写真 : アルテピアッツァの空⭐︎

 

 

 私は8か月前くらいからジムに通っている。仕事に行く前にひたすら走っているのだ。元はと言えば、片頭痛の改善と、標準体重を少しオーバーした事が切っ掛けだった。お陰様で両方とも改善されている訳だが、他にもメリットがあった。頭でグルグルしている思考をスッキリさせてくれるのだ。今朝もトレッドミル(ランニングマシーン)には助けてもらった。では、内観の続きを書こう☆

 

 

 私は、沢山の小さな怒りの根源が父、いやあの男だったと気付いた。子供を抱えた母親が、そんな男を選んだ事にも腹が立つ。もう家族の間に入って辛い思いをする理由もなくなった。やっと自分の人生に集中できる!はずだったのに、今朝もモヤモヤした気持ちをトレッドミルに救ってもらっている。何が後ろ髪を引くのだろう?昨夜からずっとそれを考えていた。たどり着いた答えは弟の存在だ!私はまだ弟に嫌われたくないと言う執着が手放せないのだ。

 母が再婚する前は、弟の面倒をよく見ていた。8歳も年が離れていたので、喧嘩もした事がない。私はまるで母代理のように、弟をいつも気にかけていた。自分が友達と遊びに行く時も、弟を自転車の後ろに乗せて連れて行った。弟が家で1人で遊んでいると、近所の子供に声をかけ弟を仲間に入れるように言った。今思えば、単なる過干渉なのだが…そんな私が母の再婚を機に、全く弟の状況に目をやる余裕が無くなったのだ。

 本当の私は弟が大好きなのだ。母は仕方が無いと諦めがつく。でも弟と疎遠になるのは怖いのだ。私と親が疎遠のうちに、実家で何か吹き込まれ、弟からも私が悪者にされるのだろう。それが許せなく、阻止したいと思うから心がざわついているのだ。 また、心が無になるまで虐待をされ、DV連鎖の不安を持ちながら子育てを頑張っている弟を救いたいと言う気持ちが強かった。

 

 さてこの気持ちは執着とやらだ。他人を変える事は出来ない。それに私は弟の加害者でもある。姉として頼られたり相談された事は無い。弟には本当に良い奥さんが見守っていてくれているのを知っている。つまり、この感情は自分の手放すべき執着なのだ。

 あの男によって家族がボロボロにされたと思っているのは、私だけかもしれない。同じ問題でも、受け止め方、向き合い方、向き合う時期はそれぞれだ。ましてやもう、あの男の言いなりにならなくても生きて行ける大人なのだ。

 母や弟がどう向き合って、どんな行動をするかは私の人生課題ではないのだ!人にはそれぞれの人生課題があるのだろう。それを他人がコントロールする事は出来ないのだ。私は母や弟が、どんな道を選んでも構わない。恨む気持ちも、理解して欲しいという気持ちも持たなくて良いのだ。あの男を選んだのは母だ。あの男と表面だけでも家族を続ける選択をしているのは弟だ。全てを受け入れよう。そう思ったら、私の前には何も問題が無いことに気付いた。トレッドミルよ、ありがとう☆