2000年にマリナーズへ入団し、2007年にMLBへ初昇格しました。この時にはイチローや城島といった日本人選手や、ロペスやメッセンジャーといった日本でも馴染み深い選手とチームメイトになっていました。内訳は次の通りです。
 
 

  タイトル

 

次にバレンティンがこれまで獲得したタイトルを並べてみます。
 
【タイトル】
  • 上記のタイトルは全てヤクルト時代に受賞。
  • 2013年の60本塁打は現在でも日本記録。なお、この年は最下位からのMVPであり、これは史上唯一の受賞となっている。
  • 2011~13年の3年連続本塁打王はセ・リーグでは王さん以来の記録である。
  • 表彰はされないが、2013年の長打率.779は1986年のバースを上回る最高記録とされている。
  • オールスターゲームに6回出場した経験がある(そのうち3回は敢闘賞を受賞している)。
  • 2017年のWBCでは最優秀外野手に選出された。
これ以外にも表彰されたものが数多くあるのですが、これ以上書いてしまうととんでもない量になってしまうので省略します。
 

  What's Balentien!?

 

バレンティンはMLB時代はあまりパッとせず、日本に来て才能を開花させた選手です。ヤクルトのスカウトは打撃よりも外野手としての肩の強さを買って獲得を決断したほどです。

 

しかし、入団から長打力を遺憾なく発揮し、プロ野球史上初となる1年目からの3年連続ホームラン王になりました。ただ、1年目は打率最下位、2年目は規定打席未満と故障や穴が多い選手でした。

 
ただし、2013年は打率.330、60本塁打、131打点(130試合)という信じられないようなキャリアハイの成績を残しました。2011年からの統一球導入で全体的なホームランの数が圧倒的に少なくなったにも関わらず、バレンティンはラビットボール時代のローズ・カブレラでも破れなかった王さんの55本の壁を破ってしまったのです。
 
ここで、2013年のバレンティンを簡単に書いてみます。
  • WBCにオランダ代表として出場。しかし、準決勝を前に左内転筋を痛める。
  • 開幕12試合目で初出場。5試合目(チーム16試合目)でようやくシーズン第1号!!
  • さらにボールの反発係数が加わり、3年目で通算100号到達!!
  • そして、8月に入ってからの18本(月間新記録)を加えれば、10年ぶりの50本越え!!
  • 最後は日本記録、アジア記録を超えてベーブ・ルースに並ぶ60号だーーっ!!
バレンティン以上の記録はMLBも含めればアーロン・ジャッジの62本(右打ち)やロジャー・マリス(左打ち)の61本がありますが、それ以外の記録(最高はバリー・ボンズの73本)は「クスリ」を使ったとされる(*)記録です。だとすれば、2022年にジャッジが62本を打つまではバレンティンの60本「正式な」右打者世界記録だったといえるかもしれません
 
母国のオランダ(中南米にあるキュラソー島)ではその栄誉を称え、国民栄誉賞に相当する勲章をもらったそうです。
 

 
2014年以降もほぼ毎年4番打者として活躍し、2015年以外の年は全て30本塁打以上となりました。バレンティンはFA権取得まで球団の許可なく移籍ができない条項があったらしいので、ここまでヤクルトの救世主として十分働いてくれました。
 
もちろん、試合中のTwitter投稿やDVといった問題児ぶりも見せるお騒がせな一面もありました。また、守備力に難があったのも事実です。しかし、これらを圧倒的な打撃成績でカバーしていきました。そして、2019年にはついに国内FA権を取得し、翌年からは日本人と同じ扱いを受ける事となりました。
 
バレンティンはFA宣言こそしませんでしたが、ヤクルトは本人の意思を尊重してついに自由契約としました。当時はまだ35歳であと数年は活躍できると思われており、最終的にはソフトバンクが獲得しました。ただ、あの長打力・守備力を考えたらDHのあるパ・リーグに行った方がいいかも……当時はそう思っておりました。
 

 
しかし、移籍元年の2020年は新型コロナウイルスの影響もあり、開幕が通常より3ヶ月遅れとなりました。当然調整にも大幅な影響が生じたと考えられ、それまでの活躍が一転して大不振に陥ってしまいます。それでもキューバ勢の来日が遅れたためレギュラーで出場し続けたものの、開幕から2ヶ月で打率1割台となり二軍への降格となってしまいました。この年は日本一にはなったものの、バレンティン自身は出場する事が出来ませんでした。
 
その後も調子が戻る事はなく、結局ソフトバンク移籍後は見るも無惨な成績となりわずか2年で戦力外通告を受ける事になってしまいました。一応、2021年は古巣ヤクルト相手の交流戦で1000安打300本塁打及び全球団からの本塁打を同時達成したりはしましたが…。
 
そして2022年にNPBからの引退を表明し、ここからはメキシカンリーグでプレー。今年3月のWBCにもオランダ代表で出場して現在に至ります。
 

 
こんな感じです。上記の表を見ると分かる通り、皮肉にも活躍できなかった2015・20年がチームの優勝の年となった……とあって、バレンティンは自分の活躍によって優勝したかったという思いはあるでしょう。
 
しかし、バレンティンは日本球界で10年以上プレーし、2013年には60本ものホームランを放ちました。昨年は元チームメイトの村上が56本を打ったとは言え、NPBで初めて60本台に乗せた大偉業は間違いなく歴史の1ページとして残るでしょう。
 
いやー、これを並べるだけでもやっぱスゲーわ。何だかんだ言いながらもこのバレンティンこそ超人に値する!!