写真 : 滝川の菜の花畑♬


 やっとキャンプが出来る季節になった!北海道の自然は大好きなのだが、冬の数ヵ月はさすがに外では寝られない。よく「富士山を見ながら冬のキャンプ」と言ったTVを見ると、とても羨ましいものだ。今日は私の趣味であるキャンプについて書いてみようと思う☆

 

 私がキャンプをするようになったのは、今のパートナーとお付き合いを始めてからだ。もう10年以上前になる。最初は彼の趣味に付き合って、義理で行っていた。都会かぶれをした私は、高級レストランやホテルに連れて行ってもらう方が嬉しかった。しかし彼は本当にお金を使わない人だった。

 当時の私はキャンプの楽しさが分からなかった。面倒、不便、特にやる事もない、そう感じていた。つまりは、都会ですっかり受け身の姿勢が染みついていたのだ。楽しい=提供される物と言った感じだろうか。

 それが、何年もキャンプを続けるうちに道具は進化し、準備の仕方や設置にも慣れた。自分でも工夫をするようになり、自然の中で何もしない事が心地よくなった。コロナや芸人ヒロシによってキャンプブームも来た。そのうち、自分用のキャンプ道具を買い揃えるまでになった。

 

 自分のキャンプ道具を持つと、自発的に変わった。ペーパードライバーだった私が運転して片道2時間30分のキャンプ場まで行けるようになった。設置も片付けも1人でできるようになった。そしてなんと、来月には友達を連れてのキャンプに挑戦する!!インドアで受け身で保守的な私からすると、凄い変化なのである! 

 自然の中で過ごすと、本当に心身共にリラックス出来るのだ。自然には科学的にもそのような効果があるそうだ。私の場合は2つの効果が感じられる。1つは良く眠れる。キャンプ場に着いて設置が終わると、ご飯とお風呂以外はほぼ眠っていると言っても過言ではない。睡眠薬でも飲んだかのように眠くて眠くて仕方がなくなる。スマホを見る事も、YouTubeを聴く事も出来ないくらい眠いのだ。普段は夜中に目が覚めて眠れなくなるが、キャンプの時はトイレの我慢の限界で仕方なく起きる。

 もう1つは、ひらめきが起こるのだ。何かを悶々と考えて答えを出すのではなく、フッとした時に急に「こうしよう!!」みたいにひらめくのだ。しかも突拍子もない事が多い。大きな決断、お金が動く事、考え方など色々だが、普段では考えられないような大胆な決断なのだ。でも、私はこのひらめいた時の感覚が好きだ☆まるで中毒のような、忘れられない快感なのだ。この感覚が本当の自分のような気がして嬉しくなる。もはや自分の心の声を聴けなくなっていた私だが、このひらめきを実行して行くうちに、自分らしさを取り戻せるような気がしている☆こうして私は無理が無く、ワクワクして続けられるキャンプが趣味と言えるまでになったのだった♪

 

写真 : アルテピアッツァの空⭐︎

 

 

 私は8か月前くらいからジムに通っている。仕事に行く前にひたすら走っているのだ。元はと言えば、片頭痛の改善と、標準体重を少しオーバーした事が切っ掛けだった。お陰様で両方とも改善されている訳だが、他にもメリットがあった。頭でグルグルしている思考をスッキリさせてくれるのだ。今朝もトレッドミル(ランニングマシーン)には助けてもらった。では、内観の続きを書こう☆

 

 

 私は、沢山の小さな怒りの根源が父、いやあの男だったと気付いた。子供を抱えた母親が、そんな男を選んだ事にも腹が立つ。もう家族の間に入って辛い思いをする理由もなくなった。やっと自分の人生に集中できる!はずだったのに、今朝もモヤモヤした気持ちをトレッドミルに救ってもらっている。何が後ろ髪を引くのだろう?昨夜からずっとそれを考えていた。たどり着いた答えは弟の存在だ!私はまだ弟に嫌われたくないと言う執着が手放せないのだ。

 母が再婚する前は、弟の面倒をよく見ていた。8歳も年が離れていたので、喧嘩もした事がない。私はまるで母代理のように、弟をいつも気にかけていた。自分が友達と遊びに行く時も、弟を自転車の後ろに乗せて連れて行った。弟が家で1人で遊んでいると、近所の子供に声をかけ弟を仲間に入れるように言った。今思えば、単なる過干渉なのだが…そんな私が母の再婚を機に、全く弟の状況に目をやる余裕が無くなったのだ。

 本当の私は弟が大好きなのだ。母は仕方が無いと諦めがつく。でも弟と疎遠になるのは怖いのだ。私と親が疎遠のうちに、実家で何か吹き込まれ、弟からも私が悪者にされるのだろう。それが許せなく、阻止したいと思うから心がざわついているのだ。 また、心が無になるまで虐待をされ、DV連鎖の不安を持ちながら子育てを頑張っている弟を救いたいと言う気持ちが強かった。

 

 さてこの気持ちは執着とやらだ。他人を変える事は出来ない。それに私は弟の加害者でもある。姉として頼られたり相談された事は無い。弟には本当に良い奥さんが見守っていてくれているのを知っている。つまり、この感情は自分の手放すべき執着なのだ。

 あの男によって家族がボロボロにされたと思っているのは、私だけかもしれない。同じ問題でも、受け止め方、向き合い方、向き合う時期はそれぞれだ。ましてやもう、あの男の言いなりにならなくても生きて行ける大人なのだ。

 母や弟がどう向き合って、どんな行動をするかは私の人生課題ではないのだ!人にはそれぞれの人生課題があるのだろう。それを他人がコントロールする事は出来ないのだ。私は母や弟が、どんな道を選んでも構わない。恨む気持ちも、理解して欲しいという気持ちも持たなくて良いのだ。あの男を選んだのは母だ。あの男と表面だけでも家族を続ける選択をしているのは弟だ。全てを受け入れよう。そう思ったら、私の前には何も問題が無いことに気付いた。トレッドミルよ、ありがとう☆

 

 

 

 

 

 


写真 : アルテピアッツァ⭐︎


 今日も暑い。つい数日まではスプリングコートを着ていたのに。ライラック祭りも始まったとか!!暑い暑いと言って油断するとリラ冷えが来るかもしれない。それでも冬が終わったこの季節は気分がワクワクする☆そんな時に、全くワクワクしない内観だが続きを書くとしよう。

 

 私はこれまで、今の父を悪く思った事はなかった。むしろ静かで、寛容で、誠実な男性だと思っていた。どうしてそう思い込んでいたのだろう?おそらく実の父が暴力、借金、浮気、麻薬と、とんでもなさ過ぎたからだ。そんな父が基準になっていた私にとっては、今の父は普通の父親に感じられたのだ。

 それから、母の言葉の力も大きいだろう。私が今の父の事を少しでも悪く言うと母は、「でもお父さんは決して悪い人ではないよ」と言った。母がそう言うと、なんとなくそんな気もして来るのだ。でも悪い人とは何か?犯罪を犯さない人か?悪い人かどうかは、見る角度や関わり方によるのではないか?確かに今の父にも良い面は沢山ある。親戚、会社の人、趣味の知人、そう言った人から見たら、家族が見る父とは別な面もあるだろう。母の言うように、父は一般的に見れば悪い人では無い。でも私から見れば、父親になった人なのだ。父親として良い人か?悪い人か?が大事なのだ。その視点で見てみると、極悪人とも言えると思った。

 

 妻子持ちの身で、2人の子供と莫大な借金を背負った女性を口説き、弁護士の力によって、自分達の願望を無理やり通した人だ。あたかも正論で純愛でスマートなふりをして。あの男の前妻は子供の為にも離婚は反対していた。私の実の父が顧問弁護士として雇っていた弁護士にお願いして、自分の離婚、母の借金、再婚の手続きを数ヵ月でバタバタと片付けた。急ぐ理由は自分の仕事の転勤時期に合わせる為だ。周りの全ての人は、それによって急な変化を受け入れを強いられた。

 前妻や子供の気持ちの整理はどうなったのだろうか?きちんと子供に説明をして、心の整理をする時間を与えたとは思えない。私や弟も、祖父母や異母兄弟に、お別れの挨拶も出来なかった。最後に亡き父のお墓参りもせずに飛行機に乗せられた感覚しかない。

 

 そうやって全て親の身勝手の為に、沢山の犠牲の上で成り立った家族だった。なのに弟は心を壊されて、犬は虐待のあげく捨てられた。私は家族と引き離されて寮生活へ。1人離れて暮らす私が、本当は1番心のフォローが必要だったと思う。それなのに父と弟を2人にするのは危険だからと、私に何かがあっても母がゆっくりフォローをしに来てくれた事はない。いつも金額を気にしながらの国際電話で、頭ごなしに怒られるだけだった。帰国してからの母は、会えば父の愚痴ばかり。無視されただ、浮気をされただのと幸せには見えない。

 

 父と私が口論になる時、決まって「俺はお前に直接何かをした事はない」と言われる。確かに私だけは父から被害を直接は受けていないのだ。そう言われると何も言い返せなくなった。それでも何故か、毎回その言葉を聞くと気持ちが逆上したのを覚えている。直接に何かをされなければ被害はないのだろうか?例えば、テーブルを力いっぱい叩いたら、テーブだけでなく置いてあった物にも振動が伝わる。ドル円で為替が大きく動くと、ユーロ円も同じようなグラフに動く。つまり私は母や弟の話し、空気を通じて二次的に影響を受けている。

 私の上手く言葉に出来ない逆上する気持ち、違和感の理由がやっと分かった!私は大事な家族をボロボロにされて怒っているのだ。あの男を父親だなんて思っていないのだ。この怒りは正しかった!よく韓国ドラマで家族を殺されると、時間をかけて仕返しをする話が多い。あの煮えたぎる恨みが分かる気がする。私はきっと、そんな事に時間を使う事はしないだろう。でもハッキリ分かった事は、あの男は私の父親では無い!!

何だか点と点が線になったような、スッキリした気持ちになった☆

 

 

 

 

写真 : 大好きな夕暮れ🌙

 

 

 私は最近、また新しい自分の感情に気付いた。それは今の父に対する怒りだった。今まで本当に、そんな事を父に対して思った事は無かったので、その感情に気付いた時は自分でもビックリした。

 

 私は母の幸せの為に、高校2年の時に出会って1年も経たない男性を父親として受け入れた。本当は嫌だったのに、苗字も変えて転校もした。しかも私だけ学校の都合で家族と離れ寮生活になった。夏休みや冬休みだけ新しい家族の元に帰って、一生懸命に輪に溶け込む努力をした。

 

 その時、弟はまだ小学3年生だった。私が冬休みに初めて新しい家に帰ると、弟はすでに「お父さん」と彼を読んでいた。そこで私も空気を読んで「お父さん」と呼んだ。弟は毎日、お父さんに怒られていた。内容はいたって普通の事だ。宿題をしない。部屋を片付けない。約束を守らない。買ってあげたオモチャを大事にしない。逆上がりが出来ないなどなど…

 ただ怒られ方が、今思えば虐待なのだ。夕飯の時にネチネチと説教されて怒鳴られて、泣きながら食事をする弟。すると「泣くか食べるかどっちかにしろ!」とまた怒鳴られる。

 逆上がりが出来なければ、もう薄暗い夕方に「学校に行って出来るまで帰るな」と言う(海外生活で)。弟は学校に行き練習をしたのか、出来たと言って帰って来た。すると弟の手のひらを見て、「マメがつぶれていないから嘘をついている!」と怒り出した。誰も付き添って見ていなかったのだから、証明のしようもない。

 でも私は自分も母にそう育てられたので、そのおかしさに気付いてあげられなかった。それどころか父の正論に吞み込まれ、母と私も父に加担してしまった。虐待の意識はなかった。何とか弟に大人の言う正論を理解してもらおうと必死だったと思う。私は知らず知らずのうちに、いじめの加害者になっていた。あんなに自分がされて嫌だったのに。されて嫌な気持ちを誰より知っているはずなのに…

 後から母に聞いた話では、弟は父が怖くて家出をしていたと言う。父が仕事から帰るのが怖いからと、海外の夕暮れにランドセルを背負って家を出たと…その時は母も一緒に家を出たらしいのだけれど。

 弟から大人になって聞いた事は、「小学校のある時から、何を言われても何も感じなくなった。大人に期待もしなくなった。」と言うことだ。心を壊されたのだろう。感情を無くさなければ生きて行けなかったのだろう。

 

 それから犬に対しても虐待をしていたようだ。親が再婚する前から私達が飼っていた犬も、家族と一緒に海外生活をしていた。私は長い休みにしか実家にいないので詳しくは知らない。でも確かに躾として犬を叩いていて、口から血を流しているのを見た。犬がテーブルに上って、準備中の家族の夕飯を食べたのが原因なのだけれど…

 いつの事か、母が言うには泣く泣くその犬を公園に置いて来たのだとか。父に捨てて来いと言われたようだった。母は動物や植物が大好きで、今までも犬を何匹も飼ってきた。その母が犬を捨てるなんてよっぽどの事だ。未だにその時の犬の鳴き声が忘れられないと言うのを聞いた事があった。

 

 それから母が浮気をされたと言っていた事がある。家庭でも話をかけても無視された時期があったとか…この再婚で、いったい誰が幸せになったのだろう?怒りが今頃になって湧き上がって来た。私はどうして家庭が、こんな酷い事になっていたのに気付かなかったのだろう?それだけ私も自分を見失っていたのだろう

 

長くなりそうなので、続きはまた今度にしよう☆

こんな内容を書くと、またマイナスの過去に引っ張られていると心配されそうだ!でも、あくまで"父へ沸いた怒り″と言う、新しく気付いた自分の感情を書いておきたいだけだ。どうか心配なさらずに☆


写真 :  桜とキャンプ場🌸


 あんなに楽しみにしていたGWも、桜の季節もアッと言う間に終わり。やりたい事を詰め込み過ぎて何だか休めなかった感じがする。でもキャンプも出来たし充実はしていた!

さて、続きの話を始めよう。


 私は母からのLINEを読んで、何かが吹っ切れた。もう自分の事に集中しよう。今まで、何だかんだ言って私は家族に寄り添う方向で努力して来た。でも何で?必要に迫られたら親が寄り添う努力をすれば良いんじゃないのか?分からないなら考えてもがけば良いんじゃないのか?あの親にはそれが、人生で必要な学びなんじゃないのか?勝手にしてくれ、私も好き勝手にするから☆

 

 思えば母の再婚の時から、私や弟が親に合わせて我慢して来た。でも本当は子連れ再婚ってそうじゃ駄目なんじゃないのか?時間をかけて絆を作ってから、籍を入れて家族になるんじゃないのか?我が家は出会って1年もしない男性に「お母さんと再婚します。僕の仕事で海外に行くので、転校してもらいます。苗字も変えてもらいます。」と言われたのだ。今の父にその疑問を言った事があった。すると父は、「何言ってんの、一緒に料理したりディズニーランドにも行ったじゃない。」と言っていた。馬鹿な私はそれで丸められたが、今思えばそれは絆じゃない!ただの良い人だ。父親らしい、父親になったとは全く違う!

 

 しかもその再婚宣言をした時、父は妻子のいる状態だったなんて後から聞いた話だった。よくも愛も恋も分からない純粋な思春期のJKを前に、そんな大人の汚い都合を通したものだ!よくも子供を2人も持つ母親が、そんな相応しくない男を父親に選んだものだ。子供のいない独身同士なら何でも構わない!でも子連れ再婚なら、もっと子供の心に寄り添って慎重に進めるべきではなかったのか?

 それでなくても実の父が亡くなって直ぐに、うちの病院の事務で働いていた男性と母が恋仲になり、家に住み着いていたのに。その男性が姿を見せなくなったと思ったら、今の父が現れて…

何で子供が親に合わせて転校をしたのか?何で大人の恋が優先で、私は母と離れて寮生活をさせられたのか?本当に腹が立つ!

大きな声で「お母さん、腹が立って眠れないのは私の方だよ!」と言ってやりたい 笑

 

 もう、寄り添うとか、私が合わせるのを止めよう。駄目なパターンを何度も繰り返して来た。ならば、思考を変えなければいけない。

家族に寄り添う、理解してもらう、と言う執着を断捨離して、もう何もしない。一度、天に任せてみたらどうだろう?それで嫌われたり疎遠になっても構わない!私は自分でこの道を選ぶ事にした⭐︎

 

写真 : 足元の水芭蕉

 

 今日は暖かい☆仕事は途切れることなくあるが、気分良くサクサク片付けられている。GWの後半はキャンプに行くので、楽しみに後2日を頑張ろう♪さて、内観の続きを書いて行こう。

 

 私は今年も母の誕生日にプレゼントを贈った。それまでも毎月、実家に贈り物をしていたが、「届いた」の報告も無かった。しかし今回は写真と共に長文のメッセージがLINEで届いた。内容を読んで私は複雑な気持ちになった。

 

 感情の1つは、既読スルーされ続けるよりは気持ちを伝えてくれるだけ進歩したか!もう1つの感情は、振り出しに戻ったか…だ。

 

 母からのLINE の内容はこうだ。

「娘(私の名前)が実家から帰った後に、3年前に娘が書いた手紙を読みました。そして眠いのを我慢して愛情を持って育てた娘に、ここまで言われるとは…と腹が立って眠れません。またここまで娘に言わせる自分が情けない」との事でした。

 私は何と返したら良いのか分かりませんでした。何とか振り出して、「お互いの立場、時代、感情があるからね。私はもう各自の気持ちを否定したりはしません。自分を否定するのも可哀そうだし。お母さんの好きに心の処理をして下さい。」と返事した。

 

 その後、母から返信は無い。私もそれっきりだ。結局は親がどう思おうが、私の気持ちを理解しようがしまいが関係ないのだ。全ては私の問題、私次第だと気付いているからだ。私はどう感じたのか?どうしたいのか?この毒親問題のゴールはきっと、自分の心の声を聴いてそれに従った行動に移すことだと感じた!早く自分の本当の気持ちが知りたいと焦るも、無理にもがかずに自然に湧き上がる感情をそのまま見て行こうと決めた。

 

 それにしても私は、本当に鈍い人間だと思った。だって、3年前に書いた手紙を母は今読んだのだ。つまり、私が何を訴えたかも知らずに3年も無視をしておいて、そしてようやく会って和解をした。では喫茶店で再開をした時に、何に対して謝っていたのだろうか?何の歩み寄りだったのだろうか?

 娘に毒親呼ばわりされてって怒っていたが、自覚がないのが毒親の証拠だ!その事に気付いた時、私は心からの乾いた笑いが出た。自分に呆れたのと、本当に疲れたのと、何かに吹っ切れたのと…。ついこの間まで、愛を持って接すれば!とか思っていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。だけど何だろうこの爽快感は?そう、何かが私の中でプツリと切れてしまったようだった。人間は限界が来ると、こんな感じになるのか~と思った。本当に疲れた、もう終わりにしよう☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真 : 戸田記念公園の満開な桜⭐︎

 

 GWは掃除をしながら合間を見て、桜を見に出かけた♪中島公園を散歩して、次の日には戸田記念公園に出掛けた。風が強かったりしたものの、晴天でみごとな桜だった。花を見上げる人も、散歩をしている犬も気持ちよさそうだった☆

 GWの前半と後半に分かれていて、仕事に行くのが億劫だった。しかし5月病にならない為にも、それから生活リズムと整えるにも丁度いいのかもしれない。

 

 さて、内観の続きに入ろう。私は今回の事は、自分の気持ちに正直に処理しようと思った。自分の内側と向き合って、心の声を聴こうとした。でも分からない!自分の事なのに分からない!

 

 数日おきに気持ちが変わった。親へ対する怒り、悲しみ、同情、それでも好きなんだから仕方ないか~などなど。どれも本当のような、どれも頭で考えてしまった答えのような。心の声ってどうやったら分かるのか?

 

  私のように幼少期から不安定な環境で育った子は、心の声を聴けなくなると聞いたことがある。人の顔色を伺い、人の喜ぶ選択をしているうちに、それが自分の気持ちだと思い込んでしまう。そうやって本当の自分の気持ちが分からなくなってしまうらしい。

 さて、どうやって心の声の聴き方を取り戻そうか?子供の時に好きだった事をしろって?子供の時にやりたかった事なんて無かったような…時々、夢中になる事があった時期もある。それらは勝手に見付かったものだった。やりたい事を探して見付けた事なんて無い!一輪車?小太鼓?日本舞踊?応援団?ジュディマリ?今更それらをやってワクワクするとは思えなかった。実際ににジュディマリの音楽を聴いてもあの頃のようにワクワクはしなかった。

 

 結局は心の声が分からないまま、時だけが流れていた。ただ思う事は、もう家庭の中で加害者だの被害者だのって言いたくないって事だ。愛を持って接すれば良いのではないか?斎藤一人さんも言っているだろう!私は親が変わらなくても構わない。自分がどうありたいのか考えようと思った。

 私は時々、母にLINEを送った。綺麗な景色の写真。懐かしく思った事などを書き、返事はいらないよと付け足して。月に1度、実家に贈り物をした。消化に良さそうな食べ物だったり、アロマだったり。夫婦して心療内科に通う家庭とは大変だろうと思い、私が原因ではないが切っ掛けではあるから。そして4月は母の誕生日だった。この前、実家の断捨離を手伝っていた時に、母が欲しがっている物に気付いていた。だからそれを贈った。どうせ「届いたよ」の連絡もまた無いだろうと思っていた。

 しかし今月はLINEが送られて来た。誕生日の花束を父に買ってもらったらしく、私のプレゼントと共に写った写真付きで。しかし長々と書いてあったLINEを読んで、私は複雑な気持ちになったのだった☆

 

写真 : 曇り空と桜⭐︎

 

 

 もうじき待ちに待ったGW!どこへ旅行するわけでもないが楽しみだ♪毎年この休みは大掃除をする事にしている。暖かくならないと出来ない事。窓拭きとカーテンの洗濯。空気も入れ替えて、私の心も掃除して、運気UPだ☆大好きなこの時期を、最高に楽しもう!さて心の断捨離として、もやもやした感情も書き出してしまおう。

 

 

 私は実家でまた親のペースに巻き込まれ、惨敗して帰って来た。でも私は、父のあの顔や声の威圧に負けず、逃げ出さずに、その時に思った事は言えたのだ。3年前よりは強く冷静になれた!そう思い直していた。気持ちの戻し方や自己肯定感の高め方を身に付けられたと実感した。

 しかしあれから、母からは音沙汰無しだ。LINEを送っても既読スルー。これはまた母の鬱病が再発したのだと思った。母はこの3年間、鬱になり心療内科に通っているらしかった。父も適応障害だから通院した方が良いと医者に言われているとか。

 私は昔、電話相談のボランティアをしていた。研修で鬱の人との関わり方が慎重でなければいけない事も学んだはず。なのに、どうしてあんなに責めたりしてしまったのだろう。反省した。

 

  私は母に既読スルーの理由を聞いた。母は私が、なにで傷付くか分からないから怖くて話せないと返信してきた。おそらく実家に行った時に、母の無意識の行動で私が傷付いた事を2つくらい話したからだ。こうしてLINEを送るにも心臓がバクバクしているとか…父は私が帰った後、適応障害が悪化して通院する事になったとか。

 そうか~、また私が悪者なんだな~と思った。母と私が父を責めた。母と父が浮気の話で揉めた。なのにまた私だけが悪者なんだなぁ~。浮気の話は解決したのか?どうやって仲直りしたのか?2人はその後も一緒に生活しているのだから、何とか治めたのだろう。私のせいで親2人が心療内科に通うはめになったと言いたいのか?私はこうやって過去にも何度も傷付いた。母と私が揉めても、いつもその場にいない私が悪者だった。誰も直接、私に話を聞きにきてくれた事はなかった。片方の話だけ聞いて、私が問題児とされて来た。

 さて今回はどうやって自分の気持ちを処理しよう。自分の本当の気持ちはどうしたい?これも訓練の1つだと思う。頑張れ私☆


写真 : 桜が咲いた🌸

 やっと札幌も桜が咲いた。私も楽しい事を考えよう♪そう思いつつ、心の奥にはいつも、両親との事が引っかかている。まったく毒親問題の解決、前に進むとは何なのだろうかぁ~?と思いつつ…何か感覚を掴めたようで、振り出しに戻るような。それでも私は前の私より、確実に自分が好きだ☆感じるままに受け止めて、自然体に生きようと心がける。では続きを書くとしよう。

 

 久々に実家に泊まって母と話をしていると、父が2階から下りて来た。コタツに入って話に混ざるなり、「俺が手紙の返事を返さないだって?」と強い口調で私に言った。前から読んで下さっている方には分かると思うが、私は3年前の秋に、全ての感情を書いた手紙を置いて実家を飛び出したのだ。父はその手紙を読んで「返事を書く、お母さんとの間は俺が取り持つ」と言ってくれたのだ。しかし、それから3年の月日が経ち、返事は無いまま再開をしたのであった。

 父は何か言い訳をしたいのであろう。そう思いながら私は「だって実際もらってないでしょ」と言った。すると父の顔が変わり口調も更にキツくなった。父が言うには、私の手紙を何十回も読んだし、返事も何回も書いた。今もその全てを取ってあるとの事。しかし返事を私に見せれば大変な事になるとの事だった。まぁ、その顔と口調で内容はだいたい分かった。父は私に怒っていて、その感情をぶつければ、私を養子から外しかねないとの事なのだろう。そうしたければ、そうすれば良かったのに…

 

 全く我が家の話はたいてい、母が入ると内容が次々にとんでしまうのだ。父と私の話から、何で弟の虐待の話になったのか?そこから何で父が浮気をした時の恨みつらみになったのか覚えていない。結局は父と母の夫婦喧嘩に私が巻き込まれるという、ただいつもの展開になっただけだった。

 私は飲み込まれていた。何とかこの状況をまとめないとと…父は弟に対する虐待の話をされると、私と母に虐められているようだと言う。そう言われると私は自分が加害者になったようで引き下がってしまう。浮気の件は覚えていないだの、勘違いだのと のろりくらりだ。

 私は母に、弟への虐待は父がした事ではあるが、母と私も一緒になって攻めていたのだから同罪だと言った。私たち家族は一番小さい子をみんなで虐待した加害者なんだと!

すると母は、そうなのよと納得はしたものの、よくニュースで見る再婚して義理の父親が子供を虐待して、止めない母親の気持ちが分かるとか言い出して。私もその時に怒れば良かったのに、自分も加害者なので同じく分かると思ってしまって…そんなこんなの内に、母が浮気に話をそらしたのだろう。

 

 結局、朝の4時過ぎまで話して、疲れ果て解散した。こんな事は昔から繰り返している事なのだ。また私は何も変われなかった…少し寝て午後に私は自宅へ帰った。後になって冷静に考えれば、あの時この話を止めておけば!あの時こう言っていれば!と分かるのに、その時は波に揉まれ必死で、悔いの残る事しか言えないのだ。

 私が自分の感情に蓋をしないで育っていいれば、直ぐに気持ちを整理して上手く伝えられていたのだろうか?家族との会話だけでなく、どうしたらその都度、悔いなど残らない会話が出来るようになるのだろうか?これは訓練が必要だと思った。今回は惨敗だったけど何度も実践して、いつかは冷静にその場で自分の気持ちや考えを言える大人の女性になろうと心に誓った☆




写真 : 安田侃さんの彫刻⭐︎


 今日は少し重い話はお休みして、自分の内観をしてからの変化について書こうと思う。私は家族や過去のトラウマの問題により、自分と向き合う事となった。このブログを休んでいた間にも、心の変化や気付きもあった。不思議な経験もした。今でも新たに、自分の本当の感情がフッと湧き上がる事がある。そんな時、クイズの答えが分かった時のような爽快感がある♪


 今が変わったからと言って、その前に感じていた事が間違いだった訳ではない。どれも全てが自分であり正解だ!そう思える今は、どんな小さな新しい気付きや変化であれ、面白がる感覚で受け入れられる。そして、そんな自分がお気に入りだ☆

 

 私は両親と仲直りする前から、カウンセリング、宗教の良いと思う教え、断捨離、風水、引き寄せ、栄養学、思考癖の変え方、など色々な知識を詰め込んだ。どんな分野であっても人が良いと言う事は取り入れた。成功したければ、まずは成功者のまねをしよう!藁おもすがる思いだった。

 そうしているうちに、人から褒められて自信になる事もポロポロ出て来た。例えば『部屋が綺麗で、素敵な物で揃えられている』と言われる事が増えた。それは断捨離、こんまりメソッドのときめく片付け、シンプルライフ、節約などの情報を取り入れてからだ。初めは誰かと比較して落ち込むのが嫌だった。収入も低いし、玉の輿にものれない。ブランドや流行を追っていては生活が破産するし、上には上がいてキリが無い。そんな負のループから抜けだすための方法だった。そういった人達と同じ土台には乗らないで、独自のルートで行こうと思った。

 そう信念を持って突き進むと、他人が気にならなくなった。自分の収入の低さも、生活と少しずつの貯金が出来ていれば問題でも無くなった。少ない物だが、自分の本当に気に入った物の中で暮らす。物をメンテナンスしながら愛情を持って使う。掃除も貯金も、何かをしたり買う時の判断も、自分の決まりやルーティーンを取り入れれば楽になった。

 そんな些細な事からだ。自分の心の声を聴く、自分を肯定する、自分を好きになる、成功体験を増やす。そうして行くうちに、他人の違うところも受け入れたり面白がれるようになった。どうも上手く伝えられない。出来事の大きさや、特別な事ではなく感覚なのだ。自分の中でパンッと何かが弾けるような、発見、感動、何かが繋がったような感覚なのだ。

 このような私の中の気付きは色々あるが、備忘録として少しずつ記して行こうと思う。長くなったので、今日はこのへんで失礼します☆