六月大歌舞伎 昼の部 観劇 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は久しぶりとなる歌舞伎座の観劇の記事です。

 

六月大歌舞伎 昼の部

 

 

客席

 

 

傾城反魂香

 

主な配役一覧

    
浮世又平後に土佐又平光起…中車
又平女房おとく…壱太郎
狩野雅楽之助…歌昇
土佐修理之助…團子
女中お百…壽猿
土佐将監光信…歌六
銀杏の前…米吉
饗庭太郎…男寅
小幡次郎…福之助
醍醐三郎…玉太郎
蒲生四郎…歌之助

大津絵の鯰…新悟
大津絵の奴…青虎
大津絵の藤娘…笑也
大津絵の座頭…猿弥
不破伴左衛門…男女蔵

 

幸四郎が演じた帝国劇場の筋書 

 

 

三津五郎が演じた横浜座の筋書 

 

さて、最初の演目にして良くも悪くも一般的な注目度が高いのが傾城反魂香です。

言うまでもなく先月世間を騒がせた段四郎夫妻の一件による猿之助の降板と壱太郎の代役、先月の明治座で主役を張った團子に古典演目の主演は初という中車と話題性に事欠かない面子が揃った事が原因ですが、そういう野次馬的興味関心を一切無視して見ても今回の昼の部の見物はこの演目と言える内容でした。勿論それには1970年9月27~28日に歌舞伎座で行われた第5回春秋会で披露されて以来となる浮世又平住家の場の復活も加味されてはいますが、それ以上に中車の又平の上達ぶりに驚かされました。

まず花道の出でいかにも頼りなさげでおとくに急かされて何とか将監の宅へくる辺りから様になっていて、今ではリテラシーの問題で何かと五月蠅い吃音での台詞廻しも写実に演じていて彼の勉強熱心な役への考察が窺えます。

そして将監からの叱責や修理之助に先を越されてしまう無念さ、元信救出の命すら修理之助に奪われて絶望の余り死を意識するも言葉では上手く伝えられないが為に僅かに聞こえる程度での小音での台詞や目の動きなどで上手く表現していて劇場の空気も彼の演技の一挙手一投足に集中している様子が嫌という程分かりました。

そして今際の際に絵を残そうとする時の集中力やそれを終えた後の気の抜けた様子を写実に演じながらも奇跡により絵が水鉢に写った事を知った時の嬉しさが滲み出る様な変わりようと将監に名乗りを許された後の踊りまで緩急自在でそれが必ずしも歌舞伎の様式美に当てはまるかと言えばそうとは言えず、それこそ絵に例えるなら水彩画の中に1人油絵がいるような強い違和感を感じなくも無いですが松嶋屋や成駒屋型のこってりとした可笑し味を出した歌舞伎味が残る上方の演出と吃音に苦しむ天才画家の起こした奇跡という写実に寄った音羽屋型の塩梅を取った澤瀉屋のやり方では中車の演じ方が良い具合に中和されていました。

 

続いて猿之助の降板を受けての起用となった壱太郎ですが起用の原因は兎も角、1週間程度の猶予があった事もあり代役とは思えない位しっかり仕上げて来たのは良かったです。

序幕の出から吃音症の夫に代わり将監に頼みをする件や喋れない夫の癇癪を受け止め共に自害しようと夫に尽くす出来た女房振りが僅か2回目とは思えない位に板に付いていて良くも悪くも目立っていた中車に対して壱太郎は万事控え目ではありましたが、これこそ初代中村鴈治郎の又平に長年おとくで付き合った三代目中村梅玉が残した

 

決して自分を生かすことを第一にせず、むしろ自分を犠牲にしても先づ相手役を生かせることを心掛ける。そして相手役の生きるにつれて自分もそのあとから続いて生かせて貰って行くのでございます。」(梅玉芸談より抜粋)

 

の心得である為、そういう意味では本来おとくを演じる予定であった猿之助よりも適正の面では秀でた部分があったかと思います。

唯一、欠点を挙げるとすれば白粉が着物の襟に付着してしまいっており色が紫だけに余計にか目立ってしまったのが残念ですが又平住家での踊りも含めよく出来た仕上がりでした。

その他の役者について述べるとまず明治座の五月公演で代役を演じて一躍脚光を浴びた團子は今回は土佐修理之助役でしたがこちらは年相応の役所で暫く見ない内に随分と大きくなり、また癖の強い父親とも従伯叔父とも異なるタイプの役者になりつつあるのは面白いなと感じました。

今回の事件を受けて悪い意味で変にマスゴミに担ぎ上げられている彼ですが、同じ年頃には持ち上げられてピエロになっていた何処かの誰かの様にならない様にきちんと修行に励んで欲しいなと祈るばかりです。

対してベテランはというとまず先月に93歳になった女中お百を演じた壽猿は流石に台詞廻しの聞き取り辛い所もありましたが、93歳にしては驚異的な声量であり、もう彼に関しては元気に舞台に立っているだけで眼福物でありました。あの事件では人の心のないエ●非●どものインタビューにも気丈に応えていましたが澤瀉屋五代に仕える彼にはまだまだ頑張っていただきたいです。

そして土佐将監を演じたのが澤瀉屋とは馴染み深い歌六で、青年時代から三代目猿之助の薫陶を受けた彼だけに今回実に18年ぶりとなる澤瀉屋一門との共演になりましたが、三代目猿之助の吃又も二代目中村吉右衛門の吃又も両方付き合っているだけに実に安定した演技で共に弟子には基本公平であるものの、絵師としての技量故に修理之助に名を与えた事が分かる等決して吃音が原因により又平を不遇にしている訳ではないのが分かるのは偏に彼の重厚な演技に依る所が大きいです。

ただ、彼に関する批判では決してないのですが彼の後将監の役を演じれる様な役者が次の世代にいるのかと言われればパッと思いつかないのが現状であり、左團次も亡くなり脇の大役を演じれる役者が少なくなってきている中で歌六に関してもその優れた技芸を誰かに継承して欲しい気持ちはあります。

 

そして最後に今回53年ぶりの上演となった又平住家について触れるとこちらは外題の由来にもなった狩野元信の妻である銀杏の前の救出と彼女を追う不破伴左衛門一味に対して又平が書いた絵が具現化して対決してその間に又平夫婦と銀杏の前が逃走に成功するという内容で土佐将監閑居の場では尻切れトンボとなっている本筋部分にも関わる舞踊演目となっています。

今回不破側の追手には男寅、玉太郎、歌之助、福之助兄弟といった若手、土佐絵から具現化する4人には新悟及び笑也、青虎、猿弥と三代目の直弟子が勢揃いして演じていて若手とベテランの入り混じった編成となっています。

これは事件とは関係なしに決まっていた配役である事からも当代猿之助が若手の抜擢を兼ねてキャスティングした意図が見受けられ昨今叫ばれる技芸の継承の観点から見ても良い配役だなと思います。

何分前回から50年以上も時間が経過しているので良い悪いは比較できませんが、笑也の藤娘と新悟の鯰は印象に残りました。

中車に関してもそれまで踊りの素養を全く受けて来なかった経歴を思えば踊れている方であり、流石に壱太郎と並んで踊ると見劣りする部分はありましたが、見ていて苦痛になるという事は無いので安心して見れるかと思います。

この様に昼の部の目玉と言えるだけの完成度があり、いっその事ここまでやるなら後の2演目をカットしてまんま傾城反魂香の半通しでも良かった気がする位もしなくはないですが正直ここまで良い出来になるとは予想していなかっただけにまた再演を期待したくなる物がありました。

 

児雷也豪傑譚話

 

主な配役一覧

 

児雷也実は尾形弘行…芝翫
山賊夜叉五郎…松緑
高砂勇美之助…橋之助
仙素道人…松江
妖婦越路実は綱手…孝太郎

 

続いて上演された児雷也豪傑譚話は以前にも紹介した事のある河竹黙阿弥が江戸時代のベストセラーと言える同名の読本を歌舞伎化した物となります。

 

105年前に上演された時の歌舞伎座の筋書 

 

この演目は菊之助が通し上演した事や2000年代に入って南座や御園座でも上演した事があるだけにそれほど珍しい演目には見えませんが実は歌舞伎座では明治29年10月に慈善公演で初めて上演されて以降は上記の大正7年7月に1回、昭和11年10月にだんまりの場のみを藤橋だんまりの場に外題を変えて1回と計3回上演したのみであり今回が実に87年ぶりの上演となりました。

今回上演されたのはだんまりである妙香山藤橋の場に加えてその前に当たる妙香山一ツ家と同山中術譲りの計3場の上演となりました。

芝翫は三月大歌舞伎の忠臣蔵十段目以来の自身の出し物となりましたが蓋を開ければ恰幅や貫禄は初役とは思えない位に堂に入った物で聴き取り辛い台詞回しも然程マイナスには感じられず大詰での蝦蟇から妖術で奈落から出てきてからの見得を含め嵌まり役とまではいきませんが適役と言える物がありました。しかし、裏を返すと唯それだけなのです。

他の出演者である松江にしろ孝太郎にしろだんまりのみ出てきた松緑もホンのお付き合い程度の出演で大した見所はなく、昔風の劇評家の言い回しを借りれば

 

変身した蝦蟇蛙が一番ようございました。

 

と皮肉の1つでも飛びそうな状態であり、傾城反魂香の時に合った張り詰めた空気はそこにはなくむしろ昼食タイムを経て照明も落として暗い舞台故に私の隣の客に至ってはシエスタタイム(しかも五月蠅かった)に入るなど全体として客席の緊張感のない演目になってしまいました。(正直松江が今月この役だけというのも問題だと思いますがそれを書くと長くなるので省略します)

これが芝翫の演技が下手故のだらけならまだ説明が付くのですが決してそうではない為にその理由について幾つか考察すると以下の様になるのではないかと思われます。

 

①宣伝不足

 

上記の通り他の劇場での上演はあるものの、歌舞伎座では87年ぶりとなる上演だけにその希少性を宣伝するなりしてアピールすれば少なくとも上演中にシエスタする不貞な輩は減った可能性はありますが、劇場のポスターなどを見ても夜の部の義経千本桜の通しの宣伝ばかり、そして昼の部の世間一般の注目も段四郎夫妻に起きた悲劇に起因する猿之助の降板や中車への注目ばかりであり、話題性において埋没してしまい見物からすれば「そこまで大した内容ではない」という認識になってしまった事は否めません。

 

②そもそも知名度不足

 

これは役者の事ではなく演目である児雷也豪傑譚話の事です。

江戸時代においては知らない人はいない程の知名度を誇り、戦前も映画化された事により何とか知名度を保ってきたこの演目も今や殆どマニアでも知る人が少ない演目になっているのが現状です。

その為私はリンクにも上げた歌舞伎座の筋書を調べているので概要や上演された場は分かっていましたが上記の通り歌舞伎座では87年ぶりと劇評家の長老格である渡辺保氏すらも見た経験が無く、新橋演舞場や南座で当代菊之助が上演したのも約15年前とかなり年月が経過しており、前後左右の人の終演後の愚痴(?)を聴いても分かりましたが今回会場にいた殆どの人がこの演目は初見という状態でした。

そういう状況下では見物に話の筋が分かりやすく理解できる通しないしは半通しで上演するのが理想なのですが今回はそんな時間もなく妖術伝授に蝦蟇に変身するというのだけが他と異なるだんまりが付いただけの見取りでの上演であり、この悪条件下で観た事すらない児雷也に興味を持てと言う事自体が酷な話だったと言えます。

 

これに関しては正直演目選定の段階でどうにかならなかったのかな?というのが観た後の正直な感想でした。

せめて妖術伝授の場を省いて藤橋のだんまりの場の後に続く月影家詮議の場や新潟浦刑罪の場の三場にすれば児雷也の派手な演出による妖術などの部分が観れて傾城反魂香の後でも十分に楽しめたのではないかと思えます。

ただ、先ほども述べた通り芝翫の児雷也は決して下手ではなく、きちんと演じさえすれば面白くなりそうな役だけに別の機会にきちんと時間を取ってまた挑んで欲しいと思います。

 

扇獅子

 

主な配役一覧

 

芸者…福助

芸者…児太郎

芸者…新悟

芸者…壱太郎

芸者…種之助

芸者…米吉

 

最後に上演された扇獅子は明治21年に作られた清元の舞踊演目になります。元々当初の予定では菊五郎と左團次による夕顔棚が予定されていたのですが左團次の死去に伴い急遽変更となっており、本来昼の部には出演予定の無かった福助、児太郎親子と種之助、米吉を加えて若手女形5人による勉強芝居の意味合いが強い演目となりました。

踊りその物は特筆すべき事も無いですが、後半の獅子の毛振りに関しては慣れないせいかタイミングが合わない所もありましたが正直な話、福助に関してはただそこにいるだけというだけの物で事実上4人の若手女形の共演というのが大きな見所であり、元々毛振りに慣れていない4人である上に決まった経緯を考慮すれば急ごしらえ感があるのも仕方ない部分はあります。

ただ今回の配役に莟玉を加えれば今旬の若手女形勢揃いとなる位豪華な面子だっただけにもし次集まるチャンスがあるのであれば何も扇獅子と言わずに二月大歌舞伎でやった女車引や京鹿子五人道成寺といった他の大曲舞踊も楽しめそうなだけに10分少々の今回の演目は彼等に取っては役不足な気がしました。