壽初春大歌舞伎 第一部観劇 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は再び観劇の記事です。

 

壽初春大歌舞伎 第一部観劇

 

筋書

 

以前に第二部、第三部の、第二部の記事で書いたように今回は第一部を観劇しました。

 

第二部、第三部の観劇の記事はこちら

 

 今回は予定の都合上、一緒に見れなかった第一部を観劇しました。

 

第一部 

 

一條大蔵譚

 

主な配役

一條大蔵長成…勘九郎

吉岡鬼次郎…獅童

鳴瀬…歌女之丞

お京…七之助

常盤御前…扇雀

八剣勘解由…山左衛門

 

第一部の一條大蔵譚は元の外題を鬼一方眼三略巻といい享保16年に和田文耕堂と長谷川千四によって書かれた時代物の演目です。

鬼一方眼三略巻の外題だけだと三段目の菊畑を専ら指して今回の四段目を一條大蔵譚の外題で呼びます。

内容としては源氏再興を図る吉岡鬼次郎が妻のお京と共に今は阿呆として知られる一條長成の妻となっている義経の生母常盤御前を密かに訪ねるも弓を射って遊んでいる(風に見える)常盤御前に鬼次郎は怒り打擲するも実は清盛への呪詛を掛けている事を知り、謝罪するもその様子を悪臣の八剣勘解由に見られてしまい万事休すとなるも勘解由をいきなり背後から一條長成が切りつけ阿呆は演技であり、源氏の縁者である身故に作り阿呆をしていた事を明かして鬼次郎に秘伝の書を授けるという話になっています。

 

参考までに歌舞伎座の筋書

 

上記の筋書でも触れた通り、初代吉右衛門は七代目市川團蔵から教わり浅草座の子供歌舞伎で大当たりして以降大切にしていた演目で、彼の死後は孫の白鸚、先代吉右衛門達が引き継いだ他、吉右衛門の異母弟の十七代目中村勘三郎も得意役として受け継いだ関係で中村屋でもお家芸の1つとして伝わりました。

 

初代吉右衛門の一條大蔵長成と五代目歌右衛門の常盤御前

 
しかし、中村屋は十八代目勘三郎が母方の祖父である六代目菊五郎に私淑し過ぎていた事や自身が手掛ける平成中村座やコクーン歌舞伎にも力を入れていた余り、播磨屋系統の演目は殆ど手を付ける時間がないまま亡くなってしまいました。
それに対して今回演じた勘九郎は偉大な父親の影を感じつつも芸風としては祖父十七代目の様に播磨屋所縁の時代物の演目に相性が良い部分があり、事実1年前の二月大歌舞伎ではTVでくどい位やっていた連獅子の裏で奥州安達原の安倍貞任を演じて好評を得ていたのは周知の通りです。そんな彼が1年ぶりに挑んだ播磨屋のお家芸である一條大蔵卿でしたが、作り阿呆の部分は何処か十八代目を感じさせる部分がありきっちりしていますが、本心を明かしてからの部分はもう一歩威圧感、存在感が欲しいです。彼は長い間作り阿呆を演じ、そしてこれからも平氏が滅ぶまでは作り阿呆をしなければならない運命を背負った人物であり、奥殿はそんな彼が長年の仮面を脱ぎ捨て本心を明かす重要な場です。あまり演じていない勘九郎にそれを求めるのは酷かも知れませんが、後1~2回演じれば貫禄が付いて立派な一條大蔵卿になれる可能性があるだけにどうしても期待してしまいます。
ただ、私個人としては勘九郎はまだまだ伸び代がある役者だと思っているので父親の幻影に怯む事なく時代物、世話物分け隔てなく演じて成長して欲しいです。

 

そして勘九郎以上に私が期待して良かったのが吉岡鬼治郎演じる獅童でした。近年の彼は南座でのバーチャル歌舞伎などの活躍が目覚ましいですがその一方で歌舞伎座の出演となると年1回程度しか出演しておらず、しかもそれ以外の出演の殆どがあれ絡みという状況で非常にやきもきする状況でしたが今回は息子の初舞台という事もあって児太郎が犠牲となりましたがあっちには出演せず1999年以来23年ぶりとなる正月の歌舞伎座への出演となりました

以前に大徳寺の焼香もどきの何かを歌舞伎座で上演した時も獅童の光秀だけは実に大歌舞伎でも通じる立派な演技でいつか本演目で演じて欲しいなと感じていましたが今回の鬼治郎も実に素晴らしい出来で常盤御前への怒りを隠そうともせず打擲する場面や真意を知っての謝罪、勘九郎の一條大蔵卿とのやり取りもあくせくした所が無く実に堂々とした演技で、それでいて出しゃばる事もなく実に安心して見られました。獅童も息子の初御目見も済み50の年が見えて来たのでそろそろ歌舞伎座には夏場や師走にだけ出るのではなく他の月も含めて出演回数を増やして大役を演じて欲しいと切に願っています。

そんな獅童に対して今一つ振るわなかったのが常盤御前を演じた扇雀でした。彼自身この役を演じたのが2回目と言う事もあって慣れないのはある程度仕方がないにせよ、物憂げな前半はいざ知らず打擲を受けた後の台詞や演技は源氏再興と清盛の調伏を願う源氏の人間としての精彩に欠け、大蔵卿が出てきて以降は殆ど舞台の上にただ居るだけの状態でした。彼自身他の共演者とは久しぶりという事から見ても配役の中でかなり浮いていて何故ここに収まったのか理解に苦しむ所があり、今回の出演役者の中では何度も演じている魁春もいたのでこの役に関しては配役ミスの感が否めませんでした。

そしてお京を演じた七之助は可もなく不可もなくといった感じで彼も将来的には常盤御前、あるいは鬼治郎、一條大蔵卿を演じる事になるであろう役者だけに玉三郎から揚巻を継いだだけに留まらず兄と共に時代物の役の経験を積んで欲しいです。

この様に常盤御前を除いては完璧とは言えませんが決して悪い出来では決してないだけにもう5年後辺りにもう1度実現させて欲しい物です。

 

元禄花見踊


主な配役
真柴久吉…獅童
山三…勘九郎
阿国…七之助
若衆雪之丞…橋之助
月之丞…中村福之助
花之丞…虎之介
松之丞…歌之助

奴喜蔵…小川陽喜

 

続く元禄花見踊は明治11年6月に新富座で初演された舞踊物の演目です。

桜満開の上野を舞台に様々な人物が踊って踊って踊りまくるという晴れやかな物でこちらは言うまでもなく獅童の子供である小川陽喜の初御披露目の為の演目です。

この演目の上演位置に関する疑義については前回触れたので省略しますが理屈抜きに楽しめる演目であるのは確かで、小川陽喜が出て来て見得を切ると見物たちも喜ぶというベタではありますが正月1発目としては悪くない演目と言えるかと思います。

そして真柴久吉演じる獅童も息子の晴れ舞台に父親を感じさせる温かい眼差しで見ていました。彼自身親の初代獅童が戦前に廃業していた関係で初舞台に父親の姿はなく、叔父錦之助の後援で舞台に出るという少々特殊な立ち位置で歌舞伎役者となりました。そういう意味では彼自身が味わえなかった物を子供には与えてあげられる幸せに満ちている様で何とも言えない気持ちになりました。

 

この様に幸四郎に捧腹絶倒の第二部、猿之助の四の切で湧く第三部に比べるとインパクトに欠けるきらいはありますが、次世代の歌舞伎を担う中堅の活躍を見れるという意味では決して引けは取らないだけに是非ご覧になっては如何でしょうか?